中世から存在するという友愛組織フリーメイソン。1717年に4つのロンドンのロッジ(支部)が集まり、初めてグランド・ロッジ(本部)を形成して今年でちょうど300年を迎える。ここでは、英国のフリーメイソンの移り変わりを、その事実上の総本山であるユナイテッド・グランド・ロッジ・オブ・イングランド(UGLE)の建物の歴史とともにたどる。ガイド・ツアー参加時に聞いた、フリーメイソン会員による解説も併せて紹介。
建設中のフリーメイソンズ・ホール。1930年ごろ
フリーメイソンは怪しい秘密結社?
フリーメイソンと聞いて、昔から存在する何だか怪しげな秘密結社だと考える人は多いのではないだろうか。そもそも、フリーメイソンは中世には「石工の職人組合」で、大聖堂や城壁を設計・建設する人々の集まりだったとされる(厳密には、フリーメイソンは各個人の会員のことで、組織はフリーメイソンリーと呼ばれる)。それが年月を経るうちに王侯貴族も参加する一種の「ジェントルマンのクラブ」になり、社交の場であると同時に情報交換の場へと変化していった。独自の教義があり古風な儀式を行い、各国にネットワークを持つフリーメイソンは、一般の人には分からない様々なシンボルを使うことなどから、奇妙な集団と見られることも少なくない。
英国はグランド・ロッジが最初に設立された国なので、UGLEは世界のロッジの総本部と考えられ、UGLEが認証しないロッジは非正規な存在と見なされることも多い。今のUGLEの棟梁(グランド・マスター)には、1967年からケント公(エリザベス女王のいとこ)が就いている。現在の会員の主な活動は慈善活動。これはフリーメイソン仲間を助けるだけではなく、社会的にも貢献しており、世界で行われているチャリティー活動の多くに参加しているそう。ただし、特定の宗教や政治団体を支持することはなく、中立の立場を貫いている。
フリーメイソンのシンボル・マーク。石工の使う道具を組み合わせたデザインで、コンパスは友情・道徳・兄弟愛を、定規は誠実・公正・美徳を表すそう。GはGodまたは「The Grand Architect of the Universe」(万物の偉大なる建築者)の意
高齢化によるメンバー減少
現在のフリーメイソンは会員の高齢化が進んでいるうえ、入会者も少ないと伝えられている。2016年の「インディペンデント」紙によると、UGLEに登録しているロッジ数はこの10年で8389から7401に減少。一年で平均約99のロッジが閉鎖されている計算になるという。UGLE内にあるミュージアムには、これまでに人数不足などから閉鎖した国内のロッジの儀式用備品などがガラス・ケースの中に納められている。
会員の減少は英国だけではなく世界的な現象。だが直接勧誘は規律で禁止されていることもあり、なかなか会員が増えることはない。2011年の「ウォール・ストリート・ジャーナル」紙によれば、会員数は2000年代半ばに世界で200万人を切り、2011年の時点で140万人ほど。このためウェブサイトはもちろん、フェイスブックやツイッターなどで活動状況をアピールするほか、英国では2015年に1733~1923年にフリーメイソンだった著名英国人のリストを初めて公にするなど、人々に興味を持ってもらうための様々な努力を行っている。UGLEでは、蔵書を閲覧可能にし、所蔵品を紹介するツアーを実施。儀式に使われるメイン・ホール「グランド・テンプル」も一般公開しているほか、最近ではテレビのドキュメンタリー番組でフリーメイソンについて5回にわたりその活動を紹介するなど、開かれた団体にすることで、新しい会員を獲得しようと考えているようだ。
フリーメイソンA氏による解説
米作家ダン・ブラウンの小説「ダ・ヴィンチ・コード」が2006年に映画化され、これを観てフリーメイソンに興味を持った入会志望者が増加した。そのため、たとえ小説内でフリーメイソンに関する記述が少々異なっていたとしても、著者のブラウンに対して悪いイメージは持っていないという。むしろよくここまで書けたものだと感心するとのこと。2013年にブラウンは会員たちにロンドンに招待され、UGLEのグランド・テンプルで著書「インフェルノ」のサイン会を行ったそう。至高の存在を表すという「プロビデンスの目」
入会条件、女人禁制は今も変わらず……
フリーメイソンの入会条件は国や地域などによって異なるが、UGLEは21歳以上の成年男子であれば、人種、宗教、経済状態、政治見解は問わないとしている。ただし、信仰心がなければいけない。そのほか、世間での評判が良く、高い道徳性を持っており、定職と一定の収入があることなどを問われるとも言われる。また、以前はなんらかの確立された宗教の信者であることが求められていたようだが、現在では「至高の存在への尊敬と信仰の心」を持っていれば認められるという。
