第260回 英国からみた和紙と洋紙
日本では節分の過ぎたこの時期に春雷が起きると縁起が良いといわれます。雷という漢字は雨の田んぼと書き、稲妻は稲の妻と書きますが、雷の放電が大気中の窒素を雨に溶け込ませ、窒素の栄養が大地に注ぎ込まれるからだそうです。ところで稲妻といえば、日本の神社のしめ縄の縄目に差し込まれている紙垂は稲妻をイメージして作られ、またその紙垂を串の両側に付けたものが、神様への捧げものとして祭る御幣です。
神社の拝殿の紙垂(左)と御幣(右)
御幣はもともと奉拝の串に挟んだ、麻や絹で織った布を意味していました。ところが7世紀に日本へ製紙法が伝わると、麻布や絹布に代わって紙が使われるようになります。実は、古代中国で紙が誕生したのも絹布と深く関係しています。真綿を取り出すためにくず繭を籠の中で何度も洗っているうちに、籠の底にたまった絹糸の繊維が薄い膜が張り、それを乾かしてできたのが蚕繭紙。なるほど、紙という漢字に糸偏が付くわけです。
紙漉きの過程:①植物を刻んで水に浸す ②煮込む ③漉く ④紙を重ねる
紀元後105年、絹糸ではなく樹皮や麻、破れた網などの廃棄物を刻み、ドロドロに煮た後、冷やして漉すく製紙法を考案したのが中国・後漢の官吏、蔡倫です。この紙漉きの技術は朝鮮半島経由で、610年に日本に伝わったそうです。日本ではこうぞ、がんぴ、みつまたの樹皮が和紙に使われ、和紙は建具や寝具にも応用されるほど今も日本人の生活に密着しています。
紙漉きの技術を考案した蔡倫
一方、西欧の紙の事情は異なります。紀元前3世紀ごろ、現在のトルコにあったペルガモン王国で羊の皮を使った羊皮紙が発明され、欧州にも普及しました。そして12世紀にスペイン、13世紀にはイタリアに、イスラム圏経由で中国の製紙法も伝わりました。欧州は中国の紙作りを応用し、麻や亜麻のボロキレを石臼で挽き、それを煮込んだ後に冷えた液体を漉いて洋紙を作りました。しかし当時の紙は羊皮紙だけで十分だったので、洋紙はあまり普及しませんでした。
羊皮を広げて羊皮紙に切る
状況が一転したのが15世紀半ばです。グーテンベルクの活版印刷術の発明により印刷紙の需要が急増しました。英国では1496年に英東部ハートフォードシャーの水車小屋で、シティ市長にもなったジョン・テートが初めて洋紙を作りました。英国には麻や亜麻の布が少なかったため、これらの植物の布は洋紙の原料に使うように法で定められました。その後、19世紀に木材をすり潰したパルプによる製紙法が開発され、植物(非木材)を原料としないパルプ製紙が洋紙の主流になります。和紙も洋紙もそれぞれのお国の歴史と深く関わっています。
洋紙と和紙の違い
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