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Mon, 18 November 2024

2024年最新説を紹介!謎多きストーンヘンジを知る

英国を代表する世界遺産のストーンヘンジは、いまだ多くの謎に包まれている。普段は遠巻きでしか見られないストーンヘンジを少しでも身近に感じてもらえるよう、今回は、2024年に新たに発表された石の産地などの最新情報に加え、歴史や興味深いエピソードなど、知っていると次の訪問がより楽しくなる情報を抜粋した。
(取材・執筆: 英国ニュースダイジェスト編集部)

参考: www.english-heritage.org.uk、www.bbc.com、www.theguardian.com、 Magical Britain – 650 Enchanted and Mystical Sites Rob Wildwood by Wild Things Publishing Ltd. ほか

ストーンヘンジの基本情報

英南部ウィルトシャーのソールズベリーにある、紀元前3000年ごろから段階的に作られた巨石遺跡群。石でできた環状部分(環状列石、ストーン・サークル)は新石器時代後期の紀元前2500年ごろに作られた。ストーンヘンジはウィルトシャーに広がる先史時代の遺跡群の一部であり、エーヴベリーの環状列石などと共にユネスコの世界文化遺産に登録されている。現在ストーンヘンジは、イングランド地域の歴史的建造物や場所を管理する慈善団体イングリッシュ・ヘリテージ、周辺のエリアは自然保護の慈善団体ナショナル・トラストによって管理されている。

ヘンジ(Henge)って何?

Stonehengeのヘンジという言葉は1930年代初頭に大英博物館の学芸員トーマス・ケンドリックによって作られ、新石器時代から青銅器時代初期にかけて、紀元前3000〜2000年ごろに円状または楕円状の溝と土手で形成された、儀式用の神聖な区画のことを指す。ヘンジは古英語で「吊り下げられた」という意味から来ているとされており、「2本の石にまたがって空間に吊り下げられた巨大なまぐさ石(窓や出入口の上に水平に渡した石)を指す」という解釈が一般的。また、通常は直径20〜100メートルだが、これを超える巨大なヘンジもあるようだ。

まぐさ石上部にまぐさ石を乗せた外環

現在英国とアイルランドにおいて100近いヘンジが見つかっているが、形に多少の違いはあれど、外側に円状の土手が、内側に同じく円状の溝があり、溝に囲まれた中央部へ向かって道が走っていることは共通。ただしこの定義に基づくと、ストーンヘンジは溝より内部に土手があることから、厳密にはヘンジではない。

現在の呼び名になったのはいつ?

Stonehengeという名前で記された最も古い記録は、1136年ごろに書かれたとされる中世イングランドのキリスト教聖職者、歴史家ジェフリー・オブ・モンマスの偽史書「ブリタニア列王史」。その後、13世紀には「スタンヘンジ」(Stanhenge)、「ストンヘンジ」(Stonhenge)、「ストンヘング」(Stonheng)、1470年には「ザ・ストーン・ヘングルス」(The stone hengles)などの呼び方が生まれ、現在の名前が定着したのは1610年ごろだった。

石マニアでなくても分かるストーンヘンジを徹底解剖!

はるか昔の遺跡であるために、その途方もない情報量に圧倒されてしまう……。そこで興味深い事実を編集部の独断と偏見で選び、大事な情報を簡単にまとめてみた。

MAP

ストーンヘンジの配置

現在ストーンヘンジは、夏至などの特定の日を除き、保存のために整備された道を歩いて1周するのが基本ルート。❷スローター・ストーンは虐殺(Slaughter)という物騒な名前だが、これは雨によって石の中の鉄分と反応し、赤錆色になったことから、ヴィクトリア時代の人々が生贄に使ったのだと妄想したことから名付けられた。❻ ステーション・ストーン(Station Stone)は、サークルの中心を中心点とする完全な長方形の角に配置されている。現存するのは二つで、もともと四つ配置されていた。失われた二つ は❽サウス・バロー(South Barrow)、❾ノース・バロー(North Barrow)にあった。これらは夏至の太陽の位置を正確に表しているために、初期の建造時に使った測量標識ではないかという説がある。

