海峡を渡って英国にやってくる難民申請者を水上に浮かぶ「バージ」に収容する。政府の難民・移民対策の一つとしてこの話を聞いたとき、筆者は2012年のエリザベス女王の即位60周年記念で使われた、ロンドン・テムズ川上を渡る王室専用船「ロイヤル・バージ」を思い浮かべました。でも、7月にイングランド南西部ドーセットにあるポートランド港に到着した「ビビー・ストックホルム」(Bibby Stockholm)の姿を見て、驚きました。「サーモン・ピンクの縁取りがある、灰色の四角い巨大な箱」という描写がぴったりです。難民申請者がこのような建物に収容されるとは、胸がふさがる思いがしました。
ビビー・ストックホルムは、3階建ての収容施設が設置されたはしけ(平底船)で、全長93メートル、全22室。最大で約500人の収容が可能です。施設の利用には難民申請者の収容費用を減少させる目的がありました。現在、ホテルなどの陸上施設に収容されている申請者は5万人を超え、1日当たり600万ポンド(約11億円)が費やされているそうです。
施設の利用には地元民や人権保護団体から反対の声が上がりました。ポートランドは人口1万3000人の小さな町です。最終的に500人の難民申請者が入ることによって地元の公共サービスに支障が出るではないかという懸念のほかに、難民擁護組織側から施設は「不適切」、「非人間的」、本国を出るときにトラウマを受けた申請者を「拘留施設のような環境に置くことになる」などの批判が出ました。一方、ドーセット警察は「地元の治安に影響はない」と述べています。中央政府から170万ポンドの支援金が提供されたそうです。
難民用の水上収容施設の設置には、ほかにもいくつかの候補地がありましたが、いずれも合意を得られませんでした。ポートランド港は私有で、1997年から2005年まで囚人収容船が置かれていた経験もあったことから、政府の依頼を受け入れました。地元ドーセット州議会は今回の設置に反対し、一時は法的手段に訴えることも考えていましたが、施設の位置は州議会の建築許可の範囲外になり、「勝ち目がない」と言われて政府と協力体制を築くことになりました。州議会には中央政府から収容者1人当たり3500ポンドが支払われ、警察のほかにNHSにも政府が支援金を提供します。収容者を支援する慈善組織やボランティア団体への助成金として、政府は州議会に38万ポンドを拠出しています。
近年、英仏海峡を越えてやってくる難民申請者の数を減らすことが英仏政府の課題の一つとなってきました。リシ・スナク首相は小型ボートによる密入国の停止を主要政策にしています。昨年、イングランド南岸に到着した難民申請者の数は4万5000人を超え、これは過去2年間で500パーセントの増加です。7月には小型ボートで英仏海峡を渡ってくる亡命希望者の入国を禁止する法案が施行されました。例外を除いて、母国か安全な第3国に送還する法律ですが、今年に入ってすでに約1万5000人が英仏海峡を渡っており、亡命希望者の増加に政府は四苦八苦しています。英国に不法入国した人をルワンダに移送する計画も人権上の問題から裁判所で争われており、ほとんど実現していません。7日、ビビー・ストックホルムに最初の収容者たちが入所してきました。中には個室のほかに食堂、テレビの視聴室、祈りの部屋、スポーツ・ジムなどがあるそうです。コンピューター室も新設中。難民申請者を減らす抜本的な案を筆者は持ち合わせていませんが、「国民は移民急増を嫌っているはず」、だから「申請者を減らすべき」という前提で、人権にはそれほど気を遣わずに小手先の政策を出しているように見えて仕方ありません。ブレグジットのときのように、国全体でどうするべきかを考える段階にきているのではないでしょうか。
Bibby Stockholm(ビビー・ストックホルム)
インランド北部リヴァプールに本拠地を置く海洋運行会社ビビー・ラインが所有する、はしけ(平底船)で、造船は1972年。92年に宿泊用施設となる。90年代後半にはホームレス及び難民申請者用、2000年代にはオランダでの難民申請者用収容施設、スウェーデンでは風力発電所建設の際の宿泊施設として使われた。