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ロンドンのゲストハウス
jeu 19 octobre 2017

パリ同時テロ、そして空爆…
憎しみの連鎖を断ち切るには?

パリ同時テロから2週間以上が経った今、パリの街の雰囲気は確実に変わった。私たちの生活範囲で警官隊の姿をより頻繁に見かけるようになったが、物騒というより安心感すら与えてくれるようになってしまった。一方、シリアでは仏政府による空爆が数日間行なわれ、空爆が罪のない一般市民を巻き添えにしかねないという現実からも目を背けてはならない。テロはもう起こらないでほしい、そして空爆も終わりにしてほしい…。しかしどうすればこの世に平和が訪れるのだろう?

パリ同時テロ1週間後の事件現場となった街の様子

レピュブリック広場
左)レピュブリック広場に置かれた無数の花束は、突然訪れた理不尽な死を悼む市民の無念を表しているかのようだ
右)「La Belle Équipe」このビストロで誕生日を祝うために訪れた人たちも犠牲になった

Le Carillon
左)襲撃されたバー「Le Carillon」。バーのガラスには銃弾で打ち抜かれた生々しい傷跡が。それを埋めるかのように花が差し込まれていた
右)銃弾の傷跡の上に張り紙を見つけた。「私はイスラム教徒だ。そして私はテロリストではない。イスラムの意味は『サラム』=平和。被害者の家族を支援する。JE SUIS PARIS」

Bataclan
左)このテロで最も犠牲者が出てしまった劇場「Bataclan」。警察官が今も多く、周りはシートが掛けてある
右)道路を挟んだ柵には犠牲者の遺影などが掲げられている

避難場所提供というジャーナリストの機転

事件の夜、テロの悲劇の裏では必死に救助にあたった人たちがいた。2時間で20万回のツイートがされたハッシュタグ「#PorteOuverte」を思いついたのは、30代のフランス人記者だ。事件現場近くでの食事がキャンセルになり、丁度自炊料理が出来上がった時のこと。バタクランの方から銃声が聞こえたためTwitterで検索してみると、10区、11区で被害が 拡大しているのが分かった。「自分に何ができるか考えた末、人々は安全な逃げ場を探していることを知った。そこで、逃げ場所を提供するよう人々に呼びかけるため、ハッシュタグ『#PorteOuverte』をつけたツイートを思いついた(11月21日付「Le Magazine du Monde」)」と語っている。2時間後には、このキーワードつきのツイートは約20万にのぼり、テロのあの夜に、多くの人たちが安全な場所へ避難することができた。この後、シルバンさんは友人たちと「#ParisDoitResterUneFete」のツイートを始め、テロ警戒のために外出を控える人々を勇気づけている。

「憎しみという贈り物はあげない」犠牲者遺族の言葉

バタクラン劇場で妻を亡くしたアントワーヌ・レリスさんが、Facebook に投稿した文章がある。「私はあなたたちに憎しみという贈り物をあげない」。怒りで反応すれば、テロリストと同じになってしまうという意味を込めたそうだ。「息子(17カ月)と私は2人になってしまったが、私たちは世界中の全ての軍隊より強い。(中略)彼は毎日のようにおやつを食べて、私たちはいつものように遊んで、この小さな男の子の人生が幸せで自由であることが、あなたたちを辱めるだろう。あなたたちは彼の 憎しみすら得ることはない」。レリスさん はテレビ番組に出演し、16日にやっと妻と対面できた時、この気持ちをどこに書いたらいいのか分からずFacebookに投稿 したと明かした。レリスさんの元には「あなたは手本だ」というメッセージが届いたが、「私はぜんぜん完璧な人間なんかではない」と強調。もしかして、明日、あさって、怒りの感情が込み上げてくるかもしれないけど、憎しみを忘れる努力をすると決めたそうだ。レリスさんは言う。「私たちは無差別の憎しみを盲目的な愛で返す」

パリ同時テロを受けてー作家が語る言葉

今回のテロを受け、フランスのメディアでは、連日フランスの識者たちが様々な声を発していた。ここでは、自身もテロに遭ったことのあるイスラエル人作家と、フランス人作家の言葉を紹介する。