サーセン石

珪化した硬い砂岩であるサーセン石、サルセン石(Sarsen stone)は❸外側の円状の支柱とまぐさ石(Lintels)、❹ストーンヘンジの中心部に馬蹄形に配置された巨石のトリリトン(Trilithon)、スローター・ストーン、ステーション・ストーンなどを形成している石のこと。平均重量は25トン、最大のもので30トンで、研究により木製のソリを使って約200人で運搬できることが分かっている。また、石はハンマー・ストーンと呼ばれる石で長方形に加工され、石と石との接合にはほぞ差しと呼ばれる手法で簡単に離れない設計が施されている。英南部一帯で広く採れる石のためにこれまで産地が分かっていなかったが、2020年にここから北へ約25キロ離れたマールボロ近くのウエスト・ウッズだと判明した。

サーセン石

ブルーストーン

ストーンヘンジを形作る小型の石群は❺ブルーストーン(Bluestone)と総称される。現在見られる60個のブルーストーンは青くはないが、砕いた瞬間や濡れると名前の通り青みがかって見える。小さい石とはいうものの、重さは2〜5トンある。200キロ離れた西ウェールズのプルセリ山脈から採れたと思われる輝緑石、流紋岩、灰岩などのさまざまな石が使われており、これらはたびたび配置の変更があったことが分かっている。加えて、近隣のストーン・サークルで使われた石が運び込まれた形跡も残されており、なぜ特定の石が選定されたか、またその運搬ルートも陸路、水路と諸説ある。また、一部加工された石もあるものの、そのほとんどが無加工である。

ブルーストーン

揺れる産地と深まる謎

2024年8月、これまでウェールズ西部から運ばれたとされてきたブルーストーンの産地について、新たな研究結果が公開され話題になった。このブルーストーンは、750キロも離れたスコットランドのインヴァネス、もしくはオークニー諸島から運ばれたという新説だ。しかし、調査された石は地下に半分埋もれている上、地面に落ちた大きなサーセン石に挟まれているために訪問客は見ることはできない。同年9月にこの調査とは別に行われていた研究で、岩石堆積物のオークニー諸島の現地サンプルと比べてみたところ、石の成分が著しく異なっていたために、オークニー諸島産はあり得ないと結論づけられた。謎はさらに深まったが、首を長くして続報を待ちたい。

現在のストーンヘンジは「昔のまま」ではない

ストーンヘンジの最終的な手直しは紀元前1600年ごろとされている。その後時代ごとにストーンヘンジの持つ存在意義は変化していったが、文献が残るような研究が始まったのは中世ごろといわれている。とはいえ古すぎてろくな参考文献もなく、そのうちに1797年にトリリトンが崩壊。倒壊した石が建材として使われたり、また観光客により持ち出されたり、現存する石に名前を刻まれたりと保存状態は悪化し、その後も倒壊が進んだ。初めての修復作業が行われたのは1901年。コンクリートで石を固定したりと段階的な修復作業が行われ、64年には崩落した全ての石が元の状態に近い形に戻された。今日私たちが見ているストーンヘンジは、分かる範囲で過去の姿にできる限り近付けたものだ。

重たい石はどうやって立てた?

遠方から運び出し、加工を終えた石柱を垂直に立たせる手順は、❶周辺の石の高さと合わせるため、石柱を立てる場所に事前に計算された深さの穴を作る、❷穴の一部に傾斜を作り、石を滑らせる、❸皮革や植物の繊維でできたロープで石柱を引っ張る、❹石柱の固定が終わったら、立たせるために使った傾斜などを埋め直して石柱を打ち固める、という流れが有力のよう。ちなみに、2本の石柱の上に載せるまぐさ石の設置方法についてはあまり分かっていない。

何に使われたのか?

