情勢不安と飢饉に苦しむ
無政府国家ソマリアの実態
過去20年間無政府状態であるソマリアは、内戦、干ばつ、支援不足という三重苦に見舞われている。首都モガディシュや南部を実効支配するアルカイダ系組織アッシャバーブが、国際社会からの食糧援助を阻止し飢饉を深刻化させたとみられるなど、ソマリア問題は人災の様相を呈しているとも言える。
増加するソマリアの難民数*
*ソマリア難民・庇護者累計数 資料: 国連UNHCR協会
ソマリア年表
宗主国東アフリカ分割 | ||
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1860年代 | 仏がソマリア沿岸部(現ジブチ)を支配 | |
1889年 | 伊がソマリア中央部を保護領化 | |
1940年 | 伊が英保護領ソマリランド(現ソマリア北部)を支配 | |
1941年 | 英が伊保護領ソマリランド(現ソマリア南部)を支配 | |
独立・国境問題 | ||
1956年 | 伊保護領ソマリランドが「ソマリア」と改名し自治権確保 | |
1960年 | 英・伊保護領が合併し「ソマリア連合共和国」として独立 | |
1970年 | バーレ大統領がソマリア社会主義国家を宣言 | |
1974年 | 干ばつによる飢餓発生 | |
1977年 | オガデン戦争勃発(ソマリア軍によるエチオピア東部オガデン地方侵攻) | |
1988年 | エチオピアと和平合意 | |
内戦・分裂 | ||
1990年 | バーレ政権の支持派勢力ハウイヤ氏族主体の「統一ソマリア会議(USC)」が反政府組織を設立 | |
1991年 | バーレ大統領追放。USCからアリ新大統領が選出されるも内戦勃発。 北部イサツク氏族主体の「ソマリ国民運動」が旧英領「ソマリランド」から独立宣言 |
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1992年 | 国連ソマリア活動(UNOSOM)と米主導軍(UNITAF)が駐留開始 | |
1994年 | 自治政府「イスラム法廷連合(UIC)」が形成され、勢力拡大。米軍撤退 | |
1995年 | UNOSOM撤退 | |
1998年 | 北東部「プントランド」が自治領宣言(ハルティ氏族ユスフ大統領) | |
2000年 | 暫定国民政府樹立(ハウィエ氏族ハッサン大統領) | |
2001年 | 南部干ばつで飢餓 | |
2003年 | アブドゥルカシム暫定国民政府が崩壊 | |
海賊問題・イスラム勢力台頭 | ||
2005年 | 暫定連邦政府(TFG)が成立(ユスフ大統領:プントランド大統領が辞任) | |
2007年 | UICがエリトリアで「ソマリア再解放連盟(ARS)」結成 | |
2008年 | アルカイダ系組織「アッシャバーブ」が南部を制圧 TFGとARSの穏健派グループが「ジブチ合意」に署名 |
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2009年 | エチオピア軍撤退、アッシャバーブがバイドアを掌握 シェイク・シャリフ(ハウィエ氏族ARS穏健派)が大統領就任、国家非常事態宣言 |
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2010年 | アッシャバーブがアルカイダと正式同盟宣言し、首都モガディシュを事実上掌握 ソマリア沖海賊による被害が過去最多に |
英政府の対ソマリア政策
ソマリア全域とエチオピアの一部を占めるアフリカ大陸北東部は、過去60年で最悪の干ばつと世界的な食料価格の高騰による食 料飢饉に見舞われている。特に、過去20年にわたり内戦状態にあるソマリアでは、隣国への難民数が約87万人、5歳未満の乳幼児の餓死数は過去90日間で2万9000人に上ったとの報告もある。
7月22日、イングランド中西部バーミンガムのソマリア人コミュニティーを訪問したキャメロン首相は、英政府がこれまでソマリアに対し9000万ポンド(約112億円)の支援金を提供したことに触れ、「EU諸国も英国のように人道支援に着手するときだ」と訴えた。英国内のソマリア人は、2009年に10万人を超え、バーミンガム、ボルトン、ハル、リバプールなどを中心にコミュニティーが拡大している。一方、英国内ソマリア人の就学・就業率は英移民社会で最も低く、また、移民同化問題や若年層のイスラム過激派への取り込みなどが懸念されることからも、今後のソマリア情勢が英内政に影響を及ぼす可能性も否めない。
破綻国家ソマリア
1970年に誕生したバーレ社会主義政権は、大ソマリア主義構想の下、国内のソマリ族に属する6氏族を統合して中央政権国家を確立するため、氏族主義禁止政策を打ち出した。これに対し、各地の氏族による反政府運動や分離独立運動が活発化し、氏族間争いから内戦へと発展した。
更に80年以降、内戦と干ばつの影響を受けたソマリア難民支援のため、国際社会からの食糧援助が首都モガディシュに集中した。これにより、都市と地方の間で経済格差を巡る抗争が激化するなど、人道支援が内戦を複雑化させてしまうという皮肉な結果となった。
また1991年にバーレ政権が失脚すると、イスラム法学者などで形成された自治政府「イスラム法廷連合(UIC)」が勢力を拡大させて国土の大半を支配するようになるが、不寛容な原理主義を遂行し次第に軍事色を強め、やがて内部分裂を起こした。その軍事組織として派生した一派が、現在国内最大勢力で首都及び南部を実効支配する国際テロ組織アルカイダ系「アッシャバーブ」である。
アッシャバーブと人災飢饉
ソマリアでの深刻な食糧飢饉の背景には、アッシャバーブが2010年に同国から国連世界食糧計画の活動を撤退させるなど、国際支援団体の活動禁止や物資の輸送阻止、及び支援団体職員の誘拐や殺害を繰り返したことで海外からの支援が届かなくなったことがある。しかし、本年7月、アッシャバーブは支配地域内における国際支援団体の活動禁止措置を取り下げ、更に8月6日には首都モガディシュから撤退した。これを受け暫定連邦政府当局は、アフリカ連合軍の激しい攻撃による勝利としているが、アッシャバーブは「一時的な戦術の変更」とし、依然として一部残党が抗争を継続しているとみられる。暫定連邦政府は「ソマリア全土を開放する」と意気込みを示し、また国際社会による援助も円滑化されると楽観視する声もあるが、8月8日にはアッシャバーブの犯行と見られる車両自爆テロが首都南部で発生するなど、諸手を挙げて戦勝を語るには時期尚早であろう。
Al-Shabaab
アッシャバーブ。イスラム法に基づく厳格なイスラム社会の形成を目指す組織。故ビン・ラディン容疑者の資金提供により形成されたイスラム武装勢力「イスラム連合(AIAI)」のアウェイス指導者が、2006年頃、イスラム法廷連合(UIC)の軍事部門として組織化。UIC内部分裂により、2009年にUIC穏健派シャイフ政権への攻撃宣言、2010年にウガンダ首都カンパラでサッカーのワールド・カップ観戦者を狙った爆弾テロ事件の犯行声明を発出するなどしている。2011年7月現在、ソマリア国内最大有力イスラム武装組織であり、現指導者はイブラヒム・アルアフガニ(アフガン人とみられる)。(吉田智賀子)
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