「春画展」のキュレーター
ティム・クラークさん
[ 後編 ] 江戸時代を生きる庶民たちの間で流行したという、性行為の様子などを赤裸々に描いた「春画」。この春画を集めた展示会が、世界中から観光客が押し寄せる大英博物館で10月より開催される。本展示会を実現させた英国人キュレーターは、いかにして日本文化と出会い、そして造詣を深めていったのか。全2回の後編。
ていむくらーく - 1959年生まれ、イングランド東部ハートフォードシャー出身。米ハーバード大学の博士課程で日本史を研究した後、学習院大学に研究生として留学。1987年に大英博物館の職員となり、2003年より現職である大英博物館アジア局日本部門長に。10月初旬より大英博物館で公開される春画展のキュレーターを務めるほか、浮世絵をテーマとした著書なども発表している。
Shunga: Sex and Pleasure in Japanese Art
10月3日~2014年1月5日 £7
10:00-17:30(金は20:30まで)
The British Museum
Great Russell Street, London WC1B 3DG
www.britishmuseum.org
幼少時に見た浮世絵がきっかけに
大英博物館で開催される春画展のキュレーターを務めるティム・クラークさんは、英国で指折りの日本文化研究者である。学生時代には名門中の名門として知られる米ハーバード大学の博士課程で日本史の研究を行い、現在も日本美術をテーマとした著書を発表するなど精力的な活動を展開。大多数の日本人にとっては、中等教育における日本史の授業以外ではまともに見たことさえないかもしれない浮世絵に関する造詣も深い。一人の英国人が日本通となるまでには、どのような経緯があったのだろうか。
クラークさんと浮世絵との出会いは早い。幼いころから既に日本文化全般に興味を持っていたという彼は、12歳前後のとき、両親の友人から武者絵(武者の姿や合戦の様子を描いた浮世絵の一種)の木版画を受け取る。子供用としては一風変わったこのプレゼントが、クラークさんの好奇心に火をつけた。以後はお小遣いで浮世絵のカードやポスターを買い集めるようになったのだという。「ロンドンのお店によく出掛けていました。浮世絵のカードは世界中のあらゆるところで、しかも子供のお小遣いで買えるような値段で購入できるのですよ」。幼少時のクラークさんは、まさにほかの子供たちがプラモデルやゲームを買うような気持ちで浮世絵と接していたのだ。思春期には春画も目にしている。意外なことに、春画は英国の美術展において決して珍しくない題材なのだそうだ。「私が15、6歳のときに、ロンドンのヴィクトリア & アルバート美術館で開催された浮世絵展で春画が展示されていました。そこに描かれているものを見て最初は大変驚いたけれども、そのほかの展示品と一緒に並べられている様子がとても自然に感じられたのも事実です」。やがて日本語と日本文化を本格的に学ぶようになり、現在の職に就くことになった。「つまりは趣味が仕事になったというわけですね」。貴重な浮世絵コレクションを多数抱える大英博物館の日本部門での職務は、彼にとってまさに夢のような仕事だったに違いない。
江戸時代の浮世絵師である杉村治兵衛が描いた春画
春画が開く新たな世界
幼少時の憧憬が、その後の人生で没頭した研究活動を通じて得た体系的な知識とつながったことで、新たな世界が開けた。今回の春画展についてクラークさんに問うと、春画の出版を禁止した享保の改革の実態から、春画の主要な流通手段として機能した貸本屋ネットワークの仕組み、欧州の美術界を相手取った当時の日本人画商の活動ぶりまで、春画にまつわる様々な物語が紡ぎ出される。一つの事物を歴史的または文化的な文脈に位置付けることで新たな意味合いを生み出していくその語り口は、まさにキュレーターとしての真骨頂だ。
春画を通じて開けてくる世界は、歴史という縦軸に沿ったものだけではない。春画展のプロジェクトを通じて、既に19世紀から春画の収蔵を始めていたという大英博物館、ロンドン大学東洋アフリカ研究学院(SOAS)、国際的な枠組みで日本文化の研究を行う国際日本文化研究センター、同分野において精力的な研究活動を行う立命館大学などとの密接な協力関係が生まれた。そして日英で学術セミナーを開催し、世界各国の研究者たちの英知を結集させることでこの春画展を実現させたのである。
埋もれていた歴史を掘り返すと同時に、現代を生きる人々をつないでいく様は、春画を定点として縦と横に広がっていく直交座標のようだ。そして、クラークさんがその一部となったそれぞれの座標軸は、展示会を通じて春画への関心を喚起することで、まだまだ遠くへと延びていく可能性を秘めている。
大英博物館の中心に位置するグレート・コート