19世紀に作家アーサー・コナン・ドイルが生み出した名探偵シャーロック・ホームズを、21世紀の現代人として甦らせたBBCのドラマ「シャーロック」は、2010年の初回放送から現在までに世界180カ国で放送されるほどの人気を博しています。
原作の推理小説でもBBC「シャーロック」でも、その主な舞台はロンドンの街です。
そこで今回は、19世紀のホームズと21世紀のシャーロックが活躍するロンドン散策へとお誘いしましょう。(清水 健)
推理小説「シャーロック・ホームズ」とは
シャーロック・ホームズが活躍する冒険譚は、1887年に発表された「緋色の研究」から1927年の「ショスコム荘」まで、40年にわたり60編(4つの長編と56の短編)が刊行されています。ホームズの生みの親であるアーサー・コナン・ドイル(1859~1930年)は、エディンバラ大学医学部へ進み、そこでシャーロック・ホームズのモデルとなる外科医のジョゼフ・ベル博士と出会いました。ベル博士は患者を一瞥しただけで職業や出身地を言い当てたと言われ、ドイルはその驚くべき観察眼を投影したシャーロック・ホームズという名探偵を誕生させます。ホームズは1881年に出会った相棒のジョン・H・ワトソン医師とともに、ロンドンのベーカー・ストリート221Bに拠点を構え、次々と事件を解決していきます。1891年に「最後の事件」で宿敵のモリアーティ教授と決闘して行方不明になりますが、3年後に「空家の冒険」で帰還。1903年に引退してからは、サセックスの丘で養蜂をしながら暮らしています。
「シャーロック・ホームズ」シリーズが時代を超えて読み継がれているのは、船医として世界を旅し、文学・歴史にも造詣が深かったドイルの豊かな人生経験が生かされた多彩な登場人物たちが魅力的であるのに加え、ロンドンの街並みから英国の田園風景までを鮮やかに描き出す卓越した筆致によって、読者がホームズと一緒に事件を推理しながら情景を思い浮かべられるからです。ホームズの世界を学問として研究してしまう「シャーロキアン」と呼ばれる熱狂的なファンがいるほどです。
BBCドラマ「シャーロック」とは
シャーロキアンは、コナン・ドイルが発表した60編を正典「Canon」と呼んで愛読し、名探偵の推理を検証したり、さらに記述の中にある矛盾に対し、いかに理論的につじつまを合わせるかを競ったりする知的遊戯「ゲーム」を楽しんでいます。
そしてホームズとワトソンが21世紀に活躍するとしたら、という思考実験から生まれたのが、2010年に初回放送されたBBCドラマ「シャーロック」です。プロデューサーでシャーロキアンのスティーヴン・モファットとマーク・ゲイティスが試写版「ピンク色の研究」を制作、これが好評でシリーズ化が決定しました。原作で描かれた第二次アフガン戦争から130年のときを経て、英国が再びアフガニスタン戦争の泥沼にはまっているのは歴史の皮肉ですが、これがBBC「シャーロック」の構想を膨らますことになり、第二次アフガン戦争に軍医として従軍したワトソンは、アフガニスタン戦争で負傷してトラウマを抱えているという設定に。
この役を演じるのはマーティン・フリーマン、そして高機能社会不適合者を自称する探偵シャーロック・ホームズ役にはベネディクト・カンバーバッチ。現代らしく、互いをファースト・ネームで呼び合う2人が生で感情をぶつけ合いながら友情を育み、協力し合いながら謎解きに挑みます。モファットとゲイティスはこの「シャーロック」に、正典やほかのホームズ映像作品からの引用をちりばめており、正典の読み解きをシャーロキアンが楽しむように、映像を読み解く楽しみがあります。
21世紀のロンドンを駆け巡るシャーロック(写真右)とジョン(同左)
時代の社会背景を映し出すシャーロックとホームズ
今年は第一次大戦が始まって100年という節目の年ですが、ホームズもこの大戦に向けて祖国のためにひと働きしています。「それは8月2日の夜9時のことだった。世界の歴史上もっとも恐るべきあの8月である―― 」※で始まる「最後の挨拶」では、引退してサセックスの丘で養蜂をしながら暮らしていたホームズが、アイルランド系米国人のスパイに成りすましてドイツの諜報網に潜入し、第一次大戦前夜にこれを壊滅させます。1917年にこの作品が発表された翌年、ドイルは息子を戦争で失います。
