キリンとイルカをめぐる動物愛護論争
今から30年前、産経新聞大阪社会部のベテラン・デスクから新人研修を受けたとき、「ニュースの3要素を言ってみろ」と言われ、「正確性、速報性、公共性ですか」と答えた。デスクは「読者に読んでもらおうと思ったら、女と子供と動物や」と大声で叫んだ。「時代錯誤だ」とお叱りを受けそうだが、この3原則は万国共通、不変の法則だ。
英南東部サフォークの食肉店が住民の苦情で、それまで店頭のウインドーに陳列していたブタやシカの頭、ウサギ、羽毛をむしっていないカモ、キジ、ヤマウズラを取り外した。「子供が怖がって食肉店の近くに買い物に行けない」と一部の住民が言い出し、地元紙に「陳列物の撤去」を求めて手紙を出した。フェイスブックでも不買運動が始まり、食肉店は他店への影響を避けるため陳列を取りやめた。この地域では19世紀末から解体前の動物を店頭に陳列する習慣が続いていた。食肉店はお客さんに喜んでもらえるようにと毎週、数時間かけて陳列してきたという。店員は「陳列を再開するかどうかはお客さん次第です。陳列をやめると大手スーパーとの違いがなくなります」と残念そうだ。
日本でも昨年、猟師に転身した若い女性が雪山でのウサギ狩りと解体の様子を写真付きでブログに「ウサギはかわいい味がした」と書いたところ、大騒ぎになった。「命を軽んじている」「殺すこと自体に快楽を感じる異常者」と批判が殺到してコメント欄が炎上したのだ。人間は日々、動物や植物の命をいただいて暮らしている。食すため動物を殺して解体する現実から目をそむけるのはきれいごとすぎないか。あるがままの姿を見せるのは残酷なのか。
1月、キャロライン・ケネディ駐日米大使が「米国政府はイルカの追い込み漁に反対します。(中略)非人道性について深く懸念しています」とツイートした。これに対し、安倍晋三首相は「イルカ漁は文化、慣習であり、生活のため」と反論。和歌山県の仁坂吉伸知事も「我々は牛や豚の命を奪って生きている。イルカだけ残虐だとするのは違うのではないか」と指摘した。
イルカの追い込み漁とは小型鯨類を沖合から船で湾に追い込んで捕獲する漁のことで、和歌山県太地町では昔から行われている。しかし、2009年公開の米映画「ザ・コーヴ」では批判的に描かれた。国際捕鯨委員会(IWC)で規制されていないバンドウイルカなどを対象に水産庁が持続可能な捕獲量を算出し、和歌山県には昨年、約2000頭が割り当てられている。
反捕鯨団体シー・シェパードの活動家は追い込み漁の期間中、常駐し、インターネット中継している。漁師たちの生活ではなく、海岸が真っ赤に染まるシーンばかりが強調される。ロンドンの在英日本大使館前にも先日、100人以上が集まり、抗議活動を行った。地元漁協では、イルカの苦痛が少なくなる捕殺方法を導入したり、一部の作業を室内で行ったりするなど対策を講じているという。IWCをめぐる議論でも、強硬な反捕鯨国が日本の沿岸捕鯨(商業捕鯨)再開にまで反対するのを目の当たりにすると、「自然の恵みを享受して生計を立てている人たちのことを全く考えていない」と感じざるを得ない。「魔女狩り」「宗教裁判だ」と言い返したくなる。筆者は個人的には持続可能な 範囲で沿岸捕鯨は再開してもいいと考えている。南氷洋での調査捕鯨は、「戦力不保持」を憲法9条でうたいながら世界有数の軍事力を保有するのと極めて類似している。こんな偽善は良くない。しかし、独善はもっと良くない。
デンマークの動物園で、キリンのマリウスがボルト銃で殺処分にされた。マリウスは子供を含む来園客の前で解体され、ライオンのエサにされた。マリウスには何の罪もなかったが、欧州動物園水族館協会(EAZA)は、飼育する動物の近親交配防止を定めている。この動物園ではキリンが8頭に増え、マリウスが間引かれることになった。動物愛護団体から批判が殺到。ネットでは助命を嘆願する署名運動が行われ、職員が殺害予告を受ける事態に発展した。EAZAによると、欧州では毎年3000~5000頭の動物が近親交配防止のため殺されているという。
観賞用のキリンと違って、食用のイルカは地元漁民の「生活の糧」だ。殺される動物がかわいそうという理屈を一方的に押し付けられてはかなわない。
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