イエメンに訪れた「アラブの春」
アラブ最貧国が遭遇する難局
サレハ大統領の「一時的な出国」で、一段落したとも伝えられるイエメン情勢。しかし、30年以上政権の座にあったサレハ政権の崩壊は、腐敗した独裁体制の終焉なのか、それとも新たな権力抗争や内戦再燃の始まりでしかないのか、その答えは依然として未知数である。
主要対立勢力分布とデモ発生地
写真右)6月3日、政府軍の侵入を防ぐため、反体制派により
路上に石を並べられたイエメン西部タイズの街
Picture by: Yemen Lens/AP/Press Association Images
イエメン年表
南北国家誕生 | ||
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1918年 | オスマン・トルコからイマーム王国(北イエメン地域)が独立 | |
1962年 | イマーム制廃止によりイエメン・アラブ共和国(旧北イエメン)が成立。国民全体会議(GPC)による単独支配となる | |
1967年 | 英国から南イエメン人民共和国が独立 | |
1968年 | 南イエメン人民共和国でマルクス・レーニン主義を標榜する社会主義政権が誕生。イエメン社会党(YSP)一党独裁下でソ連型の国家体制が成立 | |
1970年 | 南イエメン人民共和国がイエメン人民民主共和国に改名 | |
南北対立 | ||
1972年 | 南北イエメン抗争が勃発 | |
1978年 | イエメン・アラブ共和国にサレハ大統領が就任 | |
1990年 | 南北イエメンが統合(1989年アデン合意)。イエメン共和国が成立し、サレハ大統領が就任 | |
1994年 | 南イエメンが分離・独立(イエメン民主共和国)を宣言。南北対立が再燃するも、北部勝利で統一を維持 | |
1999年 | イエメン初の大統領直接選挙でサレハ大統領が就任 | |
テロとの戦い / 北部抗争と南部分離運動 | ||
2000年 | アデン湾に停泊中の米ミサイル駆逐艦「コール」に対する自爆テロ攻撃が発生(国際テロ組織アルカイダによる犯行)。また在イエメン英国大使館で爆発事件発生 | |
2004年 | サレハ政権と北部反政府勢力ホーシー派の抗争勃発 | |
2007年 | カタールの仲介により政府側とホーシー派の間に停戦合意が成立。南部諸州(旧南イエメン)における分離運動(デモ・暴動)が発生 | 2008年 | ソマリア沖海賊及びソマリア難民問題、及び政府や外国公益法人などに対するテロ攻撃が発生 |
2009年 | 「アラビア半島のアルカイダ(AQAP)」が発足し、南部分離運動を支持表明。北部山岳地帯でホーシー派武装蜂起が勃発し、政府軍との抗争が激化 | |
反政府抗議デモ | ||
2011年 | ||
1月 | 現行の大統領7年2期制を廃止し、5年任期制へ移行する憲法修正案を与党が支持。この変更により、事実上、2013年以降も再選すればサレハ大統領の終身任期が可能に。サレハ大統領の即時退陣を求める反政府抗議デモが発生 | |
2月 | サレハ大統領が2013年大統領選挙への不出馬、権力の世襲の否定などを表明するも即退陣は拒否 | |
3月 | 湾岸経済協力会議(GCC)諸国が刑事訴追免除と引き換えにサレハ大統領の辞任を提案。同大統領はこれを拒否 | |
4月 | GCC諸国が再度退陣を要求。サレハ大統領は、1カ月以内にハディ副大統領への権力移行を約束するも署名拒否。有力部族ハシド族などが反政府デモ隊への支持を表明 | |
5月 | 南部アブヤン州都ジンジバル(旧南イエメン首都)をAQAPが占拠。政府軍とハシド族部族側が停戦合意するも戦闘を再開 | |
6月 | 大統領宮殿のモスクが砲撃され負傷したサレハ大統領がサウジアラビアへ搬送(同攻撃で7人死亡)。大統領代行ハディ副大統領からハシド族に停戦を申し入れ、部族側も同意 |
