第161回 東方の三博士とお香の文化
明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。さて、日本の門松を片付ける日は地方の慣習によって異なりますが、英国のクリスマス・ツリーをしまうのは1月6日の公現祭の日です。この日は東方から三博士が黄金、没薬(もつやく)、乳香を誕生日プレゼントとしてイエス・キリストに届けに来た日とされています。黄金は王者への、没薬は医者への、乳香は神への贈り物の印とされましたが、没薬や乳香とは一体どんな物質なのでしょう。
東方三博士の来訪の絵画
東方の三博士からのプレゼントを考えているうちに、先週、大英博物館でエジプト文明の「ネバムンの墓の壁画」を説明したときのことを思い出しました。その壁画では、宴会を楽しむ女性や楽器隊の頭にてんこ盛りの物体がのっており、あれは何かと質問を受けました。それはキフィというお香で没薬や乳香、ハチミツや植物を10種類以上混ぜて作られます。頭上から良い香りを醸し出す、約3500年前のフレグランスなのです。没薬も乳香もアフリカ大陸で採れるカンラン科の香木で、そこから採れる樹脂を原料としています。
「ネバムンの墓の壁画」に描かれている頭上のキフィ(大英博物館蔵)
お香は古代エジプトの宗教儀式に欠かせません。一日三度のお祈りの際、朝は乳香、昼は没薬、夜はキフィを焚き、その芳香で自分と空間を清めました。没薬はミルラと呼ばれ、ミイラの語源になったという説もあります。没薬から採れる樹脂には防腐や消臭の効能があり、これを塗れば身体を清め、邪鬼を払うと信じられていました。だからミイラを作るときは身体の表面にそれを塗りつけてから全身を包帯で巻きました。一方、乳香は礼拝時に香炉で焚かれ、その香煙が室内を消毒し、神経性の病気や鎮痛に効いたそうです。「マリアの涙」と呼ばれ、現代も教会で利用されています。
没薬(ミルラ)の草木
ミイラの身体に塗られた没薬の樹脂(大英博物館蔵)
没薬や乳香の生産地近くではたくさんの宗教が生まれました。宗教とお香は深い関係にあるのです。香水を英語でパフュームと言いますが、ラテン語の「煙を通じて」が、その語源になります。お香には焚いて使う焼香と焚かずに身体に塗る塗香があり、いずれも神聖な領域を作り出すことで神と交信する手段と考えられていました。日本でも仏教の伝来と共にお香が普及しましたが、平安時代から宗教から離れて独自に発展し、室町時代に香道が生まれます。お香は香木の語りかけを「聞く」ものであって匂いを「嗅ぐ」ものではありません。寅七もルーム・フレグランスを聴香してみようと思います。
ルーム・フレグランスを聴香する