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Thu, 28 March 2024

第43回 オールド・スピタルフィールズ・マーケット

シティの東ターミナル、リバプール・ストリート駅から5分ほど歩くと、オールド・スピタルフィールズ・マーケットに着きます。17世紀から存在するマーケットには、若者向けの雑貨や服飾のストールが所狭しと並びます。でもこの煌びやかなマーケットから一歩外に踏み出せば、焦げ茶色の街並みと暗い路地裏が垣間見えます。そう、ここはシティが最も近くに見えて、最も遠くに感じる移民の 街。歴史の光と影の対比が最も鮮明な場所なのです。

マーケット
観光客で賑わう週末のマーケット

中世の時代、この周辺は病院を兼ねた聖メアリー修道院の庭先だったので、本来「ホスピタル・フィールズ」となりますが、ロンドン下町訛りのコックニーでは「H」を発音せず、「スピタル・フィールズ」と呼ぶようになりました。16世紀の宗教改革で同修道院が解体されると、王室の軍の広大な演習場になり、またそれが17世紀初頭にロンドン北部に移ると、ここは庶民の食料市場になりました。ロンドンの人口が増え始めたころの話です。

ドレス
1752年、シティ市長就任祝いにその娘に織られた絹のドレス

17世紀末以降、ロンドンには欧州大陸からユグノーと呼ばれる新教徒が迫害を逃れて大勢、流入してきました。彼らはこの街で絹織人として活躍する場を見い出します。ウェディング・ドレスが白いのは、ヴィクトリア女王の結婚衣装をきっかけに普及したからと言われますが、彼女の絹の結婚衣装はここで織られました。また、日本の絹織品を扱う輸入商の下で働いていたアーサー・リバティは当地で絹製品の展示会を行っては成功を収め、現在の百貨店リバティ誕生のきっかけをつかみます。

門
ウルストンクラフトの名前が門に残されている

ユグノー移民の生活は貧しく、食料市場が終わるころ、売り物にならない牛の尾を肉屋でもらい、スープにしました。これがオックステール・スープの発祥です。鳥かごの中で小鳥を飼ったり、切り花販売といった習慣も持ち込みました。また、移民ではないのですが絹織人の家庭に生まれたメアリー・ウルストンクラフトは後にフェミニズム運動の先駆者として活躍します。彼女は「フランケンシュタイン」の作者メアリー・シェリーの母親です。

トマス・ガイの像
絹織人の家では最上階で天日を採り、絹を織った

19世紀終盤になると、今度は迫害されたユダヤ人が欧州大陸から押し寄せます。既に綿製品が溢れ、絹産業は衰退した時代。彼らは米系ユダヤ人が開発したミシンを使い、ここを衣料加工の街に変えました。ロンドン初のベーグル店を開いたのも彼らです。20世紀にはアジアやアフリカの移民が増え、さらに国際色が豊かになりました。移民に対する壁は高いですが、彼らの多種多彩な文化の色糸は、英国という大きな刺繍に確実に織り込まれています。

トマス・ガイの像
1855年に開業したこの店は現存する英国最古のベーグル店

 
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シティ公認ガイド 寅七

シティ公認ガイド 寅七
『シティを歩けば世界がみえる』を訴え、平日・銀行マン、週末・ガイドをしているうち、シティ・ドラゴンの模様がお腹に出来てしまった寅年7月生まれのトラ猫


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