1964年の東京パラリンピック開催からちょうど50年が経過し、2020年の東京パラリンピックまであと6年を切った。誰もが「史上最高のパラリンピックだった」と口をそろえる2012年大会の開催地となったロンドンは、世界で唯一2度目の夏季パラリンピックを開催する史上初の都市となる東京にどんな思いを託したのか。選手、メディア、ボランティア関係者たちに話を聞いた。
人物ドキュメンタリーではなく、
試合そのものを中継してほしい
世界ランキング第1位の車いすテニス選手
国枝慎吾選手
1984年2月21日生まれ。9歳のときに脊髄腫瘍のため車いす生活に。パラリンピックにおいては、2004年の アテネ大会における男子ダブルス、2008年の北京大会と2012年のロンドン大会男子シングルスで金メダルを獲得。今季は車いすテニスの4大大会におけるグランドスラムを達成し、現在、世界ランキング第1位。2009年より車いすテニスでは日本初となるプロ選手として活動している。
www.tennis-navi.jp/blog/shingo_kunieda
純粋にスポーツを観に来てくれた観客
パラリンピックは過去3大会に出場しました。アテネ大会のときはあまり観客がいなくて、北京大会は会場の盛り上がりがいまいちという印象を受けました。ただロンドン大会の会場は、純粋にスポーツを観に来てくれた観客であふれていたんです。これは選手にとって最高の栄誉だと感じましたね。「ロンドンのパラリンピックが一番良かった」と本当に誰もが口をそろえて言いますし、僕もそう思います。あれよりも良いものを2020年の東京に持って行くことができたらいいなという思いはありますね。
ただあくまで仮の話として、もし今年、東京でパラリンピックを開催していたら、ロンドンほどは盛り上がらなかっただろうなと思います。車いすテニスの試合で、例えばあの有明コロシアムのコートを満席にするのはまだ難しいんじゃないかな。だから、今後6年間の選手やメディアの活動というものが、大きな鍵になると思います。その間に一人でも多くの方に興味を持ってもらうことが、パラリンピックの成功につながるのではないでしょうか。
観て面白いと思えるレベルに達している
テレビ取材などの依頼をいただくことがあるのですが、僕の生い立ちなどを追った人物ドキュメンタリーを内容としたものが多いんですよ。ごく正直な希望を言わせてもらえるならば、人物ドキュメンタリーを放映するよりも、試合そのものを中継してほしい。車いすテニスの試合は、そのまま中継して面白いと感じてもらえるだけのレベルにもう達していると思うので。試合を観てもらうだけで、「ああすごいな」と言ってもらえることが選手としては一番大事。インタビュー記事やドキュメンタリー映像はあくまで補足程度に留めてもらって、とにかくまずはプレーを流してほしいなというのが正直な気持ちです。試合中継を流してもらえさえすれば、車いすテニスの魅力は絶対に伝わると思います。
車いすテニスの男子シングルスにおいては、僕とフランスのステファン・ウデ選手の対戦が特に面白いと思いますよ。彼とはパラリンピックのロンドン大会の決勝でも対戦したのですが、オフェンスのウデと、ディフェンス・カウンターの僕という構図になっているんですよね。例えるならば、男子テニスにおけるフェデラーとナダルのような図式です。プレーしている僕自身が面白いと感じているし、あの試合を観るのもきっと面白いだろうなと想像します。やっぱり観ていて面白いのがプロの試合だと思うので。
今年7月にイングランド中部ノッティンガムで開催された
ブリティッシュ・オープンで優勝し、記念撮影をする国枝選手
日本企業が支える障害者スポーツ
僕は2009年にプロに転向したんですけれども、その際にスポンサー企業に選手を支援してもらいながらプレーしていくという形式を整えようと考えました。車いすテニスで世界ランキング第1位になっても食べていくことができないと、同じように車いすテニスで世界を目指そうという人が今後出てこなくなるだろうなと思ったからです。車いすテニスにおけるほかの日本人選手の多くも同じような環境でプレーしています。つまり選手はスポンサーを募って、企業から支援してもらい、世界を転戦する。このシステムが今すごく機能し始めているんです。一方で、他国ではどちらかというと国が支援するという側面の方が強いと思います。本音を言えばそれはそれですごくうらやましいのですが、ともかく日本では企業の支援が大きい。これは日本人選手にとって大きなアドバンテージです。
