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Thu, 21 November 2024

松井大輔 ©GF38/ZOOMW杯特別インタビュー 松井大輔

現役の海外日本人プロ・サッカー選手として、長く活躍を続ける松井大輔。
サッカー、海外生活、そしてワールドカップ(W杯)について、
フランスの1部リーグに所属する松井がW杯を目前に語った。
(Interview et texte : Ryoko Umemuro)

5月10日、サッカーW杯南アフリカ大会の代表選手発表日。フランス時間午前7時、フランス東部グルノーブルにある自宅で松井大輔は岡田武史代表監督が告げた自分の名を耳にした。この時の気持ちを「正直、ほっとした」と言う。

困難な道を選び続けてきたサッカー 選手はこの時、世界最高のピッチに立 つチャンスを手に入れた。

フランスのサッカー

松井がフランスに渡ったのは2004年9月、パリから南西へ200km程の場所に位置するプロサッカークラブチーム、ル・マンへの移籍によってだ。23歳だった。

欧州チャンピオンズリーグの結果などを通じフランスのサッカーを知る人にとって、イングランドやスペイン、イタリア、ドイツと比べフランスのリーグは格下と映るかもしれない。しかしだからといって、実力のある日本人選手がすぐに活躍できる場所であるかといえばそうではない。

フランス人を形容するとき、よく「個人主義」という言葉が使われる。サッカーでも同じようなところがあり、1対1で勝つことのできる技術と身体能力が要求される。フランス・リーグの試合を見ていると、スピーディーに駆け巡る試合展開の中で、まるで人生を賭けたかのような1対1の一瞬の死闘にゾクッと全身を緊張させることがある。特にアフリカ系の選手が多いため、フィジカルの強さは必須だ。結果を残すためにはまず、日本人選手が努力では克服できないような先天的な体格差を持つ選手がしかける激しい当たりに勝たなければならない。事実、これまで多くの日本人選手がフランスのクラブと契約を交わしているが、成功者としてフランス国内で評価を得ているのは、現在のところ松井大輔だた一人だ。

松井は言う。「フランスのサッカーでは個人の能力が重視されます。一人一人が何でもできる、というのがフランスサッカーにおける能力なんです。その中でも1対1というものがものすごく厳しい。取るか取られるか、1対1で勝ってやる、もうそこしか見ていないですね」。2004年当時のル・マンが属していたフランス2部リーグは、技術的には見劣りする分、当たりがものすごく激しかった。それを目の当たりにした松井は、フィジカル面の強化に努める。こうして、激しい当たりに負けない肉体的な強さを身に付けた上で持ち前の技術を発揮、イマジネーション豊かなプレーを繰り広げ、松井は結果を生み出していく。松井の活躍によりル・マンは1部に昇格、松井は「ル・マンの太陽」と謳われた。長く険しい冬が明け春の青空が広がると、こんなにたくさんの人がいたのかと思うほど、多くの人々が太陽を求め外にあふれる。そんなフランスを経験した人にとって、この言葉がどれほどの意味をなしているか、想像に易いだろう。

©Picture by: Tony Marshall/EMPICS Sport
フランス・リーグ1部トゥールーズ ー ル・マン

海外でプロとして居続ける

現在、海外のプロサッカーチームに50名以上の日本人選手が所属している(2部以上)が、その中でも松井は6シーズンと長くプロとして海外のグラウンドに立ち続けている。松井自身にとっても日本のJリーグよりも長いシーズンをフランスで送った。

しかしすべてが順風満帆だったわけではない。勝ち方を忘れてしまったかのようなチームの連敗やケガに苦しんだ時、試合に出られずベンチを温め続けた日々もある。言葉、生活習慣、価値観、さまざまなものが日本とは異なる海外でモチベーションを高く維持するために、松井は常に「何事もポジティブに」考えた。都度、ポジティブに考えながら現実を受け止め、その時々できる限りの努力を惜しまずにやってきた。また、「毎回プレーでストレスもたまったりするので、買い物や音楽を聴く」ことによって気持ちのバランスを維持する。海外でプロのアスリートで居続けるためには「サポーターに気に入られることが大事」とも言う。

現在、松井はさまざまなチームからオファーを受けているが、次の所属先は全く決めていない。W杯の後に、「自分を必要とし、自分が最も信頼できるチーム」に行きたいと考える。「うまい選手が集まるところで成長したい」と海外のリーグを望むが、特にフランスのチームというこだわりはない。

©GF38
グルノーブル・フット38に移籍後、監督と初対面

「フランスが僕を育てた」

15歳でフランスのクラブチーム、パリ・サンジェルマンの練習に参加し、21歳の時にはU-21の日本代表として戦ったトゥーロン国際大会で日本最高成績の3位、松井個人はベストエレガント賞を受賞した。その他日本代表選手として国際試合に参加する中でパリは比較的多く立ち寄る街だった。しかし、ル・マンと契約を交わす以前、松井にとってのフランスは「パリというイメージ」、ただそれだけ。フランス・リーグにもフランスにもさしたる思い入れはなく、言葉も話せなかった。

