第124回 シェイクスピアの、まさかのすれ違い
第118号では、夏目漱石の「まさかのすれ違い」をご紹介しましたが、今号はそのシェイクスピア版です。シティの聖メアリー・オールダーマンベリー教会のお墓には、シェイクスピアの劇団仲間に混じって、天文学者のトーマス・ディッグスも永眠していました。反射望遠鏡を広めたと言われる彼は、16世紀の中ごろにニコラウス・コペルニクスが提唱した「地動説」をいち早く英国に紹介した人物であり、ガリレオ・ガリレイの研究にも詳しい学者です。また、劇作家シェイクスピアとは、息子のレナードとともに、親子2代にわたっての友人としても知られています。
シェイクスピアの作品には天体に関する台詞が多く登場します。レナード・ディッグズが、シェイクスピアの熱烈なファンだったこともあり、恐らくシェイクスピアは、ディッグス親子から様々な情報を仕入れ、そのときガリレオの活躍も耳にしたことでしょう。1611年の作品「シンベリン」の第5幕に、「木星の神が4つの霊に囲まれて」という一節があります。この前年、木星に4つのガリレオ衛星が発見されました。もしガリレオとシェイクスピアが直接の知り合いだったら、その衛星の名前に戯曲の登場人物の名が使われていたかもしれません。ちなみにシェイクスピアとガリレオは、ともに1564年生まれです。
シェイクスピアは1564年生まれ
シェイクスピアと同じ年に生まれたガリレオ・ガリレイ
ディッグスが書いたコペルニクスの宇宙図
もう1人のすれ違いは米ハーバード大学の名の由来となったジョン・ハーバード。ジョンの父はロンドン南部・サザックで宿屋を経営していました。奥さんを亡くし、キャサリン・ロジャーズと再婚して生まれた子供が、ジョン。そしてキャサリンの父、つまり、ジョンの祖父はイングランド中部、ストラットフォード・アポン・エイボンで家畜業を営む有力者トマス・ロジャースでした。同じく地元の名士であったシェイクスピアの父とは、旧知の間柄だったそうです。
サザックにあるジョン・ハーバードの生家跡
演劇で忙しいシェイクスピアも、グローブ座の近くに住む父と同郷の知人に、息子のジョンが生まれた際には、きっとお祝いに駆け付けたことでしょう。後の1616年、シェイクスピアは天国に召され、1636年にジョンは清教徒の道を選んで米マサチューセッツに移住します。その後、ロンドンのハーバード家の人々がペストで倒れ、大きな遺産が米国に住むジョンの手元に。その遺産を寄付して発展したのが今のハーバード大学です。もしガリレオとジョンが、サザックのグローブ座で観劇するなんて機会があったら楽しかったのに。
ガリレオとジョンがグローブ座で観劇する企画があれば……