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Fri, 29 March 2024

第157回 1752年9月10日に何が起きたか?

ITのプログラマー達とパブで話していたときのことです。「かつて英国の元旦は3月25日、受胎告知の日でした。18世紀半ばのグレゴリオ暦導入で元旦が1月1日に変わり、それは1752年だったかな……」すると突然、それまで沈黙していたプログラマーが、「新しい暦の導入は1752年9月です。SQLサーバーのデータ関数が1753年1月1日以前にさかのぼれませんから」と。なるほどそんなところにも影響があったのか。

キリスト教で最も大事な行事の一つである、復活祭の日付を決定するのが春分の日です。325年のニカイア宗教会議では、春分の日を3月21日と決めましたが、当時のユリウス暦(1年=365.25日)では1年に約11分早く太陽が公転するので実際とズレてしまいます。そこで16世紀になると天文上の春分の日が3月11日になり、教皇グレゴリー13世は1582年10月から新暦のグレゴリオ暦(1年=365.2425日)導入を決定しました。

イングランドの1752年9月の暦 イングランドの1752年9月の暦

しかし大航海時代から多くの国と貿易を行い、科学の発達も応援する、進歩的なはずの英国は、他国がグレゴリオ暦に移行してからも、マリア様のご懐妊告知の日を元旦とし、たとえ太陽が春分点を10日早く通過しても、3月21日を春分とする暦を変えようとしません。そこで3人の紳士が立ち上がり、グレゴリオ暦導入に奔走します。新暦法では1751年の元旦を1月1日に変え、1752年9月2日の翌日を9月14日とするため、1751年が282日、1752年は354日しかなくなる大胆なものです。

チェスターフィールド伯爵 チェスターフィールド伯爵

3人の紳士とは、まず法案を上程したチェスターフィールド伯爵。外交経験豊富な政治家で、英国が旧暦に固執して他国と日付が一致しないことを嘆いていました。その自宅はグリニッジ天文台に近く、建物が子午線上にあります。この家の煙突は、第3代グリニッジ天文台長のジェームズ・ブラッドリーが新しい子午環を導入した際に、目印にされました。その縁で2人の交友が深まり、ブラッドリー天文台長が2人目の紳士になります。

チェスターフィールド伯爵のグリニッジ邸は現在、美術館(レンジャーズ・ハウス)に チェスターフィールド伯爵のグリニッジ邸は現在、美術館(レンジャーズ・ハウス)に

ブラッドリー天文台長 ブラッドリー天文台長

そしてブラッドリー天文台長の友人が3人目の紳士、マクルズフィールド伯爵。居城のオックスフォード近郊シャーバーン城に天文台を持ち、王立協会会長を務めていました。3人は天文知識と新暦導入の熱意で結ばれ、法案可決に貢献しました。ところで、新暦の導入でこんなクイズも生まれました。「1752年9月10日に英国で起きた事件は何か」、答えは「その年、英国では9月10日が存在しなかった」です(笑)。

マクルズフィールド伯爵 マクルズフィールド伯爵

 
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シティ公認ガイド 寅七

シティ公認ガイド 寅七
『シティを歩けば世界がみえる』を訴え、平日・銀行マン、週末・ガイドをしているうち、シティ・ドラゴンの模様がお腹に出来てしまった寅年7月生まれのトラ猫


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