結論から述べるといまだ解明されていない。だが、ここが集落や要塞として使われた形跡はないため、神殿の役割を果たしたと考えるのが現在の主力説のよう。太陽の動きに合わせて正確に配置された石を見るに、ここは農耕民族にとって重要な場であったことは明らかだ。一方で火葬された人骨が発掘されたことから、墓地ではないかとも考えられている。最新の科学技術をもってしても、どうしても分からないことがあるのだ。

ストーンヘンジの大まかな歴史

紀元前8500〜7000年ごろ

今のように石が配置される前、狩猟採集民によってトーテム・ポールのようなマツの木の柱が現在のストーンヘンジの北西部に建てられた。

紀元前3000年ごろ

紀元前6000年ごろ欧州大陸から農耕民族が移り住み、儀式や集会のための記念碑を数多く建造。この民族により、紀元前3000年ごろに最初のストーンヘンジが作られた。盛り土による簡易な周壁と不規則な堀がある土塁で、木もしくは石の柱が環状に並んでいたという。また、この時すでに夏至の日の出や、当時の日の入りの方角を示すような工夫が施されていたというから驚きだ。

紀元前2500年ごろ

80個を超える大きなサーセン石が約25キロ離れたマールボロ近くから運ばれ、土塁の中央部に石が馬蹄形、円状の二重に、ブルーストーンはその間に二重に並べられた。これらを完成させるまでにどのくらいの年月がかかったかは分かっていないものの、石を遠方から運び出し、美しく加工して、配置するまでに世代を超えた事業になったことは確かだ。

紀元前2200年ごろ

ストーンヘンジがほかの遺跡と大きく異なるのは、紀元前2500年までに大まかな建築作業が終了した後も、細やかな変更が加えられ続けたこと。この時代になると巨石の移動はさすがになかったが、紀元前1750〜1500年には時の権力者によって斧の刃と短剣の彫刻がトリリトンに100個以上刻まれたり、ブルーストーンの配置が変わったりとマイナーチェンジが続けられた。また、周辺地域では紀元前2100~1500年に裕福な人々を埋葬するための古墳が作られるなど、ストーンヘンジは何らかの形で人々に「特別感」を与え続けてきたようだ。

トリリトンの表面トリリトンの表面に彫られた斧の刃と短剣の彫刻(写真下部)

19世紀から現在

その後も数世紀にわたり、考古学者の研究が進められていく一方で、倒壊により退廃していくこの謎の遺跡は、当時の芸術家にとって制作意欲を掻き立てる対象にもなった。しかし、19世紀末に国防省がストーンヘンジ周辺の土地を購入し、近隣に陸軍の訓練を含む軍事利用目的で飛行場を建設したり、周辺の開発により古代の景観は徐々に失われていくことに。しかし、1921年には大部分の施設を閉鎖して土地の所有者に権利が戻り、保存活動を進める別の所有者へ何度か土地が売られた後、1918年に英国へ寄贈された。

ルーカス・デ・ヘーレの水彩画1573〜75年にフランドルの画家、ルーカス・デ・ヘーレが描いた水彩画

現在のストーンヘンジ現在のストーンヘンジ。周囲の風景を元の状態に戻したのはナショナル・トラストだ

分からないから夢がある残された謎や伝説

ストーンヘンジにはその成り立ちや存在にまつわる謎や伝説が数多く残されている。よく知られている説は以下の通り。

ヒール・ストーン

環状列石の北東に位置するヒール・ストーン(Heel Stone)は、かつて「修道院のかかと」とも呼ばれていた。ある研究者は、中央部のサークルは神聖な女性性を表し、尖ったヒール・ストーンは男性性を表し、儀式的に大地の受精を象徴しているという説を提唱。また、実際に夏至の日に太陽が石の先端によって隠されることから、「隠す」という意味のアングロ・サクソン語の「Helan」に由来していると示唆する説も有名だ。民間伝承では悪魔が投げた石が地面に刺さったなど、バラエティーに富んだ伝説や推測が残されている。

