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Fri, 19 April 2024

英国人が生んだ、心に響く名言・格言よりどり語録

早いもので今年も残りわずか。1年を振り返り、大切な人を想い、新たな年に期待を寄せ……と、何かと思いを巡らすことが多いのではないだろうか。そこで今回は、このシーズンにぴったりの心温まる一言から、一読して思わずハッとする格言まで、英国の歴代著名人らが放った名言、格言を、人物プロフィールとともにキーワード別にご紹介。1人しみじみ噛み締めるも良し、話の種にするも良し。先人たちの知恵と経験から生まれた珠玉の言葉を味わおう。(黒澤里吏)

Famiy Home

The love of a family is life's greatest blessing.
家族の愛こそが、人生最大の恩恵である。
チャールズ・ディケンズ

I have a young family and for the next few years
I should like to devote more time to them.

私には築いてまもない家族がおり、この先、数年は
彼らのためにもっと時間を取りたいと思っているのです。

ノーマン・ファウラー Norman Fowler(1938-)
政治家

保守党の政治家。1987〜90年の間、サッチャー内閣において雇用問題担当相を務めた。家族とより多くの時間を過ごしたいという理由で辞任した政治家は、彼が初めてである。ファウラーの場合はこの発言に偽りはなかったが、後に、他の政治家が辞任の際にこの理由を掲げて、煙幕を張るという例が何度か見られた。ちなみにこの発言に対し、時の英国首相サッチャーは「今回の辞任は、もちろん言うまでもなく非常に残念ですが、家族ともっと多くの時間を過ごせるようにしたいと望むお気持ちは理解します」とコメントしている。

Many a man who thinks to found a home discovers that he has merely opened a tavern for his friends.

家を持つことが出来た男の多くが、
単に友人たちのための居酒屋を開いたに過ぎなかったと
後で気付く。

ノーマン・ダグラス Norman Douglas(1868-1952)
小説家、エッセイスト

オーストリア生まれの英国人作家。英国、ドイツで教育を受けた後、外交職に就くが、何らかの不祥事があったと見られ、退任を余儀なくされる。その後、結婚、離婚を経験。イタリアとロンドンで多くの時間を過ごし、文芸誌「The English Review」で働きながら執筆活動に専念するが、1916年、16歳の少年に淫らな行為を働いた容疑で逮捕される。本人は無罪を主張、裁判にも現れなかったため国外追放となり、その後、イタリアやフランスなどで暮らす。代表作にイタリア沖の架空の島を舞台にした小説「South Wind」などがある。

There is no such thing as society.
There are individual men and women,
and there are families.

社会のようなものはありません。
あるのは個人と家族だけです。

マーガレット・サッチャー Margaret Thatcher(1925-)
政治家

1979年に女性として初めて保守党党首及び首相に就任。90年までの11年間、3期連続で任務にあたり、新自由主義に基づく経済政策を推進し、疲弊していた英国経済を復興させた。また、その保守的かつ強硬な姿勢から「鉄の女」と呼ばれた。同語録は英国で最も有名な女性向けライフスタイル誌の1つ「Woman's Own」の87年9月23日号掲載のインタビューより抜粋。生活における個人的な問題を社会の問題として一括りにし、政府に責任をなすりつける国民に対して「責任を無視して権利だけ主張してはいけない。自分の面倒は自分で見る義務がある」と喝を入れた。

The Family –– that dear octopus from
whose tentacles we never quite escape.

家族とは、愛しきタコのようなもの。
その絡みつく足からは、なかなか逃げることができない。

ドディー・スミス Dodie Smith(1896-1990)
作家

ランカシャー州ホワイトフィールド出身の小説家、劇作家。1948年に小説「カサンドラの城」でデビューして以来、数多くの著作を残している。なかでもディズニー映画「101匹わんちゃん」の原作本となる1956年発表の「ダルメシアン」が有名。ちなみに上記の名言はこれで終わっておらず、「nor, in our inmost hearts, ever quite wish to(そればかりか、心の奥底では逃げたくないとも思っている)」と続く。

Christmas, Happiness, Hope

Hope for the best, but prepare for the worst.
最高を目指して希望を持ち、最悪に備えて準備せよ。
英国の諺

There is this difference between happiness and wisdom: he that thinks himself the happiest man, really is so; but he who thinks himself
the wisest, is generally the greatest fool.