このように実在の事件を絡めた作品は、BBC「シャーロック」にも見られます。例えば、シーズン3の第3話「最後の誓い」は、メディアを支配する恐喝王が審問される場面から始まりますが、これは著名人の電話盗聴事件で議会下院の調査委員会に召喚されたメディア王のルパート・マードック氏を連想させるものでした。コナン・ドイルは「シャーロック・ホームズ」シリーズで様々な社会の矛盾を告発していますが、BBC「シャーロック」もまた、社会派の一面をのぞかせているのです。
※「シャーロック・ホームズ最後の挨拶」(新潮文庫)より
シャーロックとホームズのロンドン散策
ホームズは「赤毛組合」で、「ロンドンについて正確な知識を持つのが、ぼくの趣味のひとつなのさ」と語っていますが、ロンドンの街を歩くと、至るところでシャーロック・ホームズゆかりの地に出くわします。
そこで正典とBBC「シャーロック」の舞台となった名所を、双方のエピソードとともにいくつかご案内しましょう。
ベーカー・ストリート221B
221B Baker Street
ホームズとワトソンが暮らしていたベーカー・ストリート221番地は、恐らくロンドンで最も有名な住所でしょう。現在も世界中からホームズ宛ての手紙が届き、中には警察からの捜査依頼もあるほどです。ホームズの活躍した19世紀末、ベーカー・ストリートは85番地までしかなく、221番地は架空の住所でしたが、1930年にアッパー・ベーカー・ストリートと一続きになって実在の住所となりました。239番地にはシャーロック・ホームズ博物館が、108番地にはシャーロック・ホームズの名を冠したホテルがあり、ベーカー・ストリート駅構内の壁面にはシャーロック・ホームズの小説の一場面やシルエットが描かれています。
BBC「シャーロック」で使われている、シャーロックとジョンが下宿する「ベーカー・ストリート221B」の外観は、ユーストン・スクエア駅近くのノース・ガウアー・ストリート187番地で撮影されました。ここの1階にある軽食堂「スピーディーズ・カフェ」には、店内一面に撮影の様子の写真が掲げられています。
ディオゲネス・クラブ
The Diogenes Club
シャーロック・ホームズの兄マイクロフトが創設会員の一人でもある「ディオゲネス・クラブ」は、ロンドン中の社交嫌いの紳士が集まり、クラブ内では他人には声を掛けてはいけないという風変わりな紳士クラブです。バッキンガム宮殿から伸びるザ・マルと平行するペル・メルには紳士クラブがひしめいていますが、コナン・ドイルもまた、文士たちの集まる紳士クラブ「アセニアム(Athenæum)」の会員でした。
BBC「シャーロック」では、マーク・ゲイティス扮するマイクロフトがくつろぐ「ディオゲネス・クラブ」に、英国学士院(ブリティッシュ・アカデミー)の建物が使われています。英国学士院は人文社会科学の研究者自治組織で、講演会のときに入館できるほか、9月20、21日にロンドン内の建築物が一般公開されるオープン・ハウス・ロンドンでも見学することが可能(英国学士院は20日のみ)。また、ガイ・リッチー監督の映画「シャーロック・ホームズ」の撮影に使われたリフォーム・クラブ(The Reform Club)も公開されます(両日)。
The British Academy
10-11 Carlton House Terrace, London SW1Y 5AH
クライテリオン・レストラン
Criterion Restaurant
ホームズとワトソンを引き合わせる旧友のスタンフォード氏とワトソンがばったり出会ったのは、ピカデリー・サーカスにあるクライテリオンのバーでした。ワトソンがホームズと出会うきっかけとなったのを記念して、店内にはプラークが掲げられています。ところで、ロンドンでは初となる、シャーロック・ホームズを記念するプラークが日本から贈られたものだったということはご存知でしたでしょうか。1948年、GHQ占領下の東京に英米日のシャーロキアンが集まりました。ホームズが修得していた格闘技にちなんで名付けられたホームズ同好会「バリツ支部」に在籍する彼らからロンドン市に贈られたプラークが、1953年1月3日にここで除幕されました(現在は所在不明)。
BBC「シャーロック」の試写版では、ジョンとスタンフォード氏がクライテリオンで昼食をとっていましたが、本編ではラッセル・スクエアで出会った2人がベンチに腰掛けて飲んでいるコーヒー・カップに「クライテリオン」と印字されています。
