イスラム教とラマダン月
英国人イスラム教徒と英国社会
8月12日、英国のイスラム社会はラマダン月を迎え、イスラム教徒の義務的実践の一つである断食を開始した。日没まで飲食の一切を絶つ断食は、敬虔なイスラム教徒にとっては一大イベントである。その一方で、英国人イスラム教徒が増加傾向にある中、イスラム教徒と異教徒間の相互理解の欠如などを問題視する声もある。
イスラム教六信五行
六信五行とは、イスラム教の基本的な信条箇条(イーマーン)と義務的実践(イダーバート)を指す。またイスラム法は人間の全行為を規範的に5つに分類しており、それらはすべて①許容されている行為(ハラール)と②禁止される行為(ハラーム)の概念に分けられる。
■ 信条箇条(イーマーン)
イスラム教徒とは、①アッラー(神)、②天使、③啓典、④預言者、⑤来世(最後の審判)、⑥運命(予定)の実在を信じる者。
■ 義務的実践(イダーバート)
イスラム教徒とは、①信仰告白、②礼拝、③喜捨、④断食、⑤巡礼の儀礼を不断に行う者。
イスラム教徒が多く在住する英国内の主な地域
地区名 | イスラム教徒数 | 同地区における 全人口比 |
---|---|---|
タワー・ハムレッツ | 7万1000人 | 36% |
ニューアム | 5万9000人 | 24% |
ブラックバーン | 2万7000人 | 19% |
ブラッドフォード | 7万5000人 | 16% |
ウォルサム・フォレスト | 3万3000人 | 15% |
ルートン | 2万7000人 | 15% |
バーミンガム | 14万人 | 14% |
ハックニー | 2万8000人 | 14% |
ペンドル | 1万2000人 | 13% |
スラウ | 1万6000人 | 13% |
ブレント | 3万2000人 | 12% |
レッドブリッジ | 2万9000人 | 12% |
ウエストミンスター | 2万1000人 | 12% |
カムデン | 2万3000人 | 12% |
ハリンゲイ | 2万4000人 | 11% |
Source: The Muslim Council of Britain(2001年度)
英国人イスラム教徒数の推移
2004年 | 187万人 |
2005年 | 201万7000人 |
2006年 | 214万2000人 |
2007年 | 232万7000人 |
2008年 | 242万2000人 |
*08年における英国人キリスト教徒の総計は約4300万人
Source: Labour Force Survey
8世紀 | 英国とアッバース朝(イスラム帝国)間で外交開始。ブリテン諸島にイスラム教徒探検家や商人が上陸。 |
12世紀 | 英国人初のアラビア文学博士アデラード(Adelard of Bath)がアラビア文学をラテン語に翻訳。 |
16世紀 | 船乗りであったジョン・ネルソンが英国人で初めてイスラム教に改宗。エリザベス1世時代、北アフリカの英国植民地に移住した多くの英国人船乗りがイスラム教に改宗したとされ、アルジェリアだけでも5000人以上に上る。 |
1600年 | 東インド会社創設と共に、ムガル帝国(イスラム王朝)から多くのイスラム教徒が渡英。 |
1636年 | オックスフォード大学でアラビア語の教授職を設置。 |
1641年 | イスラム教聖典クルアンをアレキサンダー・ロスが英語に翻訳。 |
1860年 | カーディフに英国初のモスク設立。 |
1886年 | ロンドンに「Anjuman-I-Islam(後に「Pan-Islamic Society」に改名)」が設立。 |
1887年 | ウィリアム・ヘンリー・クイリアム(イスラム名:シェイク・アブドゥラー・クイリアム)がリバプールでイスラム・コミュニティーを発足。同人はその後、オスマン・トルコ皇帝より「Sheikh-ul-Islam of the British Isles(ブリテン諸島のシェイク・イスラム)」の称号を授与される。 |
1889年 | ボパール(現在のインド)のベガム女王の寄与により、ロンドン郊外ウォーキングに「Shah Jahan Mosque」が設立。 |
1913年 | イスラム機関紙「Muslim India and the Islamic Review(後にThe Islamic Reviewに改名)」発行開始。 |
1914年 | ロンドン・モスク基金の援助により、ロンドン各地のモスクなどで金曜礼拝が開始。 |
1928年 | ヘドリー伯爵(イスラム名:アルハッジ・エルファルーク)が「The London Nazamiah Mosque Trust Fund」を設立し、多くの支援金を「The London Central Mosque Fund(ロンドン中心部リージェンツ・パークにある現在の 「Islamic Cultural Centre」)」に寄付。 |
1933年 | ロンドンのベイカー・ストリートで、イスマイル・デ・ヨーク代表主催による 「Muslim Society of Great Britain(大英帝国のイスラム社会)」が、イスラム教徒向けに各種イベントを開催。 |
