ローマ教皇がやって来る
カトリックと英国のこれまで
ローマ教皇ベネディクト16世が今月16日から19日まで、英国を訪問する。1982年、前教皇ヨハネ・パウロ2世の渡英以降、教皇による英国訪問は実に28年ぶり。約600万人の国内のカトリック信者にとっては朗報だが、国民全体で見ると、訪問費用の一部が国民の税金によって賄われることへの反発も出ている。教皇の訪英を目前に控え、英国とカトリックの歩みに注目した。
ローマ教皇のプロフィール
ベネディクト16世。第265代ローマ教皇(在位2005年4月〜)。バチカン市国国家元首。83歳。ドイツ・バイエルン州出身で本名はヨーゼフ・アロイス・ラッツィンガー。ナチスを嫌っていた警察官の父の下、司祭になることを願っていたが、14歳で、当時ドイツ国内で加入が義務付けられていたヒトラー青年団に入団。戦後、神学校で学び、司祭に。神学博士号を取得し、ボン大学、ミュンヘン大学などで教鞭を執る。2002年、主席枢機卿に任命される。05年、教皇就任。ドイツ人の教皇就任は950年ぶりとなった。「超保守派」と言われ、避妊、中絶、同性愛に反対の立場をとる。
英国の宗教人口内訳
キリスト教徒 | 4207万9000人 | 71.6% |
イスラム教徒 | 159万1000人 | 2.7% |
ヒンズー教徒 | 55万9000人 | 1% |
シーク教徒 | 33万6000人 | 0.6% |
ユダヤ教徒 | 26万7000人 | 0.5% |
仏教徒 | 15万2000人 | 0.3% |
他の宗教信者 | 17万9000人 | 0.3% |
無宗教 | 910万4000人 | 15.5% |
無回答 | 428万9000人 | 7.3% |
合計 | 5855万6000人 | 100%* |
Source: 国勢調査2001年
*端数処理により四捨五入した数値
英国におけるカトリックを巡る動き
597年 | 聖アンドレアス修道院長アウグスティヌスが、布教のために当時のイングランドの7王国の一つ、ケント王国にやってくる。王エゼルベルトに布教の許可を求め、カンタベリーに居住することと説教の自由を認められた。初代カンタベリー大主教となる。 |
1534年 | イングランド王ヘンリー8世の離婚問題をきっかけに、国王を「イングランド国教会の地上における唯一最高の首長」と宣言する国王至上法が定められる。教義内容はカトリックのものとほとんど変わらず。同法に反対するキリスト教徒は迫害、処刑などに遭った。 |
1605年 | イングランド国教会優遇政策の下で弾圧されていたカトリック教徒過激派による火薬陰謀事件が発生。上院議場の地下に仕掛けた大量の火薬を用いて、11月5日の開院式に出席する国王ジェームズ1世を爆殺する陰謀を企てたが、実行直前に露見して失敗。実行責任者の名をとって、ガイ・フォークス事件と呼ぶことも。 |
1690年 | ボイン川の戦い。プロテスタントの王ウィリアム3世率いるイングランド・オランダ連合軍と、退位させられたカトリックの元国王ジェームズ2世率いるスコットランド軍の間で行われた戦い。アイルランドのボイン川河畔で行われた。1745年、ジェームズ2世の子孫が再び国王の座の奪回を狙った戦いを起こすが、翌年、スコットランドのカロデンの戦いで敗退した。 |
1780年 | ゴードンの暴動が発生。カトリック教徒の権利を抑圧する法律を緩和する動きへの反対運動。プロテスタント協会の会長ゴードン卿が中心となって、数万人が参加する抗議デモが起きた。次第に暴動化し、事態鎮圧のために軍隊が出動。300人近くが死亡した。 |
1829年 | カトリック解放法成立。カトリック教徒の差別的規定を撤廃した。 |
1944年 | 新教育法により、イングランドとウェールズ地方の中等教育体制が改正。カトリックの中等教育機関が国の教育体制の一環となる。税金によって賄われるグラマー・スクールの登場で、専門職やミドル・クラスのカトリック教徒の家庭が増え、カトリック教徒の社会への融合を促す。 |
1976年 | バジル・ヒューム修道院長がイングランド・ウェールズ地方のカトリック教会の指導者になる。後には枢機卿に任命される。当時、英国で最も人気のある宗教指導者となり、カトリックのイメージを大きく向上させた。 |
1982年 | ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世が訪英。カリスマ的魅力を持つ教皇を一目見ようと、カトリック教徒、非カトリック教徒の国民が集会に押し掛けた。後年、女性の地位、安楽死、中絶に対する教皇の伝統的考えが、次第に英国内リベラル派の大きな批判の対象となっていく。 |
教皇の訪問スケジュール
訪問のテーマ:「心が心に語り掛ける」
9月16日 | |
10:30 | エディンバラ国際空港到着 |
11:00 | ホリールード宮殿でエリザベス女王と歓迎の儀式 |
11:40 | ホリールード宮殿で歓迎レセプション |
13:00 | 聖アンドリューズ・エディンバラ大主教の邸宅で私的な昼食会 |
17:15 | グラスゴー南西部ベラヒューストン公園でミサ |
20:00 | グラスゴー空港からロンドン・ヒースロー空港へ |
21:25 | ヒースロー空港到着 |
9月17日 | |
8:00 | ロンドンの教皇庁大使館で私的なミサ |
10:00 | トゥイッケナムにある聖メアリー・ユニバーシティー・カレッジで、カトリック教育を祝福。運動場付近で児童や学生たちと交流。ヨハネ・パウロ2世の名前を冠したスポーツ施設の落成式 |