幸せと賢明さ、この2つの違いは、
自分が最も幸せだと思っている人間は本当に幸せだが、
自分が最も賢いと思っている人間は
大抵、大馬鹿であるという点である。

チャールズ・カレブ・コルトン Charles Caleb Colton(1780-1832)
牧師、著述家、収集家

知る人ぞ知る格言集「Lacon」の著者。デヴォン州ティヴァートンの教区で補助司祭となり、同地で長年暮らすが、聖職者としてはやや風変わりなところがあり、1828年に職務から離れる。米国を旅した後、パリに住居を構えてアート・ギャラリーを開設。後に、ギャンブルで多額の富を得るが、破産する。晩年は近親者の援助でどうにか暮らし、病を患って手術の必要を言い渡されるがこれを拒否、自ら命を絶った。20世紀以降、著名な格言集などでその名言を最も多く読まれている人物の1人である。

Extreme hopes are born from extreme misery.

究極の希望は、究極の苦難から生まれる。

バートランド・ラッセル Bertrand Russell(1872-1970)
論理学者、哲学者

アリストテレス以来、最も偉大な論理学者の1人と評され、「ラッセルのパラドックス」をはじめとする数々の逆説を発見、またその解決法を探求した。1950年には哲学者としての多様な著作群が評価され、ノーベル文学賞を受賞している。かの有名な物理学者アルベルト・アインシュタインとも親交があり、1955年には核兵器廃絶、科学技術の平和利用を訴えた「ラッセル=アインシュタイン宣言」を発表した。祖父は19世紀半ばに2度、英国首相を務めたジョン・ラッセル。

Happy, happy Christmas, that can win us back to the delusions of our childhood days, recall to the old man the pleasures of his youth, and transport the traveler back to his own fireside and quiet home!

楽しい、楽しいクリスマス!
子ども時代の幸せな記憶を蘇らせ、
また老人は若き日の喜びを思い出す。
そして旅人たちは、それぞれの穏やかな家へと帰ってゆく。

チャールズ・ディケンズ Charles Dickens(1812-70)
作家

ヴィクトリア時代を代表する小説家。事務員などを経た後、目指していた記者の仕事を得て本格的に執筆活動に入り、2作目の小説「オリバー・ツイスト」で作家として高く評価され、以後、続々と著作を発表。なかでも代表作「クリスマス・キャロル」は、クリスマスを賑やかに祝福することが少なくなっていた当時の世に、再び祝祭の風潮をもたらしたと言っても過言ではない作品だ。

To love means loving the unlovable.
To forgive means pardoning the unpardonable.
Faith means believing the unbelievable.
Hope means hoping
when everything seems hopeless.

愛するとは、およそ愛せないものに愛を注ぐこと。
許しとは、許されざるものを容赦すること。
信頼とは、信じ難いものを信じること。
そして希望とは、すべてが絶望的に見えるときに
望みをかけること。

ギルバート・キース・チェスタートン
Gilbert Keith Chesterton(1874-1936)
作家、詩人、ジャーナリスト

ロンドン、ケンジントン生まれ。報道から哲学、詩、ファンタジー小説、推理小説まで幅広い分野において数多くの作品を生み出した、20世紀の英国を代表する作家の1人。独自の視点が冴える文体により「パラドックスの王子」と評され、逆説を用いた名言、格言も多い。著作は書籍80冊、詩編数百本、短編200本前後、そしてエッセイに至っては4000本前後と、膨大な数に及ぶ。主な作品に探偵小説「ブラウン神父」シリーズや「チャールズ・ディケンズ」などの伝記シリーズなどがある。

ちょっとひねくれた「幸福」の名言

I can sympathize with people's pains,
but not with their pleasures.
There is something curiously boring
about somebody else's happiness.

