第280回 英国の不幸なミイラとタイタニック号
大英博物館に「不幸なミイラ」(Unlucky Mummy)が展示されています。それはテーベの女性神官のミイラ・ボード(上ぶた)のことで、このミイラに携わった人が次々と謎の死や不幸に見舞われ、大英博物館に寄贈された後には館内で奇怪な現象が頻繁に起きたといわれます。さらにそのミイラを米国の博物館に貸し出そうとタイタニック号に積んだところ、1912年4月15日未明に同船が沈没し、棺桶の上ぶただけ戻って来たそうです。
「不幸なミイラ」(大英博物館蔵)
同じような逸話が複数ありますが、要は不沈の豪華客船と宣伝されていたタイタニック号を沈めてしまうほど強い呪いを持つミイラだというのです。大英博物館はこのような話を否定しており、実際の展示物も棺桶にかぶせる厚さ13センチほどの板カバーだけで、中身の故人はいません。それでもこうした呪い話が絶えないのは、金儲けのために盗掘された「不幸なミイラ」が私たちに大切なメッセージを送っているからかもしれません。
不沈艦といわれたタイタニック号
当時の最新技術を結集したタイタニック号は一体どんな状況で氷山に衝突したのでしょうか。場所はカナダ沖のグランド・バンクスと呼ばれる大陸棚で、寒流のラブラドル海流と暖流のメキシコ湾海流が行き交う潮目であり、古くからタラの漁場として知られていました。この周辺は春先にラブラドル海流が氷山を運んでくる一方、メキシコ湾海流がもたらす暖かい空気と大きな温度差があるため濃霧や蜃気楼が頻繁に発生します。
寒流と暖流が交差するグランド・バンクス
航海上の危険な海域にもかかわらず、処女航海中のタイタニック号は大西洋最速横断記録者に与えられるブルーリボン賞を狙って全速力で進みました。氷山と衝突しても防水隔壁があるから大丈夫という慢心もありました。ところが当日は大潮の日だったので巨大な氷山が沖合に流れ出ており、新月の暗い夜の海で、突然目前に迫った氷山を見て慌てて舵を切ったため、海面下の氷山と衝突した右舷には90メートルの亀裂が入りました。
タイタニック号が衝突した氷山
その亀裂から大量の海水が流れ込み、防水隔壁を越えて、1500名を超える犠牲者を出す惨事になりました。その後、大西洋航路では無線通信や気象情報の拡充、救命艇の増設や救命艇訓練の法令化、洋上の氷山パトロール強化など安全対策が打ち出され、船の防水隔壁も改良されました。技術の進歩を過信することなく、継続的に学習し、謙虚に改善を試みる姿勢が最大の事故防止策。過信や慢心の先には災いが待っているという警告を発信しているのが冒頭の「不幸なミイラ」なのでしょう。
午前2時40分に沈没した船の、犠牲者の時計は3時7分で停止(グリニッジ海事博物館蔵)
寅七さんの動画チャンネル「ちょい深ロンドン」もお見逃しなく。