そしてだからこそ、僕は勝ち続けなければならない。これまで勝ってきたからこそ今の僕がいるし、勝ち続けることが車いすテニスの普及につながっているんですよね。野球やサッカーのような人気スポーツであれば勝っても負けても報道されますが、テニスでなおかつ車いすテニスとなると、本当にグランドスラム大会で優勝し続けていかないと、報道はパタッと終わるんじゃないかという恐れを持っています。
車いすテニスの普及のために宣伝活動にもっと携わるべきという声があったとしても、僕は勝ち続けることでこのスポーツを広めていくという道を選びます。今もテニス以外での様々な仕事の依頼をいただいていますが、練習や試合の日程を最優先して日々のスケジュールを組んでいますし、そのスタンスは今後もずっと変えないでしょうね。あくまでも僕はタレントではなくて、スポーツ選手なので。
障害者スポーツのルールという
文脈で障害を語るべき
障害のクラス分け視覚化システム
「LEXI」の開発者
ジャイルズ・ロングさん
1976年7月9日生まれ、13歳のときに発症した骨肉腫のため、右腕に人工骨を充填する手術を受ける。 パラリンピックでは水泳の英国代表としてアトランタ、シドニー、アテネ大会に出場。シドニー大会における100Mバタフライ(S8*1)では世界記録で金メダル。現役引退後はスポーツ解説者などとして活動。 ロンドン大会で使用された障害クラス分けの視覚化システム 「LEXI」を開発した。
www.gileslong.com
LEXIの開発に至ったある出来事
2000年のシドニー大会において、「SB7*2」という障害クラスにおける100メートル平泳ぎの決勝が行われたときのことです。このレースでは、身体の右半分に障害を抱えた英国代表選手と、両腕がない中国代表選手が大接戦を演じました。結局、英国代表選手が僅差で勝利したのですが、このとき手を使うことができない中国代表選手は頭でタッチをしてゴール。このテレビ映像を観た私の友人たちの間では、「頭でゴールするなんて、あの中国代表選手はすごい!」といった話題で持ちきりでした。
あの中国代表選手が「すごかった」ことは間違いありません。ただ英国代表選手の方がすごかったから、英国代表が金メダルを得たわけです。なのに、あのときには中国代表選手の方が本当の勝利に値するのではないかといったような雰囲気がありました。この出来事を通じて、障害のクラス分けについてのルールを理解しない限り、観客はパラリンピックを公平なスポーツとして楽しむことはできないという思いを強くしたのです。
私は幼いころから、グラフィック・デザイナーとして働く父親に、複雑なことを簡単に説明したいときには絵を見せることが重要だとよく説かれていました。そこで、父の言葉を思い出しながら、現在では「LEXI」として知られる、漫画のようなキャラクターを使って障害のクラス分けを説明する方法を思い付いたのです。
ロングさんが開発したLEXI。緑は障害なし、赤は重度の障害があることを意味し、身体の各所における障害の重度を示すのに使われる。チャンネル4は、本システムを2014年のソチ冬季パラリンピックでも活用した
「障害クラス分けの視覚化」への反発
アテネ大会と北京大会の開催前にもLEXIの原型となるアイデアを両大会の放映権を持つBBCに持ちかけていましたが、採用されず。ところがロンドン大会の放映権を獲得した民放局チャンネル4の関係者に提案すると、興味を示してくれたのです。それから、プログラマーやデザイナーの力を結集させて、絵の下に簡単な説明文を入れたり、音声を吹き込むなどの仕組みを整えたりした末に、LEXIが完成し、チャンネル4に採用してもらうことができました。
「障害のクラス分けを視覚化する」という試みに対する反発もありました。代表的なのは「観客はパラリンピックで競技を観たいのであって、障害の詳細を知りたいわけではない」というもの。ただ皮肉なことに、障害について語るのを避けようとすればするほど観客は障害のことばかりを意識してしまうのです。実際、これまでパラリンピック観戦と言えば、興奮よりも困惑の方が多かったのではないでしょうか。「なぜ両手がない人が、両手がある人と同じレースに出ているのか。不公平じゃないか」と困惑気味に話しながら観戦しているうちに、肝心のレースが終わってしまうというようなことがたくさんあったと思うのです。一方で、障害のクラス分けというルールさえ理解すれば、観る人は競技だけに集中できる。ロンドン大会ではLEXIを採用したことで、「パラリンピックのルールを語る」という文脈において障害を取り上げることができました。これは大きな前進だったと思います。
