第185回 凱旋門と有料道路
謹賀新年。本年もどうぞよろしくお願い致します。元旦にロンドン中心部で行われる恒例のニュー・イヤーズ・デー・パレードはコロナ禍のため小規模なオンライン開催になりました。ふとパレードで思い出したのが凱旋門です。軍事的勝利をたたえるために勝者の行進を迎える門で、パリの凱旋門が有名ですがロンドンにも2つあります。
パリの凱旋門
パリの凱旋門はロシアとオーストリアの連合軍に勝利したナポレオン皇帝の命令で造られました。そのナポレオンを倒した記念に造られたのが、ロンドンのマーブル・アーチとウェリントン・アーチ。パリの凱旋門が高さ50メートル、横45メートルもあるのに対し、ロンドンの両者はその3分の1程度の大きさです。1830年、バッキンガム宮殿につながる直線道路コンスティテューション・ヒルの西端(ハイド・パーク・コーナー側)にウェリントン・アーチが、1837年にはバッキンガム宮殿の前庭にマーブル・アーチが建てられました。
バッキンガム宮殿の前庭にあったマーブル・アーチ(画面左手)
ところがその後、バッキンガム宮殿の改築のためにマーブル・アーチの移転が必要になりました。1851年5月からハイド・パークで開催される世界初の万国博覧会の玄関門としてちょうど利用できることから、マーブル・アーチは同年3月にハイド・パークの北東入口、現在の円形交差点のある場所に移されました。また、ウェリントン・アーチも付近の道路拡張工事のため、1880年代に現在の場所、ハイド・パーク・コーナーに移されました。
最初のウェリントン・アーチ
現在の幹線道路は、ローマ植民時代に敷設されたシティと全国を結ぶローマ街道が使われていますが、当時、主要な街道のロンドン玄関口には検問所がありました。マーブル・アーチの近くには郊外北部のセント・オールバンズとロンドンを結ぶ街道の検問所、また、ウェリントン・アーチの近くには英南西部バースとロンドンを結ぶ街道の検問所です。そしてローマ街道は中世では「王のハイウェイ」と呼ばれ、教会税で道路が修繕されていました。
ハイド・パーク・コーナーにあった道路の料金所
ところが17世紀後半から荷馬車の交通量が増えると道路が傷みだし、パイク(=通行止め棒)で道を遮り、検問所で通行料を徴収するようになります。通行料を払えばパイクをターンして通行を可能にするのでターンパイク(=有料道路)の単語が生まれました。こうしたターンパイクの料金所が全国各地に設けられ、上述のマーブル・アーチやウェリントン・アーチの近くにも有料道路の料金所が作られたのです。
19世紀初頭のロンドンの有料道路の料金所マップ
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