苦しみには共感できるが、喜びには 共感できない。
他人の幸せというのは、何か妙に退屈なものがある。

オルダス・ハクスリー Aldous Huxley(1894-1963)
作家

偉大な科学者を多数輩出したハクスリー家の一員。医者志望で名門私立校のイートン校に入学するが角膜炎を患い、一時失明状態となったため断念して退学する。その後、オックスフォード大学で英文学と言語学を学び、17歳の時に初の小説を書き上げ、20代で文壇デビュー。後に神秘主義に傾倒し、自ら幻覚剤の実験体に名乗り出て、この時の体験を基に「知覚の扉」を上梓した。

Happiness is a perpetual
possession of being well deceived.

幸福とは、巧みに騙されている状態が
万年続いていることである。

ジョナサン・スウィフト Jonathan Swift(1667-1745)
風刺作家、随筆家

名作「ガリバー旅行記」があまりにも有名な、英国系アイルランド人の司祭、風刺作家、随筆家。ダブリン大学で学士号を取得後、1688年の名誉革命の勃発により政治的不安が高まったのを機に英国へ渡る。母の遠縁である当時の英国国教会の大主教であったウィリアム・テンプル卿のもとで秘書を務め、後にオックスフォード大学で修士号を取得する。その後は、アイルランドに戻って聖職者となるが、数年後に再びロンドンへ舞い戻り、編集、執筆活動を開始する。1704年に小説「桶物語」を発表した。

Scarcely one person in a thousand
is capable of tasting the happiness of others.

他人の幸福を味わえるという人は、
1000人に1人もいない。

ヘンリー・フィールディング Henry Fielding(1707-54)
小説家、劇作家


18世紀を代表する偉大な作家であり、「英国小説の父」との異名を持つ。イートン校で学んだ後、ロンドンで劇作家として活動していたが、政府の劇作家に対する言論統制が厳しくなったため弁護士に転身。同時に小説を書き始め、隔週誌の編集長なども務める。ユーモアと風刺の効いた作風で知られ、1749年発表の代表作「捨て子トム・ジョーンズの物語」は、後に「ホテル・ニューハンプシャー」のトニー・リチャードソン英監督により映画化された。

Friend, Love

Oh, 'tis love, 'tis love that makes the world go round.
愛が世界を回している。 ルイス・キャロル
(「不思議の国のアリス」より)

If a man does not make new acquaintance
as he advances through life,
he will soon find himself left alone.
A man, Sir, should keep his friendship
in contestant repair.

人生において新しい知人をつくらずにいると、
やがて1人ぼっちになるだろう。
友情は常に修復し続けなければならない。

サミュエル・ジョンソン Samuel Johnson(1709-84)
詩人、評論家、編集者

英国で初めて本格的な英語辞典2巻を個人で編纂したことで知られ、その業績は計り知れない。ロンドンのストランド近くに、その英語辞典を完成させた「ジョンソン博士の家」が今も残っている。シェイクスピアの研究にも打ち込み、戯曲集を刊行。小説や随筆なども手掛けるなど、精力的に活動した。26歳の時、20歳年上で未亡人のエリザベス・ポーターと結婚。膨大な数の語録を残しており、「信頼なくして友情はない。誠実さなくして信頼はない」なども彼の名言の1つ。

Friendship is love without his wings!

友情とは翼のない愛である。

ジョージ・ゴードン・バイロン(バイロン卿)
Lord Byron(1788-1824)
詩人

19世紀を代表するロマン派詩人。ケンブリッジ大学に入学するも勉学を怠り、放埒な日々を過ごす。その後2年間、欧州を旅し、その時、綴った長編詩「チャイルド・ハロルドの巡礼」を帰国後に発表、話題を呼ぶ。甘いマスクを持つバイロン卿は数々の浮き名を流し、自らの恋愛遍歴をロマンチックな詩文にしたためていった。しかし、既婚者の異母姉との不倫をはじめ、数々の奔放な恋愛の結果、周囲から激しい非難を浴び、欧州大陸へと旅立つ。1816年に英国を離れたバイロン卿が再び祖国の地を踏むことはなかった。

Friendship is constant in all other things save
in the office and affairs of love.

