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Thu, 21 November 2024

第42回 トマス・ガイとカレーライス

旧王立取引所の南側にポープス・ヘッド・アリーという小路があります。英国が積極的に海外展開を試みた17世紀、この小路は商人が頻繁に立ち寄る本屋横丁でした。歴史家ジョン・ストウの「ロンドン地誌」(1598年)、英国の新聞の先駆となった海外週報「コラント」(1622年)、地図師ジョン・スピードの英国人による初の世界地図(1627年)がここで出版されました。本日の主人公トマス・ガイも1668年、本屋をこの小路で開業します。

ポープス・ヘッド・アリー
17世紀、ポープス・ヘッド・アリーには有名な本屋が並んでいた

トマス・ガイはテムズ南岸のサザークで沿岸荷役の長男として生まれました。8歳のときに父親を亡くし、その後、シティの印刷ギルドに奉公します。24歳で本屋を持ち、オランダから英訳版聖書を輸入。その後、オックスフォード大学の特許を利用して自らが出版し、成功しました。一方、政府の発行する債券の投資でも利益を得ていたようで、特に彼が巨万の富を築いたのは、1720年の南海バブル事件のときでした。

トマス・ガイの像
本屋の店主から大富豪となったトマス・ガイの像

英国はスペイン継承戦争で獲得した奴隷貿易の権利を利用し、財政の立て直しを図ります。奴隷貿易を専門に扱う南海会社を作り、その株式を政府の借金である国債と交換するもくろみでした。南海会社の利益は天井知らず、といううわさが飛び交い、株価が急騰。有名な南海バブル事件が引き起こされます。トマスの本屋の隣にある小路、チェンジ・アリーには投機に熱中した人々が株の売買をするコーヒーハウスから溢れ出し、長い行列を成しました。

カンタベリー大司教トマス・ベケット
カンタベリー大司教トマス・ベケットはシティ出身

冷静に大量の株を高値で売り抜け、莫大な利益を手にしたのがトマスでした。彼は母親の出身地タムワースの救貧院やロンドンの貧民病院の聖トマス病院に多額の寄付をします。聖トマス病院は聖メアリー・オヴェリー修道院が発祥ですが、シティ出身の殉教者トマス・ベケットを祀り、13世紀に聖トマス病院に改名されました。宗教改革で一旦解体されますが、十二使徒トマスを祀る病院として復活。また、聖トマス病院の南にガイ病院、さらに「白衣の天使」ナイチンゲールの看護学校が併設され、大きな病院になりました。

聖トマス病院
聖トマス病院にはナイチンゲール博物館も併設

その後、聖トマス病院はロンドン南部ランべスに移ります。同病院は日本海軍軍医総監、高木兼寛の留学先でもあります。彼は帰国後、東京慈恵医院を作り、脚気対策として英国から「カレー」を日本に持ち込み、「ビタミンの父」と呼ばれました。寅七はカレーライスを作る度に何人ものトマスを思い出し、つい作り過ぎてしまいます。

カレーライス
カレーライスも慈恵会医大病院もさかのぼれば聖トマス病院に関係

 

シティ公認ガイド 寅七

シティ公認ガイド 寅七
『シティを歩けば世界がみえる』を訴え、平日・銀行マン、週末・ガイドをしているうち、シティ・ドラゴンの模様がお腹に出来てしまった寅年7月生まれのトラ猫


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