11:30 | 同カレッジ内で宗教指導者たちと会合 |
16:00 | ランベス宮殿にカンタベリー大主教を訪問 |
17:10 | ウエストミンスター・ホールで演説 |
18:15 | ウエストミンスター寺院で夕刻の祈り |
9月18日 | |
9:00 | ウエストミンスターのカンタベリー大主教宅でキャメロン首相、クレッグ副首相、ハーマン労働党党首代行の表敬訪問を個別に受ける |
10:00 | ウエストミンスター大聖堂でミサ。広場で2500人の若者と交流 |
17:00 | ボックスホールにある聖ピーター老人ホームを訪問 |
18:15 | ハイド・パークで故ジョン・ヘンリー・ニューマン枢機卿の列福式前夜の祈り |
9月19日 | |
8:00 | ウィンブルドンにある、教皇庁大使邸宅にお別れ |
8:45 | ヘリコプターでバーミンガムへ |
9:30 | バーミンガム到着 |
10:00 | コフトン・パークでジョン・ヘンリー・ニューマン枢機卿の列福式とミサ |
13:10 | 聖フィリップ・ネリ礼拝堂を私的参拝 |
16:45 | オスコット・カレッジで、イングランド、スコットランド、ウェールズ地方の司教たちと昼食 |
18:15 | バーミンガム国際空港でお別れの儀式 |
18:45 | 空港から帰路へ |
22:30 | ローマ・チャンピーノ空港到着 |
Source: www.thepapalvisit.org.uk/2010-Visit/Events-Timeline
英国におけるカトリックへの敵対心
今月16日から4日間の予定で、ローマ教皇ベネディクト16世が英国を訪問する。昨年、ブラウン首相(当時)の訪英招請を受けて実現するもので、前回のローマ教皇の訪問から、28年ぶりのこととなる。
英国では人口の大部分がキリスト教徒だが、英国国教会(チャーチ・オブ・イングランド)の信者が大多数で、ローマ教皇を最高位に置くカトリック教徒は600万人ほどと少数派だ。
英国国教会は、16世紀に当時の国王ヘンリー8世の離婚問題を契機に、ローマ・カトリック教会から離脱する形で発足した。ヘンリー8世はカトリック教の修道院を破壊し、その土地を没収。カトリック教徒にとっては、差別、迫害の時代の始まりとなった。なお、国教会は通常、カトリックから分離したキリスト教諸派「プロテスタント」と分類されている。
カトリックの大国で、絶対王政が続いたフランスやスペインと欧州の覇権争いを続ける中で、プロテスタント国である英国の国民にとって、カトリックといえば単なる宗教の違いのみならず、「国家転ぷくを狙う敵」「絶対王政を成立させようとする布石=止めるべき動き」という見方も出てくるようになった。1605年に発生した、カトリック教徒過激派による火薬陰謀事件は失敗に終わったが、現在でも陰謀の実行責任者の名をとって、「ガイ・フォークスの日」と呼ばれ、イベントが毎年各地で開催されている。そういった背景から、「カトリック教徒=危ないやつ」というイメージは根強く残っている。
カトリック教徒は下院議員になれないなどの制度的差別が撤回されていくのは、1820年代も終わりになってからである。
ベネディクト16世の問題発言
ドイツ出身のベネディクト16世が新教皇になったのは2005年のこと。教皇は避妊、中絶、同性愛に断固として反対の立場をとっており、男女の地位や性に対する考え方がリベラルな英国の社会的価値観とは相容れない一面を持つ。エイズに苦しむアフリカ訪問中に「コンドームはエイズの解決策ではない」と述べたり、イスラム教と暴力を結び付ける発言をしたときは(後者については後に謝罪)、英国内外から批判を浴びた。
また、欧州、米国、オーストラリアなどで明るみに出た、カトリック聖職者による性的虐待問題では、1980年代、ミュンヘン・フライジング大司教だったベネディクト16世が、性的虐待疑惑のあった聖職者をかくまったとする疑いが報道され、世界中に衝撃が走った。
税金の使用に反対の声
今回の訪英にかかる費用は最大で1500万ポンド(約19.5億円)に上るとされ、その約半分をカトリック教会が、残りを国民の税金が負担する。今月上旬、シンクタンク「テオス」が発表した世論調査によれば、76%が「教皇の訪英に税金が使われるべきではない」と答え、79%が訪英に対し「個人的に興味なし」としている。
なんだかお寒い数字だが、ハイド・パークの礼拝イベントには8万人近くが参加する見込み。クールな答えとは裏腹に、訪英を中継するテレビの前に多くの人がかじりつくかもしれない。何世紀も前にカトリックを拒絶した国である英国にやって来るローマ教皇は、果たしてカトリック・フィーバーを起こせるだろうか?
Vatican City
イタリア・ローマ市内にある世界最小の主権国家。イタリア語の名称は「Sato della Cittá del Vaticano」。ローマ教皇庁が統治する、カトリック教会と東方典礼のカトリック教会の総本山。教皇庁トップはローマ教皇で、運営実務は国務長官が務める。公用語はラテン語だが、通常業務はイタリア語が使われる。人口は826人(2009年推定値)で、そのほとんどはカトリックの修道僧である。1929年、独立国家に。軍事力は保持せず、警備はイタリア国家警察が行っている。サン・ピエトロ大聖堂やシスティーナ礼拝堂など、文化遺産の宝庫として知られる。1984年、世界遺産に登録された。(小林恭子)
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