友情は通常、不変だが、恋愛沙汰となると別である。

ウィリアム・シェークスピア William Shakespeare(1564-1616)
劇作家

1598〜99年ごろに初上演され、以来、現在に至るまで幾度となく再上演されている傑作喜劇「空騒ぎ」の中の名ゼリフ。舞台はシチリア島メッシーナ。知事レオナートの1人娘、ヒーローに恋したクローディオ伯爵が、仮面パーティーで悪人ドン・ジョンとその家来ボラチオにハメられ、ヒーローが浮気をしていて別の男と逃げるとの、でっちあげの事実を耳にする。ヒーローに恋するあまり、この嘘を真に受けたクローディオ伯爵が発する一言が、これ。

If I had to choose between betraying my country
and betraying my friend,
I hope I should have the guts to betray my country.

祖国と友人のどちらかを欺かなければならないとしたら、
祖国を欺く勇気を持てる自分でありたい。

E.M.フォスター E. M. Forster(1879-1970)
小説家

建築家の父のもと、ロンドンで生まれる。ケンブリッジ大学卒業後、古典文学者のG.L.ディキンソンと共に各国を旅し、その経験から処女作「天使も踏むを恐れるところ」などが生まれた。ヒューマニストとしての視点から、階級や性別など異なる状況や価値観における格差について書かれた作品が多く、代表作である「眺めのいい部屋」「ハワーズエンド」「モーリス」は、いずれもジェームズ・アイボリー監督により映画化されている。

Oh I get by with a little help from my friends,
Mm, I get high with a little help from my friends.

なんとかするさ、友達にちょっと助けてもらって。
ハイになるんだ、友達にちょっと助けてもらって。

ジョン・レノン & ポール・マッカートニー
John Lennon(1940-80) and Paul McCartney(1942-)
ミュージシャン

ビートルズ通算8作目のアルバム「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」に収録されている1曲。曲のクレジットはジョンとの連名となっているが、主にポール・マッカートニーによる作品である。ヴォーカルを担当するのはドラマーのリンゴ・スターで「僕が音程を外して歌ったら、どう思う?僕を見放してしまうのかい?友達に助けてもらって、なんとかするさ!」という、なんとも微笑ましい歌詞を大らかに歌い上げている。

She who has never loved, has never lived.

一度も愛したことがない人は、死んでいるのと同じだ。

ジョン・ゲイ John Gay(1685-1732)
詩人、劇作家

3幕からなる風刺的なバラッド・オペラ「ベガーズ・オペラ」の作者として知られる。同作品は1728年に書かれて以来、現在に至るまで人気を誇る名作戯曲。初演は当時最長の62夜というロングラン上演を記録、また1920年の再演時にはロンドンで1463回という前代未聞の記録を残し、以後の英国喜劇や現代のミュージカルにも影響を与え続けている。詩人アレキサンダー・ポープやジョナサン・スウィフトとも親交があり、楽しく陽気でいて風刺の効いた作風が愛された。

The love of Liberty is the love of others;
the love of power is the love of ourselves.

自由への愛は他者への愛であり、
力への愛は自身への愛である。

ウィリアム・ハズリット William Hazlitt(1778-1830)
評論家、随筆家

19世紀の英国ロマン主義時代に活躍した評論家で、文法学者、哲学者でもある。文芸評論から随筆まで数多くの著作があり、大胆でややもすれば過激な批評を展開。スタンダール、サミュエル・テイラー・コレリッジ、ウィリアム・ワーズワースなど同時代の偉大なる作家たちとも懇意にしていた。英語圏においてはサミュエル・ジョンソン、ジョージ・オーウェルと並ぶ最も優れた評論家かつ随筆家の1人と見なされている。和訳されている著書に「イギリスの故事 増補」などがある。

Love is not in our choice but in our fate.

愛とは自身の選択ではなく、運命によって定められている。

ジョン・ドライデン John Dryden(1631-1700)
詩人、劇作家、評論家

王政復古時代の英国文学界の頂点に君臨し、当時を総括して「ドライデン時代」と呼ばれるほど多大な影響力を及ぼした人物。ノーサンプトンシャー州の小さな村で生まれたドライデンは、王室奨学金学生としてウェストミンスター校で教育を受けた後、ケンブリッジ大学に進学して古典学などを学ぶ。王政復古後は新政府に忠誠を誓い、劇作家として精力的に執筆活動を進めるかたわら、長大な叙事詩をも書き上げ、桂冠詩人や王室歴史家としても大いなる成功を収めた。

 

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