第5回 オランダ編「『飾り窓』地区での生活」
7 October 2010 vol.1270
今回は、スイスの後に移り住んだオランダについて、お話いたします。オランダのアムステルダムと言えば、何と言っても住宅難が問題です。アムステルダムへ転居した当初のショックは、大きなものでした。
スイスでは、何も問題なく見付かった、住み心地の良い住居。受け渡されたフラットは、それこそホテルのようにピカピカに磨かれていました。それに比べアムステルダムは、賃貸物件というものがほとんど皆無に近く、誰か知り合いが引っ越すためそこを引き継ぐという幸運にでも巡り会わない限り、住めるような家を見付けるのはとても難しいのです。
オランダ滞在中、2軒の異なるフラットに住みました。どちらも、バレエ団のダンサーから譲り受けたものです。最初のフラットは、ベッドを置いてしまうと、足の踏み場がなくなってしまうほど小さなベッドルーム。人ひとりやっと通れる廊下にキッチンがあり、その隣のバスルームはと言えば、トイレの上にシャワーが付いている(想像するのはかなり難しいと思いますが、トイレから立ち上がったらそこがシャワーという感じです)といったように、無理矢理造られたような代物でした。
2つ目は、最初のフラットとは対照的に広すぎてしまうほど広く、バスルームにソファーとテーブルが置けてしまうほど……。そして、どこにこのフラットが存在していたかというと、何とあの有名な合法売春地区、「飾り窓」の真ん中! 立地条件が悪いため、お値段がお手頃だったのに飛びついてしまいました。
グランド・フロアに位置していたこのフラットは、元は飾り窓ではなかったのかと疑いたくなるほどの大きな窓が道路に面していて、その窓から、お隣さん、いわゆる飾り窓の美しい女性たちが見えるのです! このフラットに入居したとき、まず始めに行ったことは、その窓に曇りガラスになるシートを張り巡らしたことでした。「飾り窓のお姉様と間違われませんように……」と(笑)。でもそんな立地条件だったせいか、その辺りはひんぱんに警官のパトロールが行われていたため、かえってとても安全でした。
一つ、オランダでとても驚いたことは(本当は一つだけではありませんが……)、国民の誰もが英語を話すことです。子供からお年寄りまで、どんな職業に就いていようと、本当に誰もが話せます。そんな訳でここでもオランダ語を覚えなかった私です……。
ものすごく個性が強いアムステルダムの人々。彼らにとって、バレエは一つの芸術であり、美術として鑑賞しているように思えました。 観客は作品の芸術性、個性をとても大事にし、個々のバレエ・ダンサーにはあまりこだわらない感じを受けました。
オランダ国立バレエ団は、上演する演目もクラシックからコンテンポラリーまでとても幅が広くバラエティーに富んでおり、とてもセンスが良いプログラムを上演していました。このバレエ団のディレクターは現イングリッシュ・ナショナル・バレエ団のディレクターで、元ロイヤル・バレエ団のプリンシパルでしたので、このときから英国のバレエ作品に触れていたのがきっかけで、その後、渡英することになるのです。
住居以外は何でも大きく大胆なオランダ、この国のとても発展した考え方は、今の私にとって大事な財産です。