反ユートピア小説「1984」出版から70年オーウェルが警告した近未来の全体主義社会
英ジャーナリスト・作家のジョージ・オーウェル(1903~1950年)が1949年に風刺SF小説「1984」を発表し、今年で70年が経過した。オーウェルは1984年の世界で人々が息苦しい監視社会の中で暮らす様を描き、全体主義に警鐘を鳴らしたが、この本が現在再び脚光を浴びているという。それは「もう一つの真実」といった言葉や、国や企業による個人情報のデータ化など、私たちが住む現代の社会が驚くほど「1984」の作中の世界に近づいてきているためだ。ここでは、70年前の本作執筆当時のオーウェルや英国の世相を振り返りつつ、「1984」で描かれた世界と現代社会の類似点を探る。(文: 英国ニュースダイジェスト編集部)
参考文献:Orwell The Life by D.J.Taylorなど
左)ペンギン・クラシックス・シリーズの「Nineteen eighty-four」
右)熱心な民主的社会主義者だったジョージ・オーウェル
「1984」あらすじ
1950年代に勃発した核戦争後、世界はオセアニア、ユーラシア、イースタシアという3つの大国に分割され、三国は常に戦争状態にあった。作品の舞台であるオセアニアはビッグ・ブラザーと呼ばれる独裁者に支配された全体主義国家で、市民の思想や言動には厳しい規制が加えられ、その暮らしは巨大なテレスクリーンなどで常に監視されている。
1984年、オセアニア真理省の記録局に勤務し、「過去の歴史の改ざん」を担当する小役人ウィンストン・スミスは、偶然、過去のある新聞記事を見つけたことで、絶対であるはずの党に対する疑問が芽生える。やがて、スミスはテレスクリーンから見えない場所で密かに日記を付けるという「重大な犯罪行為」に手を染める。
小説出版までの経緯と当時の英国
ジョージ・オーウェルは第二次世界大戦中、BBCでラジオ番組制作にたずさわる他、英「オブザーバー」紙の書評家・特派員としても活動。その一方で1945年には寓話政治小説「動物農場」を発表し、一躍ベストセラー作家の仲間入りをするなど、多忙な日々を送っていた。しかし同年に妻を亡くし、自らも肺を患っていたことから、知人の勧めで46年にロンドンを離れ、幼い息子と共にスコットランドの孤島ジュラ島に移り住む。しかしジュラ島の自然は厳しく、特にこの年の冬は「100年に一度の寒波」と言われる寒さが英国を襲った。「動物農場」で反スターリン主義・反全体主義を描いたオーウェルは、これをさらに一歩進めた本格的な政治小説を静かなジュラ島で執筆する計画を立てていたが、厳しい天候、体調の悪化、戦争直後の物資不足などあらゆる方面から苦しめられた。当時の英国は大戦の混乱からまだ立ち直っておらず、依然として配給制度が続いており、ジュラ島に限らず、国民は戦時中から続く厳しい日々の暮らしに疲弊していた。
ジュラ島のバーンヒルに残るオーウェルの暮らしていた家
対外的には、インドやスリランカなどかつての植民地が相次ぎ独立した時期でもあり、英政府はマーシャル・プランで米国からの資金援助を受け、米国の反ソ・反共政策に協調する政策をとり始める。冷戦時代の幕開けである。世界が次第に変わりゆく中で、オーウェルは47年に結核と診断されながらも驚異的な忍耐力で執筆を進め、48年12月に「1984」を書き上げる。だが翌月49年1月にはイングランド南西部グロスタシャ―のサナトリウムに入院。6月に「1984」を上梓するも、翌50年1月21日にロンドンの病院で死去。46歳だった。
「1984」出版前後の世界情勢
1939 | ポーランドを占領したドイツに対し英国が宣戦布告 |
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1940 | 英国本土への空襲が始まる |
1941 | 米ソが参戦 |
1945 | 第二次世界大戦終戦 |
1947 | トルーマン米大統領が世界規模の反ソ反共政策を提唱 |
1948 | マーシャル米大統領が欧州復興計画を発表 ベルリン封鎖やマッカーシズムの台頭 |
1949 | 中華人民共和国の成立 「1984」出版 |
1950 | 朝鮮戦争勃発 オーウェル死去 |
1953 | スターリン死去 |
1959 | キューバ革命 |
1961 | ベルリンの壁によりドイツが東西分断 |
1962 | キューバ危機 |
1984 | アップル社が一般向けコンピューター、マッキントッシュを発表 |
タイトルにまつわる5つの仮説
1948年、オーウェルは本作のタイトルを「Nineteen eighty-four(1984)」とするか「The Last Man in Europe(ヨーロッパ最後の男)」とするかで迷っていたという。出版社の勧めで「1984」を採用したが、なぜ1984という年がタイトルに選ばれたかは語られておらず、今ではいくつかの仮説が存在している。
- 完成時は1948年。1948年の8と4を入れ替えた。
- 1984年はオーウェルの息子リチャードが40歳になる年。ちなみに「1984」の主人公は39歳という設定。
- オーウェルが愛読した米作家ジャック・ロンドンの政治小説 「鉄の踵」で舞台となったのが1984年。
