知っているようで知らない英国の缶詰。
英国に暮らしていると、スーパーマーケットの棚にずらりと並ぶ缶詰の種類の多さに驚かされる。実は英国は缶詰発祥の地であり、19世紀にはその保存性の高さから長期航海や戦地での食糧として重宝され、その後家庭の食卓へ並ぶ便利な食品として普及していった。本特集では、英国における缶詰の知られざる歴史をひもときつつ、代表的な缶詰も紹介する。
(文: 英国ニュースダイジェスト編集部、Illustration: ⒸKanako Amano)
参考: www.cannedfood.co.uk、www.tastesofhistory.co.uk、 www.theguardian.com、www.express.co.ukほか
英国における缶詰の歴史
缶詰発祥の地
世界で初めて瓶詰の保存食が生まれたのは1810年、ナポレオン戦争下のフランスだった。兵士たちの食料確保のため、長期保存と携帯ができる方法を時の仏政府が一般に募集し、食品加工業者のニコラ・アペール(Nicolas Appert)が、ガラス瓶に詰めた食品を加熱密封する保存法を発明。この発明に刺激を受けたのが英国の商人ピーター・デュランド(Peter Durand)で、重くて割れやすいガラス瓶ではなくブリキ缶による食品保存法を開発し、特許を同年に英国で取得した。これが缶詰の起源だ。
この後、デュランドの特許は英食品会社の技術者ブライアン・ドンキン(Bryan Donkin)によって実用化され、ウェリントン公爵の勧めで13年には英国陸海軍向けに塩漬けの肉などの缶詰が納入された。また、大英帝国として世界中に植民地を広げると同時に、科学や地理的な探検や調査も活発に行っていたこの時代、ジョン・フランクリン(John Franklin)やエドワード・パリー(Edward Parry)のような極地探検家が缶詰を携行した。
ただし、当時の缶詰は厚手のブリキ缶で、開封にはハンマーやノミが必要だったほか、殺菌が不十分だった缶詰には腐敗や細菌汚染のリスクもあった。また、缶の接合部に鉛を使っていたことから、食品に鉛が溶け出し中毒を引き起こした記録も残っているなど、初期の缶詰にはさまざまな改善点があった。
缶切りの発明で一般家庭に普及
米国で開発された初期の缶切り
やがて米国に渡った缶詰だが、同地の発明家エズラ・J・ワーナー(Ezra J. Warner)が1858年に缶切りを発明。しかし、初期の缶切りはまだ扱いが難しく危険を伴うもので、顧客は缶詰を購入した店でその場で開封してもらわなければならなかったという。70年には発明家のウィリアム・ライマン(William Lyman)が回転式ホイール缶切りを発明し、1925年にはさらに改良が加えられ、現在の缶切りの原型が出来あがった。それにより缶詰は一気に手軽な商品となり、一般家庭にも普及し始めた。
特に19世紀後半には、珍しい食材、デザイン性の高いラベル、低価格などを駆使した缶詰メーカー間の競争が激化し、缶詰食品の種類は飛躍的に増加した。20世紀に入ると第一次、第二次世界大戦中の政府の統制とキャンペーンを通じて、栄養と効率を両立させながら配給という形で消費された。
そして現代においても、缶詰は非常時における備えとして重宝されている。とりわけ2020年のコロナ禍では、英国全土で外出制限が始まった直後の3月、缶詰全体の売上は前年同月比で72.6パーセント増を記録。スーパーマーケットの棚からトマト缶やスープ、豆類が一斉に消えるなど、生活必需品としての存在感を改めて示した。
この傾向は一時的なパニック買いにとどまらず、その後も一定の需要を維持し、長期保存が可能で、調理も容易、さらに食品ロスの削減にもつながる缶詰は、手軽さと安心感を両立した食品として、物価高騰や景気不安といった社会状況の変化にも強い存在として再評価されている。缶切りの登場によって日常生活に浸透した缶詰は、戦時下を経て、パンデミックや経済危機といった時代の節目ごとに人々の暮らしを支え、その存在価値を更新し続けている。
英国で昔から食べられている缶詰12選
スーパーマーケットで気軽に購入できる商品を中心に、昔から英国人に愛されている缶詰12種類をえりすぐった。見たことはあっても食べたことのない商品が多いのではないだろうか。これを機会に英国ならではの味覚を試してみては?
