第56回「猫」と呼べば「ニャー」と答える
シティへの通勤途中に珍しい建物があります。窓が10個しかなく、ほかの窓はレンガで塞がれています。窓が塞がれた理由は1696年から1851年まで存在した窓税(Window Tax)のせいです。窓税を導入したのは名誉革命(1688〜89年)で即位したウィリアム3世。オランダから来た王様は財政再建に大鉈を振るい、家に窓をたくさん持つことを贅沢として課税しました。庶民は節税のために、泣く泣く窓を塞いだのです。
窓は10個まで低税率だった
オランダは長い間、独立戦争を続けており、戦費調達のために消費税や印紙税、間口税を考案してきました。アンネ・フランクが住んだ家が「うなぎの寝床」と呼ばれるほど間口が狭かったのは、間口税対策だったのですね。ウィリアム3世が英国王に即位するや、入港する船の容積に対して関税をかけ、輸入されるワインやブランデーの税率を上げてフランスとの戦争資金を蓄えました。一方、オランダからジンを低税率で輸入。蒸留技術を改良して、古くなったトウモロコシから蒸留酒を製造し、国内生産を増やして対外的な支払いを節約しました。
アンネの家も「うなぎの寝床」
ジンは特に英国海軍で伝染病予防、また士気を鼓舞するために必須の飲料でした。一説では、ビタミン補給の目的でライムをジンに入れることを勧めた軍医の名からカクテルの「ギムレット」が生まれたそうです。船に積み込んだ蒸留酒が火薬の上に漏れても平気かと質問しても、「余計に火の勢いが増すさ」と英国人は陽気に答えます。
ギムレット博士考案のライム入りジン
18世紀に入るとジンのまん延が社会問題化します。1730年代、政府はジンの製造・販売を登録制にし、違反者の密告を奨励しますが、ただし、正確な情報を告知しなければならないという条件を付けました。それまで密造を密告しては賞金を稼いでいたダッドリー・ブラッドストリートは、この法令を逆手に、自らの立場を逆転させました。シティ北部にあるバンヒル墓地の近くに家を借りて身を隠し、地階の窓に木製の黒猫の像を釘付けます。
「Puss & Mew」が最初に設置された通り
その像の前で「Puss(猫)」と合言葉を言うと、家の中から「Mew(ニャー)」と返事が。ここで猫の口に小銭を投げ入れ、チャリンと音が鳴れば2階にいるダッドリーが鉛パイプでジンを流し、猫の手からジンが流れ出る仕掛け。この「Puss & Mew」は英国最初の自動販売機と揶揄されますが、その後、あちらこちらで猫真似されてジンの密売が途絶えなかったそうです。黒猫は「Old Tom」と呼ばれ、今もジンの商標に使われています。
ジン「Old Tom」は黒猫マーク