Heel Stone

巨人と魔法使いが巨石を運んだ

ストーンヘンジを形成する大きい石の正確な運搬ルートは現在の科学技術をもってしても大部分が不明のまま。ブリテンに関する偽史書「ブリタニア列王史」を元に「ブリュ物語」を1155年に完成させた詩人ワースは、ストーンヘンジが生まれたきっかけについて、「アフリカからアイルランドへ治癒の石として巨人によって運ばれて作られた環状列石を、魔法使いマーリンの助けを借りて同地から現在の場所へ移転させた」と記した。なお、原文に巨人の描写はなく、ワースによって脚色された部分が有名になった。

巨人と魔法使いが巨石を運んだ

ドルイド教徒の祭壇

ストーンヘンジは古代ドルイド教徒により作られたという説が長年英国で信じられてきた。ドルイド教徒とはケルト人社会における祭司のことで、当時の宗教や政治面に大きな影響を与えた。17〜18世紀の古事物研究者たちが、ストーンヘンジを祭壇とみなし、祭司が使う祭壇を自分たちで作った、と考えたのがこの説の由来だが、後の調査によって古代ドルイド教徒たちはストーンヘンジの最終段階となる紀元前2500年より1000年以上後の鉄器時代に英国に現れたことが判明したために、現在この説は否定されている。

ドルイド教徒の祭壇

ブルーストーンに治癒効果がある

ブルーストーンは、石ごとに特定の病気の治癒に効くと信じられていた時代もあった。その方法は、治療したい部分に効く石に水をかけ、表面を伝う水を回収してハーブと混ぜ、体を拭くというもの。この方法は時代ごとに変化を遂げ、18世紀には、ブルーストーンの表面から直接石を削り取り、水に混ぜて体に付けると病気やけがが治ると信じられていた。現在は保存のためにこのような破壊行為は厳禁だが、現在も古代のエネルギーが得られるパワー・スポットとして、多くのスピリチュアリストが訪れる。

ブルーストーンに治癒効果がある

ストーンヘンジは完成していたのか?

現在のストーンヘンジは石柱が欠けているところがある。しかし、もともと環状に作られていた経緯から、最終的には現在に見られる大きなサーセン石が1周するような形を理想としていたことは確かなようだ。しかし、現在環状線上に配置されている石柱の中には、均等にそろえられた両隣と比べ、非常に小さいまぐさ石が乗せられているものがあること、また、ヘンジにおいて重要な入口部分に配置された石の仕上がりが大変丁寧であるのに対し、その反対にある部分は少々雑に作られていることが確認できることから、ストーンヘンジは築造途中で放棄され、未完の状態であるとされている。

間近で見る二つの方法

通常は指定された通路を一定方向に歩き、遠巻きにストーンヘンジを眺めるルートになっているが、夏至、冬至には環状列石のすぐそばまで近付ける事前予約制の開放日が設けられている。また、平日の特定の曜日と週末に開催されるイングリッシュ・ヘリテージ主催のツアー「Stone Circle Experience」でも立ち入り可能。訪問時間は一般公開前の早朝または夕方に行われ、所要時間は移動時間を含め1時間。約45分の間、石の間を自由に歩き回れる穴場ツアーとなっている。2024年9月24日現在、2025年3月までの予約を受付中。価格は大人61ポンド〜、子ども37ポンド〜。
www.english-heritage.org.uk/visit/places/stonehenge/things-to-do/stone-circle-access-visits/


STONE CIRCLE EXPERIENCE

ストーンヘンジの行き方

 車 

A303のそばにあり、衛星ナビゲーションではSP4 7DEを使用。近くまで来ると茶色と白の観光標識が出てくるので、指示に従ってビジター・センターまで行こう。駐車場は有料で、イングリッシュ・ヘリテージ会員なら無料で使える。

 電車 

ナショナル・レールSalisbury駅から約19キロ。駅の正面出口から1時間ごとに出発するストーンヘンジ・ツアー・バスで直接向かうことができる。同じバスでオールド・サラムも訪れることが可能。
www.thestonehengetour.info

