北アイルランドで シン・フェイン党が初の第1首相選出
- 2年ぶりに自治政府が復活
今月上旬、約2年ぶりに北アイルランド自治政府が復活しました。大きな注目を浴びたのが、英国から離脱し、隣国アイルランドとの統一を目指すシン・フェイン党のミシェル・オニール副党首(47)が「第1首相」(First Minister)に選出されたことです。過去に武装闘争を繰り返したカトリック系民兵組織IRAの元政治部門となる、同党の政治家がこの職に選出されるのは史上初めてです。
北アイルランドでは1960年代から約30年、人口の上では多数派となるプロテスタント系住民と少数派のカトリック系住民との間で衝突が続きました。しかし98年に包括和平合意が結ばれ、以来、両派の共同統治による自治が行われてきました。自治政府には「第1首相」と「副第1首相」(Deputy First Minister)が置かれ、両者は同等の権限を持ち上下関係にはありません。ただ、議会選で最多の議席を得た政党が第1首相を出すので、オニール氏は北アイルランド政治のトップに立った印象を国民に与えますよね。
2007年以降、英国への帰属維持を求めるプロテスタント系の民主統一党(DUP)が、議会選で第1党となり第1首相を出してきましたが、22年5月の議会選でシン・フェイン党が2議席の差をつけて初めて第1党に躍進。ところがこのとき、組閣は実現しませんでした。この年の2月、DUP出身の第1首相が英国の欧州連合(EU)からの離脱に伴う国境管理に反発して辞任し、DUP指導部は5月に成立するはずの自治政府への参加をボイコットしたからです。今年2月に入って、英議会が物流の手続き簡素化を承認したことでDUPが態度を軟化させ、自治政府復活の運びとなりました。
オニール氏は1977年、アイルランドとの統一を支持するカトリック系の家庭に生まれました。父は元IRAの受刑者で後にシン・フェイン党に入り、北アイルランド中部ダンガノン市の市議となりました。オニール氏は16歳で最初の子を妊娠しますが、母親に子育てをしてもらいながら高校を優秀な成績で卒業。包括和平合意が成立した98年にシン・フェイン党に入党します。同党の当時の副党首マーティン・マクギネス氏の選挙運動を手伝った後、2005年、引退する父の後を引き継いで市議に選出されました。07年からは自治議会の議員に当選し、11年に農業相に抜擢されます。16年には保険相に就任し、危機状態のヘルスケア部門を変革する10カ年計画を提示しました。17年1月、自治政府の副首相だったマクギネス氏が辞任を表明します。DUPが主導した再生エネルギー計画に関わるスキャンダルがきっかけでした。マクギネス氏は同年3月に病死し、葬儀の際に棺を担いだ1人がオニール氏でした。20年1月から22年2月までは副第1首相を務めていました。今年2月3日の第1首相就任時、オニール氏は「全ての人に平等に奉仕したい」と述べています。
一方DUPが副首相職に選出したのは、法廷弁護士の資格を持つエマ・リトル=ペンゲリー氏(44)です。父親はプロテスタント系武装グループ「アルスター・レジスタンス」のメンバーだったそうです。リトル=ペンゲリー氏はクイーンズ大学ベルファストで勉学し、2007年から自治政府の第1首相イアン・ペイズリー氏の特別顧問として働き出しました。15年に自治議会の議員となり、17年には一旦国会議員に当選しましたが、19年の総選挙で落選。翌年から自治政府第1首相アーリン・フォスター氏の特別顧問役になりました。21年、フォスター氏の辞任をきっかけに一旦は政界を去りましたが、22年5月の議会選でラーガン・バレ選挙区で当選したDUP党首ジェフリー・ドナルドソン氏が国会議員としてのみ働くことを選択し、同選挙区を引き継ぐことになりました。自治政府の首相職が女性2人になるのは、史上初めてです。まずは政府不在のために滞っていた公的サービスの充実化を進めることが課題になりそうです。
First Minister(第1首相)
北アイルランド自治政府執行部のトップ。執行部はカトリック系政党とプロテスタント系政党が共同統治する形を取り、第1首相がカトリック系であれば「副第1首相」はプロテスタント系になり、名称は「副」だが権限は同等。10の執行大臣職のなか、現在カトリック系4、プロテスタント系4、特定の宗派に属しない同盟党が2職を担当。