サレハ大統領の進退
6月3日、イエメン首都サヌアの大統領宮殿に対する砲撃で負傷したサレハ大統領が、治療のためサウジアラビアへ搬送された。同日、ヘイグ英外相は、反政府勢力デモ隊と政府軍の衝突が激化し、情勢悪化の一途を辿るイエメン情勢を踏まえ、在イエメン英国人に対して、民間機が運行している間に即時退避するよう警告した。数日後、英国人退避に備え、英海軍補給艦がイエメン南部アデン湾沖に停泊を開始したと見られる。
サウジアラビアで治療中のサレハ大統領が音声声明を発出するなどを受けて、政権側は同大統領が近々イエメンに帰国するとしている。一方、反政府デモ隊と野党側は、全治数カ月の同氏がこのまま「亡命」することで、とりあえずの決着がついたと歓喜に沸いている状況にあり、大統領の進退における認識の違いがみられる。また英・米政府は搬送先のサウジ政府に対し、サレハ氏に早期退陣と権限移譲を説得するよう要請するなど、イエメンに訪れた「アラブの春」が、夏に持ち越される前に事態を収束させたい構えだ。
脆弱国家イエメンの苦悩
本年1月2日、チュニジア革命の2週間前、サレハ大統領の終身任期を可能とする憲法修正案に抗議する反政府デモが発生した。その後、北アフリカ革命の影響で民主化デモに拍車が掛かったが、イエメン情勢は以前から常に不安定な状況にあった。アラブ最貧国イエメンは、1970年代から続く南北抗争によって疲弊状態に陥って おり、特に2000年以降は、北部サアダ州を拠点とするシーア派の分派ザイド派に属する反政府勢力ホーシー派と政府軍の間で武力抗争が頻発し、更には南部(旧南イエメン)における分離運動も活発化するなど、国家の脆弱化が進んだ。
そんな中、2009年には「アラビア半島のアルカイダ」が発足し、先月、遂に南部アブヤン州都を占拠した。追い詰められたサレハ大統領が意図的に南部要所をイスラム過激派に明け渡した疑いも浮上しており、自らの退陣はイエメンでのテロ活動の活性化を誘発すると警告してきた同氏による国際社会への腹いせとの見方もある。
部族社会とサウジ王家
部族慣習が今も根強く残るイエメン社会では、国家以前に所属部族に対する忠誠心が高く、中央政府による国家統治の実現には程遠い。北部ではホーシー派が勢力拡大を見せる一方で、政治的影響力を有する2大部族連合(ハシドとバキール)の部族長らが民主化デモ隊への支持を表明するなど、サレハ政権の維持基盤が崩 壊しつつある中、今後、部族間や現政権内部における権力争いも懸念される。
また、イエメンとの間で領土や部族問題を抱えるサウジ政府が、地方の有力部族と独自のルートで連絡を取り合い事態の収束を図っているとされる。実質的に、サレハ大統領を手中に収めたサウジ政府は、ハディ副大統領を中心とする権限移行と早期安定化を促し、南北内戦再燃を阻止したい意向であるとみられる。しかし、サレハ大統領がこのまま「亡命」し、イエメンに新政権が誕生したとしても、サウジ王家による内政遠隔操作の正当性を疑問視する部族が必ず出てくるだろう。
Tribal Society
イエメンには2大部族連合ハシドとバキールがあり、両連合に所属する部族は計25以上。また、イスラム教宗派ではスンニ派(全人口の約6割)と、北部山岳地帯に多いシーア派ザイド派(全人口の約4割弱)に分かれる。そのほか、アラブ系2大部族のアドナーンとカハターン部族、少数民族ではインド系、ユダヤ系などがある。国 家と部族間には一定程度のパワー・バランスが保たれ、政府による有力部族に対する懐柔政策により、一部の部族長などによる政治的影響力が大きい一方、部族間及び同部族内における政治・経済的格差も大きい。(吉田智賀子)
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