障害者スポーツが持つ新しい楽しさ
障害者スポーツについてどう語るべきか。そもそも「障害者」という言葉を使っていいのか否か。障害者スポーツと聞くと、楽しむよりも前にこうした様々な疑問が浮かんでしまう人がいるかもしれませんね。もちろん、一般的に侮辱表現とされている言葉を使ってはいけません。またかつては当たり前のように使われていた言葉が、現代では差別表現と見なされてしまう場合があるというのも正直なところ厄介な問題です。一方で、ただ「慣れていない」という理由によって、少々の誤解を生じさせたり、間違いを犯したりした人に対しては周囲が寛容にならなければいけないとも思います。例えば、パラリンピックを純粋に楽しもうとしている人がちょっとした間違いを犯し、そうした対応や発言のせいで誰かを怒らせてしまったとしましょう。その場合において悪いのは、小さな間違いを犯した方ではなく、無暗に怒る人の方だと私は考えます。
スポーツの世界において、もはや目新しいものはそれほど多くありません。障害者スポーツには、ほかのスポーツが既に失ってしまった「新しさ」がある。その新しい楽しさを一人でも多くの人に知ってもらうために、私はLEXIの機能をより進化させながら、障害者スポーツの魅力を世界に広めていきたいと思っています。
*1 障害者水泳競技のクロール、バタフライ、背泳ぎにおいて、1番を最重度とするクラス分けの8番目に相当する障害レベル。
*2 障害者水泳競技の平泳ぎにおいて、1番を最重度とするクラス分けの7番目の重度に相当する障害レベル。
東京が多様な価値観を受け入れる街として
生まれ変わる機会にしたい
大会ボランティアにおける
通訳部門のチーム・リーダー
西川千春さん
1960年生まれ。コスト削減管理、事業展開サポート、調査案件受託などを中心とするコンサルタント会社を経営する傍ら、ロンドン五輪のボランティアとして、柔道や卓球などの競技が行われたエクセル会場における通訳チームのリーダーを務める。2014年のソチ冬季五輪にもボランティアとして参加。NPO法人「日本スポーツボランティアネットワーク」のプロジェクトに携わるほか、大学での講演やスポーツボランティア講習会での講師としても活動中。目白大学外国語学部英米語学科非常勤講師。
http://www.ssf.or.jp/topics/sochi/
五輪とパラリンピックを区別しない
2012年に開催されたロンドン五輪では、ボランティアとして出場選手へのインタビューの通訳などを担当しました。実は私はロンドンのパラリンピックそのものには参加していないのですが、ボランティア研修は五輪もパラリンピックも同じ。2012年のロンドン大会においては五輪とパラリンピックを区別せず、一つの組織委員会で両大会を総合的に統括したからです。
ロンドンでは、英国代表チームの祝勝パレードを、五輪選手とパラリンピック選手が一緒になって行いましたよね。パラリンピック開幕前に、五輪選手だけの祝勝パレードを東京で行った日本とは対照的でした。今年7月から8月にかけてスコットランドのグラスゴーで開催された総合競技大会のコモンウェルス・ゲームにおいても、陸上や水泳などにおける障害者スポーツ競技を同時開催。この「五輪とパラリンピックを区別しない」という考え方は、今後の潮流になっていくのではないかと思います。
皆の力で成功させなくてはならない
「東京でのパラリンピックは、ロンドンほどの成功を収めることができないかもしれない」と不安視する声があるみたいですが、やる前からそういうことを言っているようでは駄目ですよ! 皆の力で成功させなければならないんですよ! そもそも英国もパラリンピック発祥の地でありながら、最初からパラリンピックに対して深い理解があったかと言えば、そうでもないと思います。開催前にはパラリンピックの原型となる大会が開催されたストーク・マンデヴィル病院から名を取った公式マスコットの像を街中に置いて盛り上げたり、パラリンピック選手たちの姿とともに「Superhumans(超人)」とのメッセージが書かれたテレビCMを流したりといった様々な取り組みが行われました。特にあのCMに関しては、まさに超人的な能力を発揮できる人たちが集まった大会であるというメッセージがとても魅力的だったと思います。