* 価格は大手スーパーマーケットのオンライン・ショップを参照
Heinz Tinned Baked Beans
ベークド・ビーンズ
英国の国民食ともいえるベークド・ビーンズ。ベークド・ビーンズといえば、誰もがハインツの缶詰を思い浮かべるだろう。もともと米国生まれのこの缶詰が、英国で初めて販売されたのは1886年、高級デパートのフォートナム&メイソンが最初だった。白インゲン豆をトマトソースで煮込んだ、イングリッシュ・ブレックファストに欠かせない存在。
£1/200g
Fray Bentos Meaty Puds
ステーキ&キドニー・パイ
牛肉と腎臓(キドニー)をグレービー・ソースで煮込んだ具材を包んだパイが缶詰に。缶ごとオーブンか電子レンジに入れて焼くと、上に乗ったパイ皮がふくらむ。ステーキ&キドニーはマッシュ・ポテトなどと一緒に食すのも推奨されており、保存食兼コンフォート・フードとして、昔から一定の需要がある。キャンプなどでも使える。
£3.25/425g
Batchelors Mushy Peas
マッシー・ピーズ
フィッシュ&チップスの副菜として定番の、潰したえんどう豆を柔らかく煮て塩味をつけたもの。北部イングランドでは、ロースト料理の付け合わせであるミント・ソースやミント・ゼリーにこのマッシー・ピーズを混ぜるスタイルも好まれる。また、同じく北部イングランドではマッシー・ピーズを直接パンにはさむことある。
£0.75/300g
Princes Corned Beef
コンビーフ
コンビーフの缶詰の起源は米国で、保存食として第二次世界大戦中に英国に広く普及した。牛肉を細かくほぐし塩漬けし加熱したもので、手軽なタンパク源として重宝された。現在もサンドイッチの具材や料理の素材として日常的に利用されている。サンドイッチでよくある食べ方は、ほぐしたコンビーフをパンに挟み、マスタードやピクルスと合わせる。
£3/200g
Pilchards in Tomato Sauce
ピルチャーズ・イン・トマト・ソース
ピルチャードはイワシの一種で、やや大きめの小型魚。英南西部やコーンウォールなどで伝統的に漁獲され、英国では缶詰で親しまれている。1937年に南アフリカで創業されたグレンリック社のレトロな赤い缶詰は、手軽にタンパク質を摂れる保存食として昔から重宝されている一品。そのままパンに乗せたり、温めてジャガイモや野菜と一緒に。
£1.30/400g
Ambrosia Rice Pudding
ライス・プディング
ライス・プディングは英国で長年愛されているデザートの一つ。クリーミーでほんのり甘く、温めても冷やしても良い。アンブロージア社は英南西部デヴォンで初めて缶入りライス・プディングを作り、以来90年以上にわたって製造を続けている。もともとは乳児のための粉ミルクを作っていただけあり、ミルクの質にこだわりがあるという。
£2/400g
Baxters Royal Game Soup
ロイヤル・ゲーム・スープ
鹿肉、キジ、根菜が入ったスープ。日本人にはなじみが薄いが、スパイスの香りが高くリッチな味わいのスコットランド風スープで、秋の味覚を感じることができる。低脂肪・高タンパク、添加物も入っていないヘルシーな一品だ。バクスターズ社は1929年にスコットランドで創業。ロイヤル・ゲーム以外にもスコットランドならではの缶詰を販売する。
£1.90/400g
Hunger Breaks The Full Monty
オール・デイ・ブレックファスト
英国で1番おいしい食べ物は朝食、と冗談を言われるほど人気が高いイングリッシュ・ブレックファスト。ただし、ベーコン、ポーク・ソーセージ、ベークド・ビーンズ、トマトなど、いざ自分で用意すると種類が多くて面倒なことも確かだ。そんな方のためにあるのが缶詰。中に全てが入っているので、温めてトーストの上に乗せるのがお勧め。
£2.25/395g
Heinz Tinned Spaghetti
スパゲティー
英国でスパゲティーやマカロニの缶詰を見てショックを受けた方は多いはず。どのような状況でどうやって食べるのか、ハインツ社のサイトによれば、「トーストに乗せても、ベークド・ポテトと一緒に食べてもおいしく、お子さまにも大人にもぴったり」とのこと。人工着色料、香料、保存料を一切使用しておらず、その点は安心だ。
£1.25/400g
John West Kippers in Sunflower Oil
キッパーズ
よくスーパーで見掛ける真空パックで売られている燻製にしんを、オイル漬けにして缶詰にしたもの。燻製にしんはもともと朝食としてパンや卵と一緒に食べられていたので、朝の手間を省くために考案された。ヴィクトリア時代は上流階級の人々の朝食だった燻製にしんを、極限までお手軽にした一品。白いご飯にも合いそう。