Criterion Restaurant
224 Piccadilly, London W1J 9HP
聖バーソロミュー病院
St Bartholomew's Hospital
正典のホームズとワトソンの出会いの場は、聖バーソロミュー病院(通称バーツ)の病理学教室。「緋色の研究」で、ワトソンのバーツ研修医時代の元同僚スタンフォード氏がここで2人を紹介すると、ホームズはいきなり「あなたはアフガニスタンに行っていましたね」と語り掛けてワトソンを驚かします。日に焼けた傷痍軍人ならばアフガニスタン帰りに違いないという見立てです。かつてはこの言葉を刻んだ記念プラークが病理学博物館にありましたが、見学者が多すぎるということで、現在はヘンリー8世門を入ったところにある同病院の博物館に移設されています。
BBC「シャーロック」でもシャーロックとジョンの出会いの場はバーツで、シャーロックはここの研究室で捜査のために実験をしていました。また、シーズン2の第3話「ライヘンバッハ・ヒーロー」では、シャーロックが病理学棟の屋上からギルツパー・ストリートの歩道に飛び降りたため、その着地点は「シャーロック」ファンの巡礼地となっています。
ザ・シャーロック・ホームズ(パブ)
The Sherlock Holmes
ロンドンを訪れるシャーロキアンが必ず立ち寄るのが、チャリング・クロス駅近くのノーサンバーランド・ストリートにあるパブ「ザ・シャーロック・ホームズ」です。店内にはホームズが解決した事件にちなんだ証拠の数々が展示され、2階のレストランにはホームズの書斎が再現されています。これらは1951年に開催された英国フェスティバルで展示されたもので、あまりの人気に閉会後も取り壊されることなく英国内外を巡回し、1957年に現在のパブに落ち着きました。この場所は、「バスカヴィル家の犬」でヘンリー・バスカヴィル卿が宿泊したノーサンバーランド・ホテルにちなんで選ばれています。
BBC「シャーロック」では、連続殺人事件の容疑者をシャーロックがノーサンバーランド・ストリートへとおびき出しますが、実際の撮影ではレキシントン・ストリートが使われており、ブロードウィック・ストリート46番地にあるスペイン料理店「ブリンディサ」の窓際の席からシャーロックとジョンが見張ります。
The Sherlock Holmes
10-11 Northumberland Street, London WC2N 5DB
Tapas Brindisa Soho
46 Broadwick Street, London W1F 7AF
ロンドン博物館の「シャーロック・ホームズ」展
ロンドン博物館では10月17日からシャーロック・ホームズ展「Sherlock Holmes: The Man Who Never Lived And Will Never Die」が開催されます。これまでのホームズ展では、科学的な捜査法や法医学、そしてヴィクトリア朝という時代に焦点が当てられることが多かったのですが、今回はホームズが活躍した19世紀末、霧の立ち込める石畳を辻馬車が走る、7つの海を支配した大英帝国の首都ロンドンという街が主役になります。
ロンドン博物館の学芸員アレックス・ワーナー氏は、「シャーロック・ホームズというプリズムを通して、ロンドンの街を再発見する機会にしたい」と語っています。このホームズ展では、コナン・ドイルが探偵小説を書くきっかけとなったエドガー・アラン・ポーの「モルグ街の殺人」の原稿が英国で初めて公開されるほか、正典の「空家の冒険」の原稿、BBC「シャーロック」でカンバーバッチが着ていたコートやドレッシング・ガウンも展示されます。
The Man Who Never Lived And Will Never Die
10月17日(金)~2015年4月12日(日)
10:00-18:00
£12
Museum of London
150 London Wall, London EC2Y 5HN
Tel: 020 7001 9844
Barbican/St. Paul's/Moorgate駅
www.museumoflondon.org.uk
編集日記: 「シャーロック・ホームズ」展に行ってきた(2014年10月20日)