「爆発音の他にもう一つの音が聞こえる」

自身も自爆テロに巻き込まれた経験があるイスラエル人作家のZeruya Shalevさん。2004年、イスラエルで子供を幼稚園に送り届けた後、バスの自爆テロに遭遇しShalevさん自身も重傷を負った。その時に体験したことは今でもよく覚えているという。「孤児となる小さな子供を残していく母親のうめき、もう決して大きくなることのない女の子の叫び声、もう二度と家へ帰ることもできない子供の泣き声」が、爆発音の他のもう一つの大きな音として、深く、恐ろしく耳に残っている」と。Shalevさんは、パリにはいなかったが、パリの道端でもこういう「音」が響いたこ とだろうと想像する。今回のパリ同時テロを受け、「国籍や宗教の差別なき、人道的で勇気ある連帯の中で、私たちはテロを拒絶する全ての手と手をつなぐ必要がある」(11月20日付「ル・モンド」)と述べて いる。また、「攻撃なしでどのように守るのか?自由や平等、安全に反する衝突はどう解決するのか?それは間違いなく難しい課題だが、私はフランスという長い歴史のある国が、そのバランスを見つけられると信じている」(11月20日付「ル・モンド」)と語った。

「人として生きる苦しみを受け入れ続ける」

カンヌ生まれの作家Frédéric Boyer さんの寄稿文、「2015年11月13日、金曜日の記憶(11月20日付「ル・モンド」)」の中に、こんな言葉がある。「私は自分が好きなものを愛し続けることをやめない。憎しみを消し去ることをやめない。テラスでビールを飲み、コンサートで音楽を聴き、皆と笑い、話すことをやめない。私は敵を愛そうとすることをやめない。絶対に。(中略)私は理解できないものを愛することをやめない。コーランを読むことをや めない。(中略)私はイスラム教徒を愛することをやめない。(中略)もし神が存在するのなら、神がおそらくいつも犠牲者らの側にいるのだと語るのをやめない。(中略)私は時に間違えるということを認めるのをやめない。(中略)私はキリスト教徒であると言うことをやめない。(中略)私は人として生きる苦しみをありのままに受け入れ続ける」。彼の言葉の中では日常生活を続けることの大切さや、全ての宗教を越えた友愛の精神が強調されている。また、一つの考えに固執せず、物事を俯瞰して広い視野で捉えることの重要性を、私たちに投げかけているかのようだ。

「戦争」を宣言したフランスによる空爆

空爆パリでの同時テロ発生後、オランド大統領は「報復」として、過激派組織「イスラム国(IS)」の拠点となるシリアなどへの空爆強化を進めた。空爆地域での一般市民の犠牲者に関する報告は出ていないとはいえ、空爆は、何の罪もない子供たちまでをも巻き添えにしかねない。この復讐劇は、果たして解決策といえるのか…。テロは無差別に無実の人々を殺戮する。一方、空爆という言葉は「正義」として正当化されがちだが、それを受ける可能性のある無実の市民にとって、テロとどんな違いがあるのだろうか。この点について、「戦争」を宣言したフランス国内の紙面で、多く語られることはない。

今年シリアで、ISによって無残にも命を奪われた日本人ジャーナリスト・後藤健二さんは、生前シリアで空爆などによって、何の罪もない子供たちの犠牲が出ている現実を目にし、伝え続けてきた。

「目を閉じて、じっと我慢。怒ったら、怒鳴ったら、終わり。それは祈りに近い。憎むは人の業にあらず、裁きは神の領域。――そう教えてくれたのはアラブの兄弟たちだった」後藤健二さんツイッターより

どのようにテロとの戦いを、一般市民の犠牲者を出しかねない空爆を終わらせられるのか。一人一人が胸に問いかける時期がまさに来ているといえる。

毎日一人ずつ紹介されるテロ犠牲者のポートレート

フランス紙「ル・モンド」や「リベラシオン」では、13日のテロで犠牲になった方々のポートレートを、毎日一人ずつ紹介する試みを始めた。紙面とインターネットサイト、両方に掲載されている。サイトを見ると、紹介される犠牲者の顔写真の数は、無念なことに徐々に増えていく。写真をクリックすると、犠牲者の方の名前と年齢が表示される。そこには、20代~30代の若者の姿も目立つ。

ル・モンド

たとえば、コンサート会場バタクランにいたパリの中学校の英語教師デュネさんは、授業中にギターを片手に ジョン・レノンやシェイクスピアの言葉を口ずさみながら生徒と接する人物だった。1月のシャルリー・エブド新聞社襲撃事件の時は、怖がる生徒たちに「怖がってはいけない、前へすすまないと」と繰り返し勇気づけていたという。デュネさんが勤めていた学校の入り口には、彼の写真と愛用していた楽器、そして生徒たちが弔意を書き込むノートが置かれている。デュネさんは、多くの生徒の人気者だった。

「ほんとうの非暴力の道を選べば、暴力よりもはるかに多くの勇気が必要になります」
M. ガンディー 1946年8月4日付「ハリジャン」紙

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