リーチ工房ダイレクター
ジュリア・トムローさん
[ 後編 ] 閉鎖の危機を乗り越えて、過去と未来が交錯する場所へと生まれ変わったリーチ工房。だが、陶芸家バーナード・リーチが残した手仕事の伝統を受け継ぎ、未来へ橋渡しを行うという理想を、現実の世界で実現するのは決して簡単ではない。盤石な運営モデルの模索を続けるリーチ工房ダイレクターの戦略とは。全2回の後編。
じゅりあとむろう - 1966年10月14日生まれ、イングランド南西部コーンウォール出身。舞台俳優として活動した後に芸術コンサルタントに転身。劇場運営などの経験を経て、リーチ工房のダイレクターに就任した。リーチ工房の開設者である英国人陶芸家のバーナード・リーチは、彫刻家の高村光太郎や、宗教哲学者の柳宗悦を始めとした「白樺派」に参加する日本の芸術家たちと深い交遊を持ったことで知られる。同工房は2005年に閉鎖の危機に直面するも、各方面からの支援を受けて2008年に運営を再開。現在は工房や博物館の機能を併せ持った多文化施設となっている。
www.leachpottery.com
多文化施設として運営する意味
戦前に日本の芸術家たちと深い交流を持った英国人陶芸家バーナード・リーチがイングランド南西部セント・アイブスに建てたリーチ工房は現在、様々な側面を持つ多文化施設として運営されている。まずは今も稼働中の工房、そしてユニークな歴史遺産として。さらには地元の学生たちに向けてのワークショップを開催する教育施設や、地域社会を活性化させるための観光施設としての役割もある。リーチ工房のダイレクターであるトムローさん曰く、「これらの側面すべてが必要」。こうした運営形態が「過去・現在・未来が交錯する場所」という概念的な魅力を生むことに加えて、財政的にも理にかなったものであると語る。工房で製作した陶器の売上、政府からの助成金、ワークショップの参加費や施設への入場料さらには地元や日本の有志者からの財政的支援など、様々な分野から少しずつ収入を得る構図になっているからだ。
リーチ工房では4人の職人が精力的に作陶している
組織というものは、いったん何かに依存してしまうと弱い。折しも英国では「歳出削減」の大号令の下で、政府が芸術分野への助成金の支出見直しを行っている真っ最中。また工房は僻地に置かれているので端から大集客を当て込むことはできない。そして工房のまさに生命線である陶器に関しても、過当な価格競争に巻き込まれることなく、良い品質のものを良心的な価格で販売していくためには、多角的な経営が要となるのだ。
大切な歴史を守るための実験
再建したリーチ工房の運営に当たって、トムローさんが最も頭を悩ませているのが、「過去」といかに接するか、だ。「『伝統』を扱うのって、すごく難しい」。つまり、「何を残し、何を変えるか」の判断を絶えず迫られているのである。
そもそも、バーナード・リーチが生きた半世紀前とは、陶器の使い方が異なる。例えば「スープ・ボウル」と呼ばれる形態の洋食器は、現代の英国ではほとんど使われない。だから、現代人の使用にも耐える機能美を備えた陶器づくりに注力するとの方針を定めた以上、スープ・ボウルの製作には手を出さないが、そのデザインを生かした球体の陶器には挑戦してみるという具合に試行錯誤を続けている。
トムローさんの話し方で特徴的なのは、歴史を語る際に「実験」という言葉を多用することだ。歴史とは何も旧態依然を意味するわけでもなければ、革新のためだけに実験があるわけでもない。「大切な歴史を守るために、実験し続けることが何よりも大事」。そうした考えに基づいて、リーチ工房では陶器職人たちのリーダーを務める「リード・ポター」を新たに任命したばかり。そしてその人物こそ、1960年代にバーナード・リーチの指導の下で徒弟として働いていた経験を持つ職人なのである。
伝統を受け継ぎながら機能美をも備えたリーチ工房の製品
リーチは手仕事の尊さを説いた。その姿勢は、大量生産が本格化する一方であった1970~80年代にかけては古く意固地な考えとして受け止められていたが、21世紀になって手作りに対する人々の見方は大きく変わった。編み物、アンティークの修理、野菜栽培と、世の中は手作りブームで活況を呈している。歴史を新しく再生するためのヒントはたくさん転がっている。
「世界各国の職人をリーチ工房に呼び寄せること。来客名簿に書かれたメッセージに目を通すこと。地元の人々に、ドライブがてら工房に寄ってみたんだ、と言ってもらえること。そして、そんな毎日がずっと続くこと。それが私の夢」。英国と日本、過去と未来に夢の橋を架けるための作業は、今日もセント・アイブスで続けられている。