£2/145g
Spam Chopped Pork & Ham
スパム
第二次世界大戦前に米国から世界に伝わった、ソーセージ肉の一種。特徴的な缶の形は、兵士が背負う背嚢に詰めやすいデザインにしたためだからだという。豚肉と塩、ジャガイモ由来のデンプンなどが主な原料。英国にも定着し、サンドイッチの具材になるほか、フィッシュ&チップスの店などでスパムの揚げ物が売られていることもある。
£2.80/200g
Grant’s Irish Stew
アイリッシュ・シチュー
アイルランドの伝統的な家庭料理で、羊肉、ジャガイモ、玉ねぎ、ニンジンなど手元にある材料をシンプルに煮込んだ、滋味深く素朴な味わいが特徴のシチュー。小麦粉などでとろみがついている。温めるだけでよいので、忙しいときや災害時などに便利。もともとはアイルランドの農家で生まれたそうで、さまざまなブランドから販売されている。
£1.95/400g
知ってた?缶詰にまつわるトリビア
1CanとTin
同じ缶でもその違い
英語で缶詰は、米国では主にCan、英国ではTinが使われる。特に英国では食品の缶詰にはTin、飲料にはCanを用いるのが一般的。元来Tinは缶の素材であるスズに由来する言葉だった。ちなみに、食品に関する文脈で「tinned」という語が初めて登場したのは1861年。料理研究家イザベラ・ビートン夫人による「ビートン夫人の家政読本」(Mrs Beeton’s Book of Household Management)に書かれたTinned Turtle、ウミガメの缶詰が最初だった。
「ビートン夫人の家政読本」の表紙
2北極まで行った
牛肉の缶詰
1824年、ウィリアム・エドワード・パリー卿はインドへの北西航路を探すため、牛肉とエンドウ豆のスープの缶詰を携行してHMSフューリー号で北極への航海に出発。その携行品の一部は57年、捜索遠征隊によって発見された。1939年に開封されたが、その当時でも食べることが可能で、栄養価も落ちていなかったという。高さ14センチ、幅18センチのこの牛肉の缶詰は、現存する最古の缶詰として今もロンドンの科学博物館に所蔵されている。
ウィリアム・エドワード・パリー卿
3フレイ・ベントスの
コンビーフ缶が戦車に?
パイの缶詰で知られているフレイ・ベントス社だが、19世紀末はコンビーフが有名で、同社の名はコンビーフの代名詞だった。第一次世界大戦当時のこのコンビーフ人気はすさまじく、「フレイ・ベントス」という言葉が兵士の間で「良い」という意味の俗語として使われるほどだったとか。また、初期の英国産戦車の一つには「フレイ・ベントス」というあだ名が付けられたが、これは戦車内の兵士たちが缶詰の中のコンビーフのようにぎっしり詰まっていたからだという。
フレイ・ベントス社の初期の商標
4缶詰はどれくらい日持ちする?
保存方法を紹介
保存している缶詰は、安全のために改めて消費期限を見直そう。一般には18カ月~2年以内に使うべきだが、ジュース、トマト、ピクルスなど酸性の缶詰食品は、肉や野菜よりも早く劣化する傾向があるので注意が必要だ。缶詰は、調理器具やボイラー、直射日光を避け、涼しく乾燥した暗い場所に保管すること。湿気は缶を錆びさせ中の食品を腐らせる可能性があるほか、蓋が膨らんでいたり、へこんでいる場合は、内部が何らかの形で汚染された可能性がある。
ストックするばかりでなく消費期限にも注意
5ベークド・ビーンズ博物館が
一般市民の自宅に存在した
かつて「ベークド・ビーン・ミュージアム・オブ・エクセレンス」という私営の博物館がウェールズ南部のポート・タルボットに存在した。2023年に閉館したこの博物館は、09年にバリー・カーク氏によって同氏の公営住宅の居間、浴室、キッチンに開館。館内には、ベイクド・ビーンズ関連の缶詰、販促品が展示されていた。独立博物館協会にもきちんと登録され18年にはポート・タルボットで4番目に訪問者数の多い観光スポットでもあったとか。
静かなポート・タルボットの公営住宅群
6おしゃれなツナ缶が
大事な日の贈り物に
バレンタイン・デーといえば、チョコレートや花などを贈るのが一般的。だが今年のバレンタインには魚の缶詰が贈り物のチョイスの一つになった。デザイン性が高く優れた品質のツナ缶が、1個20ポンドほどの値段で売られている状況だ。大手デパートのセルフリッジズは、クリスマス前の数週間でこうしたおしゃれなクラフト缶詰の売り上げが85パーセントも増加したと報告している。このトレンドを牽引しているのは、インフルエンサーや有名シェフたちだ。
良い缶詰は味も価格もあなどれない