第200回 ケーブル・ストリートの戦い
今回のコラムが第200回目になります。こんなに長く連載が続いたのも皆さまのご支援の賜物です。厚く御礼申し上げます。引き続き精進して参りますのでどうぞよろしくお願いいたします。最近のコラムはお散歩篇ばかりでシティのことをあまり書いておりませんが、シティの外をお散歩することもシティを理解する上で大切なポイントです。と言いますのも異質な物や文化が交わる場所がマーケットであり、その中心がシティだからです。
ステプニー公会堂
ロンドン西部はエリートが住む街でロンドン東部は移民や労働者の多い街。その両者の真ん中にシティが位置していますが、シティも労働者の街とされています。ざっくり言って英国の歴史は移民の歴史であり、今のお山の大将が11世紀にノルマン・フレンチからやってきたウィリアム征服王の末裔ということ。5世紀のフランク王国を本流とする欧州大陸国からみればノルマン・フレンチは海賊の片割れですし、その片割れの末裔が牛耳る英国は素性の知れない馬の骨の集まりです。
壁画「ケーブル・ ストリートの戦い」(部分)
そんな英国では階級社会が今も残っていますが、移民を多く受け入れてきた歴史があり、文化の多様性が持つ価値を誰もが認めています。社会が排外主義や人種差別に傾いても、それに反対する動きは被害の前面に立つロンドンの東側から生まれます。それを象徴する例がステプニー公会堂の壁画「ケーブル・ストリートの戦い」です。
壁画前の掲示板にある1936年の「ケーブル・ストリートの戦い」時の写真
1936年10月、英国ファシスト連合がユダヤ移民の多いロンドン東部で反ユダヤ示威行進を行い、それを阻止しようとする地域住民や支援者数万人とがケーブル・ストリートで衝突しました。結局、ファシストの行進が阻止され、市民が人種差別や全体主義に勝利した象徴的な事件として今でも語られています。この事件を風化させてはいけないと立ち上がったのが当時、市役所に勤務していたダン・ジョーンズ氏。
差別主義者に襲われた犠牲者の名に改称されたアルタブ・アリ公園
ジョーンズ氏は画家たちに、事件現場の通りに面した公会堂に壁画「ケーブル・ストリートの戦い」を描かせることに成功します。また、1978年にバングラデシュ移民が人種差別主義者に殺された際も、芸術家に転身したジョーンズ氏がロンドン東部の街の様子を絵画に描き、人権保護と反人種差別を訴えました。社会が独善や傲慢に走らないように壁画や絵画を通じて声なき声を伝える。そこにロンドンのストリート・アートの原点があります。民の声こそ天の声、行き過ぎた社会に警笛を鳴らす警報システムのようです。
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