そしていざ開幕したら、開催期間中はチャンネル4が文字通り全日にわたってテレビ中継しましたよね。しかもテレビ中継だけではなく、オンラインで大会の様子をつぶさに追うことができたのには驚きました。大手スーパーのセインズベリーズが全面的にパラリンピックのスポンサーを務めたというのも画期的な動きだったのではないでしょうか。こうした一連の試みの甲斐もあって、ロンドンのパラリンピック選手たちは国民のヒーローになったのです。
ロンドン五輪にボランティアとして参加した際の西川さん(中央)
補助の人に尋ねられたら誰に答えるか
東京での五輪とパラリンピックの開催には、東京が多様な価値観を受け入れる街として生まれ変わるためのきっかけづくりという意義があると思います。ロンドンは典型的な多文化社会ですよね。様々な国籍や文化が存在する都市であるというだけではなく、異なる文化を持つ人々に対してどう振る舞うべきかという教育が徹底されている都市でもあります。障害の有無だけに関する話ではありません。年齢、性、宗教、性的指向などを理由として差別をしてはいけない、ということが自然に認識されていると思います。そういった成熟国家として持つべき常識を学ぶという意味でも、日本にとってパラリンピックは良い機会になるでしょう。多様性を許容する意識を学ぶ機会と言い換えてもいいかもしれませんね。
五輪とパラリンピックのボランティア研修においても、多様な人々への対応の仕方についての指導を受けます。例えば車いすに乗られている方が一人いるとしましょう。その方には補助の方が同伴している。同伴者が車いすの人に代わってボランティアに質問したとき、そのボランティアは誰に向かって回答すべきか。この場合は車いすに座っている人の目を見て話さなければならないのです。または外見からは男女どちらか区別がつかない人がいるとします。その方にトイレを案内するときはどうするか。そういうときは「男子トイレはあちらにあり、女子トイレはこちらです」と両方を案内すべきであると教わりました。ボランティア研修を通じて「差別と受け取られる可能性のある対応をしてはならない」という意識を学んでいったのです。
東京での五輪そしてパラリンピック開催はこうした意識について学ぶ絶好の機会となるでしょう。この機会を通じて、日本は新たな開国を迎えるとさえ私は思います。だから、皆で盛り上げていきたいですね。
車いすテニスのマスターズ
NEC Wheelchair Tennis Masters 2014
2014年11月26日(水)~30日(日)
車いすテニスの年間ランキング上位8人が出場する大会「マスターズ」がロンドンで開催されます。会場は、ロンドン五輪とパラリンピックのメイン会場となったクイーン・エリザベス・オリンピック・パーク。日本からは、男子シングルス世界ランキング1位の国枝慎吾選手と同8位の三木拓也選手、そして女子シングルス世界ランキング1位の上地結衣選手が出場する予定です。
11月26日(水)~30日(日)11:00‐17:00ごろ
入場料: £10~15
場所: Lee Valley Hockey and Tennis Centre,
Queen Elizabeth Olympic Park, London(屋内)
最寄駅: Stratford
Tel: 0871 220 0260
www.lta.org.uk/fans-major-events/Wheelchair-Tennis-Masters-2014
英国ニュースダイジェスト
読者特典!
11月29日(土)に開催される男女シングルス準決勝の試合後、特別ブースにて、日本人選手との握手やサイン及び写真撮影を行える機会を用意致します。日本人選手が順当に勝ち進み、準決勝に進出することを願いながら、当日は皆で応援に出掛けよう!
*29日(土)以外にも、出場選手がサインや写真撮影に応じてくれる可能性があります。ご希望の方は、当日会場にいる大会関係者に直接お問い合わせください。
*日本人選手が準決勝に出場しなかった場合には、本機会を用意できない場合があります。あらかじめご了承ください。各試合の開始時間や組み合わせは、各試合実施日の前夜に発表されます。29日(土)の日程の詳細につきましては、英国ニュースダイジェストのSNSサービスなどを通じてお知らせする予定です。