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Sat, 23 November 2024

第113回 先を読む力—声なき声を聞き、それに向き合うこと

先を読む力

企業の環境投資、または環境を謳った商品が盛りだ。米国や日本政府の景気刺激策も、「エコ」という名目をつけないと正当化できない状況になってきている。米国の消費者の貯蓄率が高まる一方、企業家の投資意欲が全く盛り上がってこない中で、環境のための研究開発、資源節約への投資、公害防止を目的とした投資だけは衰えが見えない。日本の名立たる企業の工場では、もう煤煙は出ていない。煙に見えるのは蒸気だ。排水も飲めるようにしてから海に流している。リサイクルの技術なども詳細を極めている。

こうなったのは、70年代の公害の経験と以後の厳しい社会立法による。それでも、レイチェル・カーソンの著書「沈黙の春」の初版は1962年、立花隆の「エコロジー的思考のすすめ」ですら1971年で、もう半世紀近くも前の本で述べられた思想がようやく今になって社会を動かしていることになる。日本で公害が社会問題となったのは70年代だ。またドキュメンタリー映画「不都合な真実」で知られるアル・ゴアは、70年代から温暖化問題に取り組んでいる。企業が動き出すには時間がかかる。行政や政治問題になるのには、もっと長い時間がかかる。

似たような話が、アスベスト(石綿)による肺がん問題だ。日本の外科医は、既に60年代には造船所や建築現場で働く人々の肺の変化に気付き、警告論文を発表していたが、当時は炭鉱の塵肺問題しか行政や医学会は取り上げなかった。90年代にようやく社会問題となり、日本の法律で製造全面禁止となるのは2006年である。インドでは建築資材などにおいて未だアスベストの使用が禁じられておらず、その発がん性が十分に認識されていない。だから現場でアスベストを扱う労働者たちも、ただ埃よけの簡単なマスクや布で顔を覆っただけで、平気な顔をして働いている。またカナダの鉱山会社は大量のアスベストをインドに輸出している。いずれ中国、インドで問題となることは必至だ。それでも日本でこの問題解決をライフワークとした政治家を知らないし、中国やインドにもいないのではないか。

今の社会で起きていること

今では病院で肺病と言えばアスベストというほど、研究者も多いし、日英の医療費も大きく予算が割かれている。それはそれでいいのだが、世間ではマスコミ、企業、行政、政治が考えるよりもっと速く、深く、いろいろな事態が進行していると考えた方がいい。統計の結果を待っていては遅すぎる。声なき声を聞いたら、すぐに調べ、統計を作るべきなのだが、どうしても個別問題の発生と社会的認知にはラグが生じてしまう。現場のプロの直観や小さなニュースにこそ、大きな種が潜んでいることが多いと感じる。

現在、日英の企業での大きな問題は、社員の精神疾患の増加だ。日英の高校に心理カウンセラーがいる時代となり、精神疾患はもはや小さな問題ではなくなっている。どの企業の人事担当者も、この問題で頭が痛い。英国のオックスフォードやケンブリッジでも、学生の精神疾患には相当な対応をしていると聞く。

この問題が今後は第2の環境問題になっていくことは、もはや確実と思える。それでも今度日本で行われる総選挙において、この問題の解決をマニフェストに掲げる政党はないようだ。小さな出来事が大きな問題の種になるまでの間隔を埋めるための政治の貧困を、強く感じざるを得ない。

社会の負債としての精神疾患

当然、問題は企業に留まらない。米国での抗うつ薬使用量はこの10年で倍増しているし、英国における精神疾患による強制入院の数は、1996~2006年の間に1年あたり20%上昇している。日本で発生した、精神的に抑圧された人による様々な事件については言うまでもあるまい。

資本主義が、世の中のニーズを金銭的評価に変えて、問題を解決していく制度だとすると、アフリカの開発は地理的な最先端であるし、ITはコミュニケーション・コストやコミュニケーションのあり方の最先端である。一方でこうした精神疾患者の増加は、企業や社会の負債の最先端だ。この領域は、環境以上に難しい。小生も素人なので、自らの経験からしか言えないが、精神疾患が人間の心の問題であるために会社や医療の介入が宗教や信条と摩擦を起こしやすいこと、英米では会社が産業医を持つことが義務ではなく、また義務となっている日本でも産業医という医療分野が確立されたとは言いがたいことなどが原因である。政治の構想力は、もっと先を読むべきだと思うが、如何思われるであろうか。


(2009年8月17日脱稿)

 

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