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Tue, 08 October 2024

裏で表で、英国政治を左右する政界の女たち

女は三歩下がって夫を立てる……、そんなイメージの強い日本の政治家の妻たち。しかし、ここ英国は彼女たちの存在こそが、どんな優れた政策よりも世にアピールすることがある。「英国の女たち」シリーズ第2回となる今回は、時にその美貌で、時にその聡明さで、政界の一翼を担う個性的な「政治家の妻たち」をピックアップ。自らが表舞台に立つ女性政治家たちも合わせてご紹介します。

(本誌編集部: 村上祥子)

政治家の妻たち

「カーラ・ブルーニ、ファッション外交で英国を魅了」……。今年3月、サルコジ仏大統領が英国を訪問した際、世間の注目を集めたのはブラウン首相でもサルコジ大統領でも、はたまた外交政策でもなく、有名ブランドに身を固めたカーラ・ブルーニ新仏大統領夫人の華麗な姿だった。いまや妻によって夫の政治家生命が左右される時代になったのかもしれない!?


逆境を経て強さを増す「待ちの女」
サラ・ブラウン   Sarah Brown

1963年生まれ バッキンガムシャー出身

ゴードン・ブラウン夫: ゴードン・ブラウン (英国首相)
Sarah Brown

よく見るとなかなか整った顔なのに、旦那さま同様、イマイチ「地味」なイメージが抜けきれないサラ・ブラウンさん。しかし、サラさんの「政治家の妻」としての強みは、外見以外のところにある。

結婚と同時に経営していたPR会社を辞め、夫のサポートに専念。チャリティー活動に熱心なところといい、おしとやかなイメージが強いサラさんだが、ブリストル大学在籍中には、「ザ・トレンディーズ」という「過激派」集団の中心人物として活躍。パーティーでは自身の体を金色に塗りたくったというから、そのおとなしい外見の内には燃えたぎる情熱が隠されているに違いない。

結婚に至るまでの道程は一筋縄ではいかなかった。30歳を過ぎてから仕事を介してブラウン首相と知り合い、お付き合いをすることになったサラさん。しかし何事にも慎重なブラウン首相は、付き合いは極秘、結婚を決意するまでにも数年を要したという。

結婚した後も苦難の道は続く。念願かなって生まれた女児、ジェニファー・ジェーンちゃんは生後わずか10日で早世。2003年には長男のジョン君、06年には次男のジェームズ・フレイザー君が誕生するが、次男は遺伝性疾患の嚢胞性線維症(のうほうせいせんいしょう)であることが判明。サラさんは喜びと悲しみを行ったり来たりの人生を送ることになる。

しかし、ここでめげないのがサラさんの強いところ。耐えの人生で培った根性で、夫が首相の座に付くまでの10年間を静かに乗り切り、いまや首相夫人の座に収まった。

外見の美しさだけでは、飽きられるのも早いもの。数年後、誰より強く、したたかに政界を生き抜いているのは、ひょっとしたらサラさんのような女性なのかもしれない。


好感度の秘訣は「バランス」
サマンサ・キャメロン   Samantha Cameron

1971年生まれ ノース・リンカーンシャー出身

デービッド・キャメロン夫:デービッド・キャメロン(保守党党首)
Samantha Cameron

エレガントながらカジュアルさを忘れないファッションに身を包み、高級文具店スマイソン、ボンド・ストリート店のクリエイティブ・ディレクターでありながら良妻賢母の雰囲気を程よく漂わせている、バランス感覚に優れたサマンサさん。2007年10月に行われた保守党の年次党大会では、夫の姿をつぶらな瞳で見つめる、少女マンガの主人公のような姿がメディアに注目された。

夫同様、良いところ出のお嬢さまで、父は大地主のレジナルド・シェフィールド卿。英北東部のリンカーンシャーに位置する約120万平方メートルもの広大な屋敷で育った。キャメロン氏と出会ったのは、10代のとき。キャメロン氏の妹が親友なのがきっかけだったとか。良家同士が脈々とつながっていく典型的パターンである。

その一方で、ブリストル・ポリテクニック在学中にはヒップ・ホップ・シンガーのTrickyとビリヤードに興じ、足首にはイルカの刺青を施すというワイルドな一面も。夜な夜なナイトクラブに通いまくっている割りには清潔なイメージのあるウィリアム王子のガールフレンド、ケイト・ミドルトンさんに通じるものがあると言えなくもないかも。

以前、「私はデイヴ(デービッド)に『何をどう言え』とは言わないわ。ただ彼のためにここにいたい、それだけなの」などと殊勝なことを言ったことがあるが、ある意味、夫のやることに積極的に口を出していたブレア元首相夫人、シェリーさんに対する強烈な嫌味ととれないこともない。あまり敵には回したくないタイプだ。