1937年 | 英国人イスラム教徒が、英政府のパレスチナ分割案に対して反対運動を展開。 |
1941年 | 在英エジプト大使ハッサン・ナージャット高官の寄付により、ロンドン東部にモスクと「Islamic Cultural Centre」が開設。 |
1944年 | 国王ジョージ6世が「Islamic Cultural Centre」設立記念式典に出席。 |
1962年 | 英国人イスラム教徒の学生グループにより、「The Federation of the Students Islamic Societies in the UK and Eire(FOSIS)」が設立。 |
1969年 | 英国人イスラム教徒の子供支援を目的とした「The Muslim Educational Trust」設立。 |
1971年 | イスラム教徒向け雑誌「Impact International」創刊。 |
1973年 | 「The Islamic Council of Europe」ロンドン本部、及び「The Islamic Foundation」が設立。 |
1976年 | 「World of Islam Festival」がロンドンで開催。 |
ヒジュラ暦ラマダン月始まる
ヒジュラ暦1431年ラマダン月1日(西暦2010年8月12日)、英国人イスラム教徒は、日の出と共に飲食を絶った。「断食」の開始である。
ラマダン月(ヒジュラ暦第9月)は、30日間もしくは29日間にわたる。次の新月観測予定日となるヒジュラ暦第10月1日からの3日間には、断食月開けの祭り「イード・アルフィトル」が行われる。またラマダン月は、新月を確認した時点での開始となるため、日本では開始日が英国よりも1日早まるなど、地域毎に時差が生じる。加えて、悪天候で新月が確認できなかった場合や、夏時間を導入しているために日没時間が遅くなる地域などでは、近隣国の新月観測を反映させているところもある。
イスラム教の断食とは、日の出の約2時間前から日没まで断食・禁欲する行為であり、タバコなどの嗜好品も一切許されない。そして日没後、「イフタール」と呼ばれる最初の食事と共に、1日の断食を終える。ただ妊婦や幼児、病人や重労働者など、断食を行うことによって心身に支障をきたす可能性がある人は免除されたり、日にちをずらしたりすることができるなど、実施の仕方については、ある程度の柔軟性を有する。
非イスラム諸国での断食
イスラム教徒の六信五行の一つである「断食」の主な目的は、飢えの体験を通じて貧困の苦しみを理解し、宗教概念を強めると共に、全世界のイスラム教徒が同じ宗教行為を同時期に行うことで、国境や人種を越えた連帯感を養うことなどとされる。ただし飽食時代である今日では、日没後の夜間における飲食の大量摂取が肥満や生活習慣病の原因になっているとの報告がある。また、英国や日本などの非イスラム諸国においては、断食中のイスラム教徒と異教徒間における相互理解不足といった諸問題も懸念される。通常の勤務時間や職場環境はイスラム教徒の断食に不適切とされる一方で、同信仰を持つ社員の業務遅延や生産性の低下といった問題点を指摘する声もある。
英国社会と英国人イスラム教徒
近年、英国人イスラム教徒の数が増加傾向にある。05〜09年の4年間で英国人イスラム教徒は50万人増加した一方、英国人キリスト教徒数は200万人減少したとする報告もあり、英国内における宗派比率に変化が見られ始めたとも言える。今後、職場や学校、近所のモスクなどで英国人イスラム教徒の信仰行為を目にしたり、イスラム法上認められた食品を取り扱う飲食店に掲げられた「ハラール(Halal)」の看板を目にしたりする機会が更に増えるだろう。
その半面、「名誉殺人(Honour Killing)」と呼ばれる独自の宗教概念や文化が生み出す殺人事件や、イスラム過激派が関与した05年7月7日のロンドン同時多発テロも記憶に新しく、イスラム教を含む異文化・宗派に対する偏見が存在することも否めない。1950年以降、英政府が経済発展などを理由に、多くのイスラム教徒を含む外国人労働者に対して渡英を斡旋し始めてから半世紀以上が経った今、真の異民族・宗派・文化の統合に向けた包括的な対策が求められている。
Islamic Calendar
ヒジュラ暦。イスラム教の預言者ムハンマドが、メッカからメディーナ(共に在サウジアラビア)へ聖遷した年を「ヒジュラ元年」(西暦622年7月16日)と定めたイスラム暦。月の満ち欠けの1周期を基本とする太陰暦で、1年間約354日と計算される。つまり、地球が太陽を1周する周期を基本とする太陽暦を用いる西暦(ユリウス暦)とは、年間約11日間の誤差が生じることになる。また同じヒジュラ暦を採用していても、国や地域によって暦や日付は異なる。サウジアラビア政府は、国家の公式暦としてウンム・アルクラー暦(メッカ暦)を採用。(吉田智賀子)
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