第2回 月見る月はこの月の月
朝刊の締め切り時間は、午前1時40分である。
だから、ロンドン勤務時代は時差の関係で、夕方が朝刊の締め切りだった。ふつうの人と同じ時間に仕事が終わり、夜も自分の時間がたっぷりある。そんな生活は、新聞記者になって初めてだった。
日本に戻って、その生活が再び元に戻ってしまった。デスク職は当番制なので、週のうち数回は朝刊担当が回ってくる。締め切りが終わって一息つき、残務を片づけて家に戻ると、早くて午前2時半くらいだ。今の時期は、送りのタクシーを降りると、足元でコオロギが鳴いている。
10月初旬の未明には、自宅の前で見事な満月を見上げた。天頂から幾分、西へ下がったあたりに真ん丸い月があって、本当に美しい。薄い雲に覆われていたため、月の形がはっきりと見え、それがまた美しさを倍加させていたように思う。
月と言えば、この歌である。
「月月に 月見る月は 多けれど 月見る月は この月の月」
知人からこの歌を教えてもらったのは、大学生のときだった記憶がある。「なんと美しい歌か」と思った。日本語の美しさは、こういうところに凝縮されている。
ずいぶん前、北海道東部で見た満月を思い出した。
古い手帳をめくってみたら、15年前の10月である。場所は屈斜路湖のほとり。湖と接した山肌には、手付かずの原生林が連なり、そして霧に覆われていた。その時の様子は走り書きするように記事に書いた。「月」も交えた情景を記事にしたことなど、後にも先にも、あのときだけである。
雲とも知れぬ、ガスとも知れぬ。湿った空気の幕が、わずかずつ動き、エゾマツやトドマツの輪郭が浮かび上がってきた。
最初に、数本。さらに数本。そして少しの後、いっせいに幕が開く。音はない。振り返ると、反対側の森は、すでに午前の、透明な空気に包まれていた。
屈斜路湖を見下ろす、阿寒国立公園の藻琴山。
前夜、秋の屈斜路湖は、満月だった。影踏みができそうなほどの光を浴びても、藻琴山の原生林は、深い闇に沈んでいた。その森が今、もどかしげに姿を現している。
一本として、同じ形の木はない。中に、変わった木が見えた。真っすぐに伸びていた幹が、途中でわずかだけ傾き、再び天頂へ向かっているように映る。この樹々は、樹齢200年前後だという。だとすれば、幹に傾きができたのは、祖父母たちが将来の夢を語り合っていた時代のことに違いない。
「原生林には、時間が凝縮されている。私たちの想像が及ばない、はるかな時間の積み重ねです」
この森に魅せられ、都会から湖畔に移り住んだ写真家は、そんなことを教えてくれた。
奥深い阿寒の森は、エゾマツやトドマツなどの針葉樹と、ミズナラやカツラなどの落葉広葉樹が交ざり合っている「針広混交林」。亜寒帯系の針葉樹と、冷温帯系の広葉樹のせめぎ合いが、この一帯で、1万年近くも続いているのだ。
それよりも昔、数十万年前の氷期には、阿寒の大地はグイマツに覆われていた。さらに昔の4000万年前、北海道すら今の形になっていなかった時代、この辺りは、シュロやメタセコイアなどの、亜熱帯系植物で埋め尽くされていた。
止まることなく、単調に繰り返されてきた時間の重なり。たった50年前の大事件すら定かに記憶できない私たちに、森をつくり上げた時の長さを実感せよ、と言ってもどだい無理というものだ。
そんな感じの記事だった。
あれから15年になる。
意図してか、無意識にか、この間の多くのことを、私は忘れてしまっている。たぶん、あなたも忘れてしまっている。そして、私もあなたも、何かの拍子に、苦さや甘さや、あるいは、たとえようもない切なさを伴って、そんな過去の時間を思い出す。だから、たまには、月を見上げる時間も必要なのだ。
「月月に 月見る……」は、旧暦の8月を歌ったものだという。でも、たとえ、それが何月であろうとも、私には私の、あなたにはあなたの「月見る月」がある。