ちなみに彼女の曾曾曾曾曾曾曾曾祖母はスチュアート朝時代の英国国王、チャールズ2世を魅了した寵姫、ネル・グウィンとも言われている。やっぱり手強そう……。


第2のシェリー夫人なるか!?
ミリアム・ゴンザレス・デュランテス
Miriam Gonzalez Durantez

生年月日不明(39歳)スペイン出身

 ニック・クレッグ夫: ニック・クレッグ (自由民主党党首)
ミリアム・ゴンザレス<br /> ・デュランテス

昨年12月、40歳という史上最年少で政党党首となったニック・クレッグ自由民主党党首。キャメロン保守党党首とヒュー・グラントを足して2で割ったような爽やかな風貌のクレッグ氏の妻、ミリアム・ゴンザレス・デュランテスさんは、これまた漆黒の髪にエキゾチックな雰囲気が魅力的なスペイン出身の国際弁護士だ。

外務省で中東和平問題の専門家として活躍、現在は多国籍法律事務所ディーエルエー・パイパーで国際貿易部門の責任者として活躍している才媛。第一子をもうけた際には、長めの育児休暇を取ったクレッグ氏よりも早く職場に復帰したとかしないとか。弁護士という職業、夫婦別姓で通す姿勢、どことなくトニー・ブレア元首相の妻、シェリーさんを彷彿とさせるバイタリティ溢れる女性だ。

一流のキャリアウーマンにして2人の子持ち、しかも美人。すべてを兼ね備えているように思えるミリアムさん。唯一の心配事は、クレッグ氏が3月、「GQ」誌のインタビューに語った「これまでに寝たことのある女性の数は、たったの30人」発言か。浮気をしたことはあるかと聞かれ、「もちろん、そうでないことを願っているよ」とヌケヌケと答えたクレッグ氏。どんな才媛でも、夫の浮気ばかりはどうにもならない!?


閣僚にして政治家の妻
イベット・クーパー   Yvette Cooper

1969年生まれ スコットランド出身

エド・ボールズ 夫: エド・ボールズ(児童・学校・家庭相)
役職: 財務相主席担当官
Yvette Cooper

美人とは言えないかもしれないが、真ん丸の顔に愛嬌のある笑顔がキュートなイベット・クーパー。しかしその外見にだまされてはいけない。彼女こそ女性初の財務省主席担当官にして、ブラウン首相の右腕であるエド・ボールズ児童・学校・家庭相の妻という、「政治家の妻」兼「女性政治家」、いわばバリバリの「政界の女」なのである。

名門オックスフォード大学でPPE(哲学・政治学、経済学)を学んだイベットさん。学位取得後は、ケネディ奨学金を得て米ハーバード大学へ。最終的にはロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)で経済学の修士号(MSc)を取得したという、まさに「一つくらい分けてくれ」と言いたくなるようなご立派な学歴の持ち主である。

「ウェストミンスターのゴールデン・カップル」とも言われるボールズ・クーパー夫妻。結婚は1998年、現在は1男2女のお母さんでもある。出身大学、専攻、留学先が一緒、ともにジャーナリスト出身(イベットさんは「インディペンデント」紙、エド氏は「フィナンシャル・タイムズ」紙)、そして選挙区はウェスト・ヨークシャー州内のお隣同士。ソックリな経歴に加えて、これまた夫婦揃っていつでも楽しそうなえびす顔。似たもの同士のエリート・カップル、このままどこまでも仲良く政界を突っ走っていってもらいたいものである。


オトボケ加減が憎めないエリート妻
シェリー・ブレア   Cherie Blair

1954年生まれ グレート・マンチェスター出身
(仕事時には旧姓シェリー・ブースを使用)

トニー・ブレア夫: トニー・ブレア(元英国首相)
Cherie Blair

勅撰弁護士にして、政治にも積極的に口を出す、トニー・ブレア元首相夫人のシェリーさん。普通ならちょっと敬遠したくなるタイプだが、どうも憎めないのは、その天然ぶりゆえであろう。

シェリーさんのオトボケ列伝は、1997年、労働党が総選挙で勝利を収めた翌日から始まる。自宅に送られた花束を受け取りに、ボサボサ髪にパジャマ姿でご登場。張っていた報道陣を喜ばせた。その数年後には、ロンドン地下鉄で移動時にチケット不所持で御用。トドメは2006年9月、ブレア首相の進退問題が話題になっていた最中に、次期首相候補ブラウン財務相(当時)が行った首相称賛のスピーチを聞いて一言、「嘘つき」……。