 バス 

ロンドンからストーンヘンジ・バース・ウィンザー城、ストーンヘンジ・エーヴベリーなど、さまざまな組み合わせのツアー観光バスが運行されている。

 INFO 

Near Amesbury, Wiltshire SP4 7DE
9:30-18:30 
大人£27.20、子ども£16.30
(オンライン事前予約で大人£22.70、子ども £13.60で、ナショナル・トラスト会員は入場 無料。予約方法の詳細はウェブサイトを参照)
www.english-heritage.org.uk/visit/places/stonehenge

併せて訪れてみたい周辺エリアの注目すべき遺跡

ストーンヘンジの周囲には世界遺産に登録されているエーヴベリー・ヘンジなど、関連の遺跡が点在している。

時代ごとに用途を変えていった オールド・サラム
Old Sarum

オールド・サラム

鉄器時代の紀元前400年ごろに作られた土手と溝のある要塞の中に、中世の王城と大聖堂が建てられた集落の跡地。城も大聖堂も長くは使われず、1226年に大聖堂は近くのソールズベリーに移されたが、城は14世紀まで行政の中心地として活用された。古代ローマ人、サクソン人、ノルマン人などさまざまな人種が使用し増築を繰り返したユニークな歴史を持ち、ヘンリー1世(1100~35年)のために城内に王宮も建てられた。現存する最古の石造建築物である天守閣は、ヘンリー1世の治世初期に建てられたものと推定されている。

Castle Road, Salisbury, Wiltshire SP1 3SD
10:00-17:00 
大人£7.20、子ども£4(事前予約で大人£5.90、子ども£3.10)
www.english-heritage.org.uk/visit/places/old-sarum

村を囲むように佇む エーヴベリー・ヘンジ
Avebury Henge

エーヴベリー・ヘンジ

ストーンヘンジから車で北へ40分ほどの場所にあり、紀元前2850〜2200年ごろに建造された英国最大のストーン・サークルとして、巨大な円形の土手と溝が現存。エーヴベリーの堤防、溝、環状列石の建設順序はまだ解明されていないものの、環状列石が配置される前に何らかの建造物があったり、また近隣の儀式用の場所をつなぐ石道が作られたりと、コミュニティーのような場であったことが分かっている。遺跡を傷つけないように細心の注意を払う必要があるが、ストーンヘンジと異なり石の間をいつでも歩き回ることが可能だ。

Avebury, Marlborough, Wiltshire SN8 1RF
日没まで散策可
入場無料
www.english-heritage.org.uk/visit/places/avebury

石の代わりに木柱が使われた ウッドヘンジ
Woodhenge

ウッドヘンジ

紀元前2500年ごろに建てられたと考えられており、土手と溝に囲まれた六つの同心楕円形の柱で形成されている。この遺跡は、1925年に小麦畑を写した航空写真に黒い同心円状の輪が写っていたため、翌26〜27年に発掘調査が行われて発見された。木製の柱用の穴には、現在コンクリートの標識が埋められている。ストーンヘンジでは遺物がほとんど見つからなかったのに対し、動物の骨、人間の骨の破片など、多くの遺物が出土したため、祭事に使われていた場所であったようだ。ウッドヘンジも世界遺産に登録されている。

Countess Road, Amesbury, Wiltshire SP4 7AR
日没まで散策可
入場無料
www.english-heritage.org.uk/visit/places/woodhenge

何のために作られたか全く不明 シルブリー・ヒル
Silbury Hill

シルブリー・ヒル

高さ30メートル、幅160メートル欧州最大の人工的な白亜の丘で、紀元前2470〜2350年に長い年月をかけて拡張され、現在の姿になった。丘にトンネルを掘って中を調べてみても、墓地として活用された形跡はなく、作られた目的とその重要性は全くの謎に包まれている。とはいえ、ただそこに存在していたわけではなかったようで、調査の結果、古代ローマ人が丘の麓に道路と集落を作ろうとしたことが判明。また、中世初期には丘の頂上がならされ、防御用の構造物のようなものが置かれていた可能性も示唆されている。

West Kennett, Marlborough, Wiltshire SN8 1QH
日没まで散策可
入場無料
www.english-heritage.org.uk/visit/places/silbury-hill

