最も洗練されたキリスト教建築の様式であり、「美の極限」とも表現されるゴシック建築。12~15世紀にかけて全ヨーロッパに広まったこの様式では、天へと繋がる上昇感が表現され、広々とした内部空間が造られた。このゴシック建築の発展により、神の住まう崇高な世界が地上に再現されたと言えるだろう。
フライング・バットレスの発見
古来より、日本建築は木造の柱と梁による架構式構造ゆえに、大きな開口部(窓や戸)を容易に作ることが出来た。一方で、石やレンガが主要構造部材である欧州では、組石造という、石やレンガを積み上げる工法が発達したため、巨大な開口部を作るには限界があった。そして、そんなロマネスク建築の葛藤を経て登場したのがゴシック建築である。
ゴシック建築では、それまでの石造建築の常識を覆す、木造のような柱と梁の構造が石で実現された。当然、荷重が過多のため構造体の崩壊が始まるが、それを食い止めるために横方向から壁を抑え込む「フライング・バットレス」と呼ばれる工法が生まれる。この半アーチ型の「飛び梁」のお陰で、柱と柱の間を開口部として広く開放することが可能になったのだ。また、フライング・バットレスの出現によって高さの追求も可能になり、分厚い壁で建物を支える必要がなくなった。そのため、先の尖った尖頭アーチの窓一面に、宗教画などのステンドグラスをはめ込むことなどが出来るようになった。
ゴシックの森
ゴシック教会の内部空間は、しばしば聖なる森に喩えられた。当時、都市の中で自然と向き合える空間を求めて、あるいは司教の権威を知らしめるため、壮大な大聖堂が各地で熱望され建設されていった。一説には、森林を切り開いて農地や都市に変えた市民の懺悔心を、巧みに宗教心に結び付けるための演出だったともされる。いずれにせよ、欲望や理想が交錯するなかで素晴らしい建築空間が築かれたことは間違いない。
ゴシック建築のなかでも、その起源となったサン・ドニ大聖堂が建てられたフランスには特に完成度が高いものが揃っている。ドイツの詩人ゲーテが「建築は凍れる音楽」と賞賛したシャルトルの大聖堂のほか、アミアン大聖堂、ランス大聖堂、ラン大聖堂を合わせた「フランス・ゴシック四大聖堂」が存在する。英国ではカンタベリー大聖堂やウェストミンスター大聖堂が代表的なゴシック建築とされるが、大陸で発達したフライング・バットレスはさほど発達しなかった。
宗教建築の最高峰
ゴシック以降のルネサンスからは、宗教よりも、むしろ人間を中心とした世界観に建築界が様変わりするため、ゴシックを超える宗教建築はこの世に存在しない。ゴシック建築が衰退した背景としては、16世紀頃から同建築をグロテスクな芸術とする批判的な動きがあったことも挙げられる。
しかし、19世紀頃の古典復興期には「ゴシック・リバイバル」という運動が起きた。その時代に出来た建物には、「ビック・ベン」の愛称で知られるロンドンの国会議事堂などがある。また、2005年1月に他界した日本の近代建築の巨匠、丹下健三もゴシック建築をこよなく愛し、東京都庁新庁舎の設計に引用している。
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