長年、首相夫人の座にいたにもかかわらず、褪せることのなかったこの天真爛漫さ。「女は愛嬌」を体現している女性だ。


古き良き英国人女性の強さをここに見る
クレメンタイン・チャーチル
Clementine Churchill

1885~1977年 ロンドン出身

ウィンストン・チャーチル夫: ウィンストン・チャーチル(元英国首相)
Credit: IWM
Clementine Churchill

強烈な個性と圧倒的な指導力で、戦時中の英国を率いた名首相、ウィンストン・チャーチル。そんな夫を影で支え続けた妻、クレメンタインさんには、古き良き英国人女性のしなやかな強さがあった。

伯爵家ゆかりのお嬢様と、名門宰相のカップル。順調満帆の人生のようにも思えるが、毒舌家で躁うつ病の気があったチャーチル、そんな夫とともにあった彼女の日々は、時に波乱に満ちたものであったろう。しかし彼女の人生が幸せなものであったことは、結婚30周年目にチャーチルが語った言葉から覗える。いわく、妻には2つの欠点がある。「プロポーズをすぐに了承した軽率さ」と「30年間、こんな私に黙ってついてきた愚かさ」だ、と。ひねくれものの英国人らしい、妻への感謝と愛情に満ちた言葉から、彼がいかにクレメンタインの変わらぬ献身に救われていたかがよく分かる。


「鉄の女」を支えた糟糠の夫
デニス・サッチャー   Denis Thatcher

1915~2003年 ロンドン出身

マーガレット・サッチャー妻: マーガレット・サッチャー (元英国首相)
Denis Thatcher

どんな妻よりも妻らしく、英国初の女性首相を温かく包み込んだ「ファースト・ジェントルマン」。

ジン・トニックをこよなく愛し、メディアの前では妻を「ボス」と呼ぶ。サッチャー家では誰がズボンを履くのかと聞かれた時には「僕さ。そして僕が洗って僕がアイロンをかける」と答えた、英国的ユーモアに溢れた人柄は人々に愛され、サッチャー元首相のイメージアップにもつながった。

デニスさんが亡くなったとき、元首相はこう言ったという。「首相とは孤独なもの。でもデニスがいれば、私は決して一人ではなかった。なんという男性、なんという夫、なんという友だったのでしょう」。表舞台にはほとんど出ることのなかったデニスさん。しかし元首相にとって彼は、光に寄り添う影として、かけがえのない存在だったのだろう。

女性政治家編

「9対8」。この比率が何を示しているか、お分かりだろうか。実はこの数字、つい先日発表された、スペイン内閣における女男比の割合なのである。このほか、フィンランドが12対8、ノルウェーが10対8と、欧州における女性政治家の躍進には目覚ましいものがある。ここでは過去・現在・未来における英国政治の舞台で活躍する、女性政治家たちの姿を追ってみよう。


仕事にも恋愛にも全力投球の女闘士
クレア・ショート   Clare Short

1946年生まれ バーミンガム出身

役職: 下院議員。元国際開発相
Clare Short

英国のイラク戦争参戦に徹底反対、政府が国連で盗聴している事実を暴露して話題になった「情熱の女闘士」。真一文字に結ばれた唇からも、その意志の強さがうかがえる。

なにしろこの人の信念の貫き方は半端じゃない。17歳のときに未婚の母となり、翌年に結婚するもすぐに離婚。生まれた子どもは養子に出した。1983年に労働党員として下院議員に当選以来、初代国際開発相に任命されるなど出世街道をひた走ったが、その間も2度、影の内閣時代に党の方針に反対して職を辞している。

2003年には、政府が国連決議を経ずにイラク戦争に参戦したことに対し、閣僚を辞任すると息巻くも、このときにはなぜか態度を保留。しかし、いつまでも煮え切らないブレア首相(当時)に業を煮やし、結局は内閣を去る。

そして極めつけがこれ。04年2月、クレアさんはBBCのラジオ番組内で、英国のスパイがコフィ・アナン国連事務総長(当時)の会話を盗聴していると暴露した。「売国奴」などと批判する声が各方面から聞かれたが、当の彼女はどこ吹く風。どこまでも肝の据わった女性である。

そんな女闘士も06年には次期選挙への不出馬を表明。これで静かな余生を……と思ったら大間違い。何と元同僚、故モー・モーラム議員の夫、ジョン・ノートン氏との交際が発覚したのだ。某雑誌のインタビューで「恋に落ちた」事実を認め、「人生って美しい」とその喜びを語ったクレアさん。生涯現役、仕事にも恋にも全力投球。これぞ情熱の女闘士の生きる姿なのだ。