もともと石工の職人組合だったせいもあるが、女性はUGLEの支部に当たるロッジに正式入会することはできず、それは21世紀の現代でも同じ。代々、英国王室のメンバーが入会しているが、エリザベス女王は会員ではない。英国には女性会員のみのロッジがロンドンに2カ所(The Honourable Fraternity of Ancient Freemasons、The Order of Women Freemasons)と、フランスで発展し男女ともに会員になれる「International Order of Freemasonry for Men and Women」の英国支部がある。だが、いずれも正式な支部として認められているわけではない。
フリーメイソンA氏による解説
カトリック教会は昔からフリーメイソンを認めておらず、1738年、ローマ法王クレメンス12世はフリーメイソンに加わったカトリック教徒は破門すると宣言。あらゆる宗教に寛容なことや、その秘密主義が異端視された。破門が解除されたのは1983年だ。以前は敬虔なキリスト教徒だったが、今はクリスチャンではないというA氏が、神の代わりに信仰し、至高の存在と考えているのは「人間の真心」。これはキリスト教徒が聞いたらかなり過激な意見に思えるはずだ。A氏いわく、カトリック教会がフリーメイソンを危険視する態度はその後もあまり変わっていないという。現在、コベント・ガーデンに立つフリーメイソンの「ユナイテッド・グランド・ロッジ・オブ・イングランド」(UGLE)は1927年から33年の間に建設されたもので、アール・デコ様式の佇まいは周辺の景色のアクセントともなっている。今では多くの観光客が訪れ、映画のロケ地としても利用されるなど一般にも開放。1717年にロンドンにグランド・ロッジが設立されてから、現在に至るまでの建物の歴史を振り返ってみよう。
初期フリーメイソンズ・ホールの完成
1717年6月24日、セント・ポール寺院に隣接したパブ「ガチョウと焼き網」でロンドンの4つのロッジが会合を開き、世界初のグランド・ロッジを設立した。50年後には、イングランドには400近いロッジが存在したが、そのうち130がロンドンに集中。そこで1768年、年4回の会合のための施設を作るべく、場所探しと資金集めが始まる。金融街に近いフリート・ストリートやリンカーンズ・イン・フィールズなどが候補に上がるが、シティ(経済)とウェストミンスター(政治)の中間点である、コベント・ガーデンのグレート・クイーン・ストリートに決定。1776年5月23日、トーマス・サンドビーによって61番地の中庭に最初のフリーメイソンズ・ホールが完成した。
De Vere Grand Connaught Rooms 中庭の奥にあった建物は オフィスと会議室に改装され、道路に面した建物は「フリーメイソンズ・タバーン」となった。現在は豪華なコンフェレンス会場「De Vere Grand Connaught Rooms」として一般の人も利用できる
第一次大戦のメモリアル・ホール
1813年にイングランドの別のグランド・ロッジを合併吸収し、「ユナイテッド・グランド・ロッジ・オブ・イングランド」へ改称。会員増加により、周囲の土地を買収し、著名な建築家ジョン・ソーンらがホールを増築していった。だが1883年の火事による損傷が激しく、1930年代には取り壊しを余儀なくされる。現在のホールは建物としては3つ目で、第一次大戦で従軍中に命を落とした、3225人のフリーメイソンのためのメモリアルとして建築された。メモリアルはビクトリア女王の三男である、当時のグランド・マスター、コノート公のアイデアで、デザインはH・V・アシュレーとF・W・ニューマンによる。1933年に完成した当時は「メソニック・ピース・メモリアル」と呼ばれた。
アール・デコ様式のステンドグラスは「犠牲の上に得た平和」がテーマ。その下にはブロンズ製の装飾された小さな棺が置かれており、中にはメモリアル・ロール(兵士たちの名前が記された記念紙)が入っている
グランド・テンプルが貸ホールに
フリーメイソンズ・ホールの中で最も大きな集会スペースが、グランド・テンプル。毎年各地からグランド・ロッジの会員が集まり、会合や儀式が開催される大ホールで、会員にとっては重要なエリアだ。だが1985年にフリーメイソンズ・ホールが一般に公開されるようになるとともに、グランド・テンプルもイベント用にレンタル可能なスペースとして利用されるようになった。映画やテレビ・ドラマのロケ地や、ファッション・ショーの会場として、更にはパーティー会場などにも使われている。ただし実はこれは驚くことではなく、初期のグランド・ロッジも建築資金を念出するため、ミュージカルやコンサート用にスペースを貸し出していたことがあるという。
