第306回 大英博物館のチェス駒が語る歴史物語
大英博物館の展示物、ルイス島のチェス駒は、その豊かな表情が人気です。12世紀ごろ、ノルウェーのトロンハイム付近で作られたとされますが、当時はキリスト教が土着の宗教と摩擦を起こしながらスカンジナビア半島に広まっていった時代でした。チェス駒の目玉が飛び出そうな表情や途方に暮れた仕草は今では滑稽に見えますが、実はキリスト教から逃れようと必死に抵抗するヴァイキングの文化を表しているのかもしれません。
ルイス島のチェス駒(大英博物館所蔵)
チェス駒のキングやクィーンの玉座の裏側に見られる模様は、ヴァイキングの伝統的な図像、複雑に絡み合ったツルと動物の装飾が特徴のウルネス様式でしょう。また、ルーク(本来は戦車兵)には盾にかみつく兵士の姿が表されています。その兵士は北欧神オーディンを護る狼や熊の毛皮を被った戦士、バーサーカーがモデルとされ、その表情の裏にはオーディン神への信仰からキリスト教に改宗を迫られる、逼ひっぱく迫した背景があったと推測されます。
ルーク(駒)のモデルはバーサーカー
当コラムの第135回「チェスの駒とヴァイキング」で触れたように、チェスの発祥は古代インドのチャトランガという盤上ゲームです。それが7世紀にササン朝ペルシアへ伝わりシャトランジになり、東方には中国の象棋、韓国の將棋、日本の将棋へと姿を変えました。一方、西方ではイスラム教ルート(地中海南岸)とキリスト教ルート(バルト海・北海沿岸)に分かれて伝わり、その過程で各地の影響を受け、チェス駒の形やルールが多様化しました。
ヴァイキングのツル模様(左)とキングの駒の玉座の裏側(右)
もともとチャトランガの駒は、王、将軍、象兵、騎馬兵、戦車兵、歩兵の6種類です。ところがイスラム教は偶像崇拝を禁じていたため、6種類の駒の形状が抽象化され、一見しただけでは判別しにくいものになりました。一方、キリスト教圏内では駒が具象化されたものの、見たこともない人の多かった象は司教に置き換えられ、将軍は女王に、騎馬兵は騎士に変わり、駒の種類が王、女王、司教、騎士、戦車兵、兵となりました。
イスラム教徒圏のチェス駒(上)は抽象的、スタントン・チェス(下)は具象的
そして1849年、英国のチェスの名手ハワード・スタントンが提唱したチェス駒、スタントン・チェスセットが世界標準の駒として定着します。ちなみに東洋のチェスともいわれる中国の象棋の駒は円形、韓国の將棋は八角形、日本の将棋は五角形です。その理由は道教の陰陽五行説、風水、仏教の五輪思想の影響を受けたためともいわれます。つまり、駒の歴史は文化の歴史。チャトランガから始まる駒たちの語る壮大な歴史物語に耳を傾けてみましょう。なお、大英博物館のチェス駒は9月から来年7月まで貸出のため、非展示の予定です。
中国、韓国、日本の将棋の駒とそれに影響を与えた陰陽五行説、風水、五輪思想
寅七さんの動画チャンネル「ちょい深ロンドン」もお見逃しなく。



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