第266回 英国の歴史とニシンの回遊
シティからタワー・ブリッジを渡るとポッターズ・フィールズ公園に出ます。ここは17世紀にオランダ移民が陶器、デルフト焼きを作っていた場所とされます。この公園を東西に貫いていたのがピックル・へリング通り(Pickle Herring Street)。ピックルド・へリングとはオランダ名物の塩漬けニシンのことです。この地区には英国国教会から逃れてきたキリスト教の改革派カルヴァン主義者が多く住み、またオランダからの改革派も移住していました。
現在のポッターズ・フィールズ公園
ピックルド・へリングはオランダではハーリングと呼ばれ、初夏の風物詩とされる食べ物です。ニシンはオランダにとって建国から国の歴史に関わる重要なもので、毛織物と共に主な輸出品としてオランダの国家財政を支えてきました。ニシンは数億から数十億匹で群れる回遊魚なので魚群に当たれば一攫千金です。肉食があまり盛んでなかった中世の時代においては、どの欧州の国にとっても貴重なタンパク源になっていました。
かつて「塩漬けニシン通り」があった
ニシンは産卵場所を求めて回遊しますが、ルートを突然変えることがあります。その原因は未詳ですが、12~14世紀にニシンの群れはバルト海に現れハンザ同盟の主要な貿易品となり、15~17世紀は北海のドッガー・バンクが漁場になりました。ドッガー・バンクは波風が強く、今は世界最大の洋上風力発電の場所として有名です。オランダは風車を利用した造船所を作って波風に強い漁船を建造し、それが造船大国の基盤になりました。
ニシンの回遊が欧州の歴史を変えた
ところが、オランダはニシン漁を英国近海まで広げたので英国と争うことになりました。1651年に英国は航海法を発布し、英国籍以外の船による輸入を禁止。そのため3度も英蘭戦争が起きました。その結果、オランダの北米植民地ニュー・アムステルダムを英国が獲得してニューヨークと改名、また、ニシンの漁場が北大西洋のスコットランド沖や北米大陸沖に移ったこともあり、貿易の中心が北海から米大陸との大西洋貿易に移りました。
英国のニシンは塩漬けよりもキッパーと呼ばれる燻製が人気です。キッパーは赤銅色なのでレッド・へリングとも呼ばれ、匂いがきついので猟犬の嗅覚を鍛える「目くらまし」に使うとか。また、ヘリンボーン模様はニシンの骨に見える模様のことで、歩道や床のフローリング、高級な上着のデザインに使われます。最後に、テムズ川沿いに生息する最も多いカモメがヘリング・ガル。そのカモメはニシン以外も食べますが、背中の銀色がニシンに似ているためそう命名されたそうです。英国にとってニシンは想像以上に身近な存在です。
左上からニシンの卵パテ、塩漬け、燻製キッパー
ヘリンボーン模様とへリング・カモメ
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