- 英小説家 G.K.チェスタトンが1904年に発表した 「新ナポレオン奇譚」では、1984年の英国が描かれている。
- 1884年に発足した英国の社会主義団体、フェビアン協会の100周年にあたる年。同協会は社会福祉の充実による社会主義改革をめざし、オーウェルもメンバーの一人だった。
1956年作の英映画「1984」の1シーン
Big Brother、Thought Police…… 「1984」から生み出された言葉
作中に出てくるオーウェルの造語のいくつかは、現代社会に定着し実際に使われている。ここでは「1984」から生まれた代表的な単語をいくつか紹介する。
Orwellian [オーウェリアン]
「1984」でオーウェルが描いたような極端な監視管理社会を指す。また、「1984」的な反ユートピア作品を「オーウェリアンSF」などと言うこともある。
Big brother[ビッグ・ブラザー]
作中の全体主義国家オセアニアに君臨する独裁者。巨大なポスターや、テレスクリーンで登場する。しばしば「ビッグ・ブラザーがあなたを見ている(Big brother is watching you)」というフレーズとともに監視社会の例えとして使われている。
Thought police[思想警察]
常に市民たちを監視し、党やビッグ・ブラザーに反対の思想を持つ政治犯を逮捕する機関。そこから、国家組織の根本を危うくする行為を除去するためと称して、疑いのある人物の逮捕を行ったりイデオロギー的な正当性を強制したりするような特高警察を指すようになった。
Room101[101号室]
党に反対する思想を持つ政治犯に対し、精神的拷問と洗脳が行われる部屋のこと。そこから転じて、拷問部屋のような我慢ならない場所という意味で、うんざりするほど長い会議が行われている会議室などに対しても使われる。
Newspeak[ニュースピーク]
作中で、従来の英語を基に思考の幅を縮小するようにデザインされた言語体系。言葉の選択肢を最小まで減らすことで、複雑な思考を困難にするのを目的とする。例えば、「悪い(bad)」という単語がなくなり、「良くない(un-good)」で代用するなど。実際に日本では、数年前にオバマ元大統領の使った「profound mistake(重大な誤り)」を単に「正しくない」と訳している。また、支配者が市民を扇動しやすいように、すばやく発音でき、話す者の頭に最小限のものしか想起させない短く耳触りの良い単語に変換されることもある。
Doublethink[二重思考]
自分の心の中にある対立した考えを同時に信じ込み、対立が生み出す矛盾は完全に忘れられる状態。例えば、2+2は4だが、党や支配者が5といえば5とも考えられる能力。全体主義国家を支配するエリート層が、市民に対して要求する考え方で、本作を表すもっとも象徴的な語の一つ。SNSの登場によって、自身の考えに対する一貫性や責任意識が薄れてしまった現代社会においては、たとえ支配者が不在だとしても二重思考は起こり得ると言える。
「1984」の世界に似てきた現代社会
「1984」は欧米を中心に世界中で読まれている20世紀の名著の一つとして常に一定の人気を保っているが、2017年1月23日に米国で突然アマゾンのトップ10リストに上がり、同25日には1位になった(ロイター調べ)。これはトランプ米大統領就任式の聴衆数が誇張して発表された後、テレビ番組に出演したコンウェー大統領顧問が「オルタナティブ・ファクト」という言葉を用いてそれを正当化したのがきっかけだった。数字の誇張が虚偽ではなく「オルタナティブ(=代案、既存のものに取ってかわる新しい)な事実」、つまり「もう一つの真実」だとする考え方は、まさにオーウェルが「1984」で扱ったニュースピークや二重思考の概念と重なる。
英国でも、2016年6月の欧州離脱を問う国民選挙を前に、離脱派によるさまざまな虚偽の数字や公約がなされ、投票結果に影響が出た。オックスフォード辞典は2016年を象徴する言葉として「ポスト・トゥルース(ポスト真実)」、客観的な事実よりも感情や個人の信条に訴える方が世相にアピールできる状況を挙げている。これは人々がSNSに出回る情報が事実であるか否か注意を払っていないことも指す。また、近年ではGPSなどテロ行為防止のための監視システムや個人識別データの作成といった国民を管理する仕組みも進んでいるため、社会はいよいよオーウェルが危惧した世界になってきたのだと言える。
映画や音楽にも「1984」が後のカルチャーに与えた影響
「1984」の世界観は映画、音楽、小説などカルチャー面にも影響を与え、さまざまなジャンルで反ユートピア的な世界が描かれた。「1984」自体が英国で2度(1956年、1984年)映画化されている他、音楽ではデービッド・ボウイが1974年のアルバム「ダイヤモンドの犬」で同著にオマージュを捧げている。また、外部から隔離され監視カメラやマイクの付いた家で男女が3カ月間生活する様子を追うリアリティー番組「ビッグ・ブラザー」が1999年から世界各国で放映された。英国では「ルーム101」のタイトルで、ゲストが自分の嫌いなものについて語るトーク・ショーが1994~2007年、2012~19年に放映。日本では、村上春樹が2009年に「1Q84」を発表。村上はオーウェルの「1984」を土台に、近未来ではなく近過去を描いた。