より神秘的な雰囲気が感じられる英国全土に点在する環状列石

英国にはたくさんの環状列石が点在している。風光明媚な場所にある遺跡から素朴な見た目の遺跡まで、個性あふれる環状列石を紹介する。

リング・オブ・ブロッガー
Ring of Brodgar

リング・オブ・ブロッガー

スコットランドのオークニー諸島にあり、英国で3番目に大きい環状列石として知られている。紀元前2600〜2400年に建造され、儀式の場として使用されたと推測されているが、考古学調査があまり進んでおらず謎の多い場所だ。

Stenness, Orkney KW16 3JZ
www.historicenvironment.scot/visit-a-place/places/ring-of-brodgar-stone-circle-and-henge/

カラナイス立石群
Calanais Standing Stones

カラナイス立石群

スコットランドのルイス島カラニッシュにある、紀元前2900年ごろに作られた中央に石の環状列石を配した十字形の立石群。中央に立つ一枚岩を囲むように13の細長い石が置かれており、神秘的な雰囲気が漂う。

Calanais, Isle of Lewis HS2 9DY
https://calanais.org

キャッスルリッグ・ストーン・サークル
Castlerigg Stone Circle

キャッスルリッグ・ストーン・サークル

紀元前3000年ごろに建設されたと考えられている、英国で最も古い環状列石の一つ。大きな石が湖水地方の山々を背景に渓谷を見下ろす絶景の中にあり、ドラマチックな景色が楽しめると人気のスポットでもある。

Castle Lane, Underskiddaw, Keswick, Cumbria CA12 4RN
www.english-heritage.org.uk/visit/places/castlerigg-stone-circle

ボスカウェン・ウン・ストーン・サークル
Boscawen-ûn Stone Circle

ボスカウェン・ウン・ストーン・サークル

紀元前2500~1500年に作られた英南西部コーンウォールにある環状列石で、楕円状に19の石が並び、円の中心点から少しずれて高さ2.4メートルの石が傾いた状態で配置されている。年月によるものか、元からこうだったのかは不明だという。

A30, Penzance TR19 6EJ
https://cornishancientsites.com/ancient-sites/boscawen-un-stone-circle

ロールライト・ストーンズ
Rollright Stones

ロールライト・ストーンズ

英南東部オックスフォードシャーと中部ウォリックシャーの境界にある遺跡群。キングス・メン・ストーン・サークル、キング・ストーン、ウィスパリング・ナイツの三つの遺跡があり、紀元前3800〜1500年に段階的に作られた。

Little Rollright, Chipping Norton, Oxfordshire OX7 5QB
www.rollrightstones.co.uk

ハーラーズ・ストーン・サークル
Hurlers Stone Circles

英南西部コーンウォールにある、青銅器時代初期の異なる三つの環状列石が並ぶ珍しい形態が特徴。石の盗難や牛により石が倒されるなどで損傷はあるものの、石は全て同じ高さに仕上げられて、表面も滑らかだ。

Minions, Liskeard, Cornwall PL14 5LE
www.cornwallheritagetrust.org/our_sites/the-hurler-stone-circles

トレゲシール・ストーン・サークル
Tregeseal Stone Circle

紀元前2500~1500年に作られ、高さ0.8〜1.5メートルの19の石でできた平らな環状列石。英南西部コーンウォールの荒野にあり、同じ場所の西側にある環状列石と共に儀式や儀礼の場であったとされている。

St Just, Penzance TR20 8PU
https://cornishancientsites.com/ancient-sites/tregeseal-stone-circle

ミッチェルズ・フォールド
Mitchell’s Fold

英中西部シュロップシャーにある環状列石。紀元前1000年ごろに作られ、現在は15の石が確認できる。邪悪な魔女が牛のミルクを搾り取ったことで背の高い石に変えられ、逃げないように周りを石で囲んだという伝説が残されている。

Priest Weston, Montgomery, Shropshire SY15 6DE
www.english-heritage.org.uk/visit/places/mitchells-fold-stone-circle

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