第321回 メイフェアのダラー・プリンセス
ロンドン西部の高級住宅街メイフェアの華やかな街並みは、実は一人の12歳の少女の結婚から始まりました。1677年、チェシャーの貴族グロブナー家のトマスがロンドン西部の約500エーカー(約2平方キロ)の土地を相続したメアリー・デイヴィスと結婚しました。当時の貴族にとって政略結婚は領地拡大のためによく使われた戦略です。メイフェアはその後、煌やかに発展する一方、人間の虚栄心の影をいっそう濃くしていきました。
メアリー・デイヴィスとトマス・グロブナー
18世紀の半ば、トマスの息子、リチャードの時代に牧草地や湿地帯だったメイフェアが高級住宅街になりました。この新しい街に住んだのが新興の富裕層です。当時の画家ウィリアム・ホガースが風刺画「当世風の結婚」に描いたように、成金の商人の娘と落ちぶれた古参の貴族の息子が結婚することでお互いに必要なものを満たし、高級住宅街に住むという構図です。ホガースは当時の上流社会の虚栄心を鋭く風刺しました。
ホガースの「当世風の結婚」の一部
その後もメイフェアの街は発展を続けました。19世紀末から20世紀初頭にかけて米国の富豪の娘が巨額の持参金を払って英国貴族の爵位を獲得する「ダラー・プリンセス」が流行し、当時の英国の上院に属する爵位の3分の1が米国の富豪と婚姻関係を結んだといわれます。例えば、カーゾン・ストリートにあるサンダーランド伯邸は、第9代マールボロ公爵と米国鉄道王ヴァンダービルトの娘コンスエロの結婚後、ヴァンダービルト家の資金で建てられました。
サンダーランド伯邸
その持参金で故郷のブレナム宮殿の修繕費も賄うことができました。やがて公爵の叔父のランドルフも裕福な米国投資銀行経営者の娘ジェニー・ジェロームと結婚しました。すでに多額の持参金で公爵家全体が救われていただけでなく、息子のウィンストン・チャーチルが政界に進出する際、母ジェニーが米国仕込みの社交性と行動力を発揮。俗にいう「三バン」、地盤・看板・鞄のうち、看板(知名度)と鞄(資金力)は心配無用だったそうです。
母ジェニーと息子のチャーチル
しかし、ダラー・プリンセスの真逆、リバース・ダラー・プリンセスの例もあります。メイフェアの裏通りの教会対面にあるファーム・ハウスは、ファーネス子爵と離婚した米国籍のテルマ前夫人の所有物でした。当時、テルマが皇太子と交際しており、友人として紹介したウォリス・シンプソン夫人が、まさか皇太子本人と恋に落ちてしまうとは思いませんでした。そうです、それがエドワード8世に王冠を捨てさせた米国人のシンプソン夫人です。メイフェアには、教会の前でも色濃くなった虚栄心の影が今も静かに息づいています。
シンプソン夫人、エドワード8世とファーム・ハウス
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