第15回 中世の膀胱通り
近代のラグビーやサッカーは英国発祥のスポーツですが、その起源は中世の北フランスで流行した「ラ・スール( La Soule)」 に求められるといわれます。ボールを敵の陣地や目標物に通過させる単純な競技ですが、農村や教区単位で大勢の人が参加して非常に盛り上がりました。英国には1066年のノルマン征服以降に伝えられたようですが、当時のボールはゴム製ではなく、豚か牛の膀胱を革で包んで作られていました。
英国フットボールの起源は中世のラ・スールと
いわれ、豚の膀胱でできたボールを使っていた
聖ポール大聖堂の北側にあるニューゲート・ストリートの東端は、かつてBladder Street(ブラダー・ストリート)と呼ばれていました。直訳すると「膀胱通り」。その名の通り、動物の膀胱が販売されていました。付近には食肉処理場が12世紀からありましたので、肉屋があったのは当然としても、動物の膀胱が売られていたというのは驚きです。でも、それ、当時のサッカーのボール販売店だったのです。
この中世の膀胱通りの西側に、フランチェスコ会が修道院を建てました。ロンドンで2番目に大きい教会となり、修道士が灰色のローブを着ていたので、グレイフライアーズと呼ばれました。当時最大の教会、ブラックフライアーズ(黒衣托鉢修道士、ドミニコ会)が聖ポール大聖堂を挟んで南にあり、その西向かいにはホワイトフライアーズ(白衣托鉢修道士、カルメル会)がありました。今も通り名に残されていますが、色は大切ですね。
グレイフライアーズは幾多の歴史を重ね、
今では美しい公園になっている
ところが、16世紀から始まったヘンリー8世による宗教改革で、これらの修道院は廃院となります。グレイフライアーズは国教会のクライスト教会、クライスト病院、ブルーコート学校に生まれ変わり、ビクトリア時代には教会を除き、巨大な総合郵便局に建て替えられました。灰色のローブが青いコートや赤いポストに変わった揚げ句、クライスト教会は第二次大戦の空爆で被害を受け、今では緑の多い公園になっています。
中世の膀胱通りの現在の姿。
BT本部ビルが立っている
現在、中世の膀胱通りにはブリティッシュ・テレコム(BT)の本部ビルが立っています。そこはイタリアの発明家マルコーニが世界で初めて無線通信の公開実験をした場所です。彼の無線技術により世界最初のスポーツ無線中継がロンドン近郊キングストンのレガッタで行われました。でも、マルコーニの名を世界に知らしめたのは、タイタニック号が沈没する際に発せられた遭難信号でした。まさか無線の誕生地が、膀胱の販売所だったなんて誰も思い付かないのではないでしょうか。さぞ、中世の ボールと同様、無線が良く飛んだことでしょう。
BT本部ビルの前にあるプラーク。
マルコーニの無線技術に目を向けたのは
故国イタリアではなく、英国逓信省だった