グランド・テンプルの重厚な扉。クイーン・ビクトリア記念碑などを制作した彫刻家、ウォルター・ギルバートによるレリーフが付いたブロンズ製。古代イスラエル王ソロモンの寺院建築がモチーフ
英国のフリーメイソン
300年の歴史とその時代背景
1717年6月24日 | ロンドンにグランド・ロッジが設立 |
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1723年 | フリーメイソンの初の教則本 「The Book of Constitutions of Masonry」が出版 |
1725年 | アイルランドにグランド・ロッジが設立 |
1736年 | スコットランドにグランド・ロッジが設立 |
1738年 | ローマ教皇クレメンス12世が初めて教皇勅書「イン・エミネンティ」でフリーメイソンを排斥 |
1751年 | ロンドンに2つ目のグランド・ロッジ「Antients」が設立。最初のグランド・ロッジとライバル関係に |
1753年 | 大英博物館が設立される(開館は1759年) |
1776年5月23日 | グレート・クイーン・ストリート61番地に最初のフリーメイソンズ・ホールが完成 |
1813年12月27日 | 「ユナイテッド・グランド・ロッジ・オブ・イングランド」が設立 |
1828年~1831年 | ジョン・ソーンのデザインによるホールが増設 |
1837年 | ビクトリア女王が即位 |
1851年 | ロンドン万国博覧会が開催 |
1862~1869年 | ソーンの死の直後、フレデリック・ピープス・コッカイルがホールを再建 |
1914年 | 第一次大戦が勃発 |
1933年7月19日 | 第一次大戦のメモリアル・ホールでもある新たなフリーメイソンズ・ホールが完成 |
1939年 | 第二次大戦が勃発 |
1967年6月14日 | ロンドンのロイヤル・アルバート・ホールでグランド・ロッジ設立250周年を祝う記念式典が開催 |
1985年 | フリーメイソンズ・ホールの一般公開が始まる |
2017年6月24日 | グランド・ロッジ設立300周年 |
フリーメイソンズ・ホールのツアー
基本的に平日は1日5回、土曜日も1日に2回開催されているガイド・ツアー。ファースト・フロアのライブラリー&ミュージアムが集合場所となっているため、そこに着くまでの美しいアール・デコ様式の階段や廊下など、途中の様子も楽しめる。ライブラリーの入口でサインをして、ツアー開始を待ちながらライブラリーの展示資料や奥のミュージアムなどを観覧できる。ツアーでは、スタッフがフリーメイソンの不思議な儀式用品、アールデコ様式のホール、そしてグランド・テンプルと呼ばれる儀式用ホールなどを巡りながら、ユーモアを交えて解説。写真はどこを撮ってもよく、撮影タイムを作ってくれる場合も。所要時間は約1時間。スタッフによって、説明する展示品や歴史が、若干異なる可能性あり。
月~土 10:00-17:00
ツアー開始時間: 月~金 11:00、12:00、14:00、15:00、16:00 / 土 10:30、14:00
入場・エキシビション・ツアーともに無料 (写真付きIDを求められる場合がある)
The Library and Museum of Freemasonry
60 Great Queen Street, London WC2B 5AZ
Tel: 020 7395 9257
http://freemasonry.london.museum
最寄駅: Holborn / Covent Garden
エキシビションも開催中
現在ミュージアムで鑑賞できるエキシビション「Brethren Beyond The Seas」は2018年2月23日(金)まで開催。また、ライブラリー&ミュージアムの手前には エキシビション・ギャラリーもあり、ここでは数々の貴重な儀式用品が展示された 「Three Centuries of English Freemasonry」を観ることもできる。なお、6月24日(土)は300年記念日として、オープン・デーのイベントも開催されるそう。
フリーメイソンA氏による解説
意外なことに、フリーメイソンは第二次大戦前まではそれほど閉ざされた謎の組織とは人々に見なされていなかったという。A氏いわく「そろいの衣装で街を歩くサッカー・ファンの集団みたいなもの」。これが変化したのが、1930年代後半、ナチス・ドイツの時代。各国にネットワークを持つ友愛組織など、欧州制覇を狙うナチス・ドイツには邪魔でしかない。同国でフリーメイソンの行動は弾圧され、会員であるために収容所送りになった者もいたそう。これを避け、目立たないよう活動したフリーメイソンは、世の中に平和が戻って来たとき、いつのまにか時代遅れで不気味な秘密結社と呼ばれるようになっていたのだとか。