悪女か、それとも英雄か……
マーガレット・サッチャー   Margaret Thatcher

1925年生まれ リンカーンシャー出身

役職: 元英国首相
Margaret Thatcher

「鉄の女」「牛乳泥棒」「英国で最も不人気な女性」……。サッチャーほど、英国政治史においてその評価が分かれる人物もいない。一つ確かなことは、82歳を過ぎた今もなお、凛とした美しさを保つこの英国初の女性首相が、人並み外れた決断力と統率力で戦後英国をまとめあげたピカイチの「政界の女」であるということだろう。

1959年にフィンチリー区の下院議員に選出され、政界入り。そして79年総選挙で保守党を勝利に導き、女性初の英国首相の座に就く。後に「サッチャリズム」と呼ばれる新自由主義を掲げ、国有企業の民営化や、大規模な教育改革を断行。教育分野では、高等教育の大衆化に尽力し、自らの出身校、オックスフォード大学の特権意識をも打ち砕き、同校が歴代首相に贈る名誉博士号も、彼女にだけは授与されなかった。

そんな女傑サッチャーも、やはり人の子、完璧な人間ではなかった。国を厳しく育て上げた彼女も、自らの子どもには甘かったのだ。溺愛していた双子の長男マークが20代の頃、カーレースに出場中にサハラ砂漠で行方不明になった際には初めてメディアの前で涙し、2億円もの費用を投じて多国籍捜索部隊を結成、居場所を突き止めた。また彼が2004年、赤道ギニアのクーデター支援の容疑で南アフリカで逮捕された際には、約3400万円をさくっと支払って保釈手続き。翌年には同地の裁判所と司法取引をして執行猶予つきの判決をもぎとった。

英国政治史に燦然と輝く女性首相の親バカな一面。意外な人間らしさにホッとする一方で、どこまでも鉄の女であり続けて欲しいと思うのは、勝手な願いだろうか……。


土壇場で逆転ホームラン
ハリエット・ハーマン   Harriet Harman

1950年生まれ ロンドン出身

役職: 下院院内総務、女性・平等担当相
王璽尚書、労働党幹事長、労働党副党首
Harriet Harman

日本の大企業のサラリーマン並に肩書きがズラズラ長いハリエット・ハーマン。2007年6月、労働党副党首選で予想外の勝利を収めたはいいが、同年11月、同選がらみで不動産開発業者から他人名義で5000ポンドの献金を受け取ったことが発覚。また今年4月初旬には、ガッチガチの防弾チョッキを着て地元ペッカム地区を視察している姿を各紙が報道。「ウチの近辺はそんなに危険な場所なのかい」と地元民からの嘲笑を受け、一時はすわ、政治家生命の危機かと思われた。しかしここで彼女は起死回生の一打を放つ。

下院のクエスチョン・タイムでウィリアム・ハーグ保守党議員に「(視察に防弾チョッキなら)閣僚会議に行くときは道化師の格好をするのかな」と皮肉られた際に、以前、同議員が自身の名前を刺繍した野球帽を被っていたネタを引っ張り出し、「服装を相談するとしたら、野球帽を被った男にだけは勘弁だわ」と切り返し、一気に形勢逆転を成し遂げた。

生真面目なハーマンが、土壇場にきて芽生えさせた鋭いユーモアのセンス。これなら皮肉王国、英国の政界で、まだまだ生き残れるかもしれない。


最年少女性議員誕生なるか!?
エミリー・ベン   Emily Benn

1989年生まれ ロンドン出身

役職: 未定
Emily Benn

まだ「女性政治家」ではないが、将来有望な「女性政治家」の卵を一人。彼女の名はエミリー・ベン。そう、昨年秋に総選挙が囁かれていたときに17歳で労働党の下院選立候補者に選ばれ、世間の注目を集めた女子高生である。

エミリーは1989年、元下院議員トニー・ベンの長男、スティーブンの長女として生まれた。ちなみに叔父はヒラリー・ベン環境・食糧・農村問題相。過去4代にわたって政治家を輩出してきた、名門ベン家、期待のホープなのだ。

エミリーいわく、政治の世界に初めて足を踏み入れたのは2歳のとき。祖父の選挙運動に加わったのが最初だったとか。その後、14歳で労働党員に。昨年秋には結局、総選挙は行われなかったが、現在も2010年6月までに予定されている総選挙への参加の意志はマンマン。この選挙で当選を果たせば、最年少記録(21歳170日)を更新することになる。

ちなみに最近、オックスフォード大学への入学が決まった。専攻は歴史と政治。祖父や叔父の背中を幼い頃から見つめ続けてきた彼女の純粋な瞳は、どこまでもまっすぐ、女性政治家である将来の自分の姿を追っている。

 

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