第39回 オースチン・フライアーズ
イングランド銀行の北側、スログモートン・ストリートにオースチン・フライアーズと示された入口があります。そこを通り抜けると、石造りの建物が立ち並ぶ閑静なオフィス街になりますが、辺りには威厳ある雰囲気が漂い、空気が重く感じられます。そう、ここは1260年代に建てられた聖アウグスチノ修道会の跡地なのです。以前、ご紹介した「ブラックフライアーズ修道院」と同様、この修道院も英国の宗教改革に大きな影響を与えました。
修道士が見守り、厳かな雰囲気が漂う聖アウグスチノ修道会跡地
ブラックフライアーズで行われたヘンリー8世の離婚調停裁判が宗教改革の第1幕とすれば、この修道院は第2幕、修道院解体を指示した本部です。王様の離婚を成功させ、ローマ教皇から奪った800超の修道院を払い下げて莫大な歳入を王室にもたらしたのが、トマス・クロムウェル。貧しい家を飛び出し海外を転々とした後に帰国。仕えていたトマス・ウルジー枢機卿のコネで同修道院に仮住まいし、そこから立身出世が始まります。
彼は「上告禁止法」により、難航していた離婚問題を内政問題と片付け、ローマ教皇からの干渉を拒否。「国王至上法」を認めない元大法官のトマス・モアに対しては「あなたはあの世のことばかり考えるが、この世を良くしたいと思わないのか」と糾弾し、反逆罪に追い込みます。さらにすべての修道院を売却して国庫収入に充て、ヘンリー8世を喜ばせました。修道院に仮住まいしていた彼の家は、いつしかロンドン最大の豪邸に変わります。
ヘンリー8世を支えたトマス・クロムウェル
しかし、大勢のライバルを処刑し急速に築き上げた地位だけに、転落するのも速く、王様に推薦した4度目の再婚相手が王の機嫌を損ねると、周囲から謀叛罪を着せられ断首の刑に。お嫁さん候補の肖像画を描いた宮廷画家ハンス・ホルバインが巧く描き過ぎたのだと悟るころには、死んだライバルと同様、彼の首もロンドン橋に晒されました。その後、彼の豪邸は「Drapers(生地屋ギルド)」の所有となり、今は豪奢なホールになっています。
旧クロムウェル邸はDrapersのホールに
一方、修道院の祈祷所は1550年にエドワード6世によりプロテスタント難民教会になり、現在もダッチ教会として存続しています。この教会はエドワード6世の跡を継いだメアリー女王の時代に閉鎖、その次のエリザベス1世で復活。スチュアート朝では、英蘭戦争で開けたり閉めたり。王政復古の際、王家が亡命先のオランダからアイススケートを持ち帰り、彼らの見事な滑走術を「ダッチ・ロール」と命名。その後、それは飛行機の不安定な飛行状態を意味するようになりますが、この教会の歴史は「見事な滑走術」のままです。
オランダ語で説教するプロテスタント教会としては世界最古のダッチ教会