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Sun, 22 December 2024

第48回 ウィリアム・シェークスピア

ウィリアム・シェークスピア

青春の愛の聖典と呼ぶべき「ロミオとジュリエット」から、有名な夜のバルコニーのシーン。ロミオが庭に来ているとは知らずに、ジュリエットの口から愛の独り言が洩れる。「おおロミオ、ロミオ。あなたは何故ロミオなの?」。この天下に知られた名セリフのすぐ後で、今回の言葉が登場する。キャピュレット家の令嬢ジュリエットにとって、問題となるのは、自分の愛した男が背負う、モンタギュー家のロミオという名前だけ。愛するかの人は、家同士が対立するモンタギュー家の一員でなくても、間違いなくかの人なのだから。

世の常識のレベルで言えば、名前というものは大切なものである。いい加減に扱えるものではない。自分の名前を間違って呼ばれて、嫌な気にならない人はいないだろう。名前がかように大切なのは、そこに個人のアイデンティティが宿るからだ。私の知人の英国人で、いくらたっても私の名前が正しく発音できない人がいて、だったらチャールズとでもウィリアムとでも英国名をつけて呼んでくれと冗談半ばに提案したところ、それはダメだとして、言いにくそうに顔を歪めながら何度も我が名を練習していた。おそらく、かつて世界中の植民地で現地の子供を英国流の名前で「教育」してしまった過去への悔恨や反省があるのだろう。我が名の発音はその後も進歩しなかったが、その志、精神や大いによしである。

名前は大切。だが同時に、人として肝心なのは中身だよというような気持、覚悟が一方にあると、生き方に余裕が生まれて、元気が出る。名前だけじゃない。国籍、人種、大胆に言えば、これらは皆、「外面(そとづら)」でしかない。人は、「外面」は選べない。モンタギュー家に生まれるもキャピュレット家に育つも、自分の意志のあずからぬ運命としか言いようがない。だが、「外面」を超えて、大事なものが人間にはある。それが、本質というもの。ジュリエットの言う如く、バラの花の芳香は、「Rose」と呼ぼうが「薔薇」と記そうが、その美しさの本質に変わりなどない。肝心なのは、薫ること。本質を磨き、輝くこと。

ロミオとジュリエットの愛は、それぞれが属した「家」という「外面」を超えた。たとえ現実には、死によって幕を下ろすことになっても、心に壁を認めぬふたりの至純の愛は、シェークスピアの筆によって、永遠の生命を得た。名前が代表する「外面」に縛られることなく、人は本質にこそ輝き、自由に生きたいものだ。

 

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