6年近くをフランスで過ごした松井に改めてこの国について聞くと、まっ先に返ってきたのは「不便に慣れましたね」という答え。「1カ月インターネットがつながらない。お湯が出ない」。松井や筆者だけでなく、フランスで生活したことがあれば、この「不便さ」を身にしみて感じる人も多いのではないか。何せ、「ガス、電気、水、どれが止まると一番困るか」という議論が、当たり前に起こり得る問題として日常会話の中に成り立つ国なのだから。松井は言う、「僕だけではなくて、フランス人も同じ環境なんですよね」。

サッカー選手としてだけでなく、人間として成長した。「どれだけ日本人が恵まれた環境で育っているかということを、改めて分かりました。それは僕にとってすごく良かったです。何でも人にやってもらうのではなく、一人の人間として自立心を持つということ。そういう意味では、僕を育ててくれたのはフランスという国です」。人生観という意味でも松井の考えはこの地で変化した。「何のために生きているのかという意味でも、例えば家族を大切にする、バカンスを大切にするフランス人はすごくいいと思います」。松井自身もバカンスを大切に過ごす。欧州ではいろいろな場所へ旅行で訪れた。フランスのおすすめの場所は「南ですね」とのこと。まだ訪れていないサントロペへはぜひとも行きたいという。

©GF38
グルノーブル・フット38の
オフィシャルブティックで開かれたサイン会

W杯にかける思い

2006年、W杯ドイツ大会では代表に選ばれなかった。月間MVPに選ばれるなど、ちょうどフランスで活躍し、代表入りを有力視されていた中で味わった悔しさ。4年の時を経て代表に選ばれた今年、異国で困難の道とも見られるような挑戦をし続けた松井はサッカー選手としても人間としても4年前よりも大きくなっていた。

「サッカー選手としては本当に出たい大会」と言う松井は、「(W杯の舞台で)サッカーで何か松井大輔という人間を表現できればと思っています」と意気込みを語る。

岡田監督は代表発表の記者会見で「日本人らしいサッカーをしたい」と語った。これまで代表選手としてプレーをしてきた松井は岡田監督の考える「日本人らしいサッカー」を「全員攻撃、全員守備という全員サッカー」と説明する。「(大会期間中南アフリカは)冬ですし寒いでしょうから、体力という意味でも走り勝つことができると思っています」。その日本代表における自身の役割については、「フランスでもやっている通り、自分の武器はドリブルや1対1、そして局面の打開。それらをしっかりとやり、最後は突破できるように。それと、しっかり守ることが大事」だと考える。だが先に述べたように、岡田監督の考える「日本人らしいサッカー」は個人の能力を重視するフランスのサッカーとはいくぶん異なるようにも思える。それについては「日本チームの団結力、皆で協力し合うチームワークの中に僕個人の能力をうまく取り入れたい」と言う。だからこそ試合までの残された期間では「コミュニケーションを取る」ことに重点を置きたいと考えている。「いろんな人としっかり話し合うことによってチームワークも上がってくるし、最終的に今はそういう段階だと思っ ています」。

各国の代表クラスの選手が名を連ねる1部リーグで、所属するグルノーブル・フット38の中心選手として昨シーズンを送った松井は自信をもって言う。「フランスのリーグにもいろんな国の人がいますし、いつも外国人とやっている。そういう意味では、日本でやっている人たちよりも臆することなくいつも通りのプレーができると思っています」。

©AP Photo/Shuji Kajiyama
アジア杯サッカー最終予選・日本-バーレーン

「苦労した分だけ返ってくる」

欧州に暮らす読者へのメッセージを聞くと、返ってきたのはスターとしてのそれではなく、海外で自ら戦いを続けそして夢をつかんだ青年の言葉だった。

「僕たちは海外という、言葉も違えば文化も違う場所にいて、それぞれ皆さん本当に苦しい思いもしていると思うんですね。これは、日本に居る人には分からない、海外に行った人にしか分からないことだと思います。でも、人間は苦労をすれば何かを得ていく、苦労した分だけ自分の中に返ってくると思うのです。いろんな大変なことはありますけれど、最終的な目標に向かって、みんなでがんばっていきましょう」

フランスに来て得たものの中で最も大きかったものは何か。穏やかな口調で、しかし確信を持って松井は言った「自信ですね」。

「ここまでやってきたという自信が一番大きいです」

異国の地で自ら厳しい道を選び続け、そのたびに成長を手に入れていった松井は6月、自信を胸にサッカー最高峰のグラウンドに立つ。

松井大輔
1981年5月11日、京都府生まれ。MF。鹿児島実業高校卒業後、2000年京都パープルサンガ入団。2004年フランスのル・マンにレンタル移籍。2005年完全移籍。2008年ACサンテティエンヌに移籍。2009年よりグルノーブル・フット38に所属。
www.matsuidaisuke.net
グルノーブル・フット38
1892年グルノーブル初のフットボールクラブとして創立。2004年以降日本企業インデックスがオーナーに。松井の他、伊藤翔が在籍。スタッフにも日本人がおり、松井いわく「家族的なチーム。チーム、サポーター、生活環境すべてに感謝している」。www.gf38.fr
 

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