第34回 小物屋の主人と生命保険
シティ市役所の北にある保険ギルドの建物入口には、火災保険を表すサラマンダー(火の神獣)、海上保険を表すアンカー(碇いかり)、生命保険を表す小麦の束の紋章があります。世界初の火災保険会社がシティに設立されたのは、1666年のロンドン大火の直後でしたし、海上保険の中心、ロイズがロンバード・ストリートにその発祥となるコーヒーハウスを開いたのも17世紀後半でした。では生命保険会社の成立はいつごろでしょう。
保険ギルドの紋章にはサラマンダー、アンカー、小麦の束
実はこれも、同時期のシティが関係しています。当時は清教徒革命、ペストの流行、ロンドン大火、王政復古、英蘭戦争と人口変動の激しい時代です。ロンバード・ストリート脇のバーチン・レーンに小物屋を経営するジョン・グラントという商人がおりまして、グラントは黙々と教会を訪れては「死亡調書」をかき集め、1604年から1661年までの人口動態を分析し、「死亡調書の自然的および政治的観察」(1662年)という小さな本を出版しました。
グラントの小物屋があったバーチン・レーン
ボタンや針を売る小物屋の主人が、何に触発されて市の出生や死亡に関する統計分析を始めたのかは定かではありません。でもそれは、現代統計学で必須のサンプリング手法、母集団推定、確率計算を駆使し、当時のロンドンの総人口を38万4000人と探り当てた画期的な分析手法だったのです。そしてその約30年後、天文学者のエドモンド・ハレーが、グラントの統計分析の手法を精緻化して「生命表」を完成させます。
グラントが永眠する聖ダンスタン西教会
この「生命表」により、生命保険料や平均寿命の数理的な計算が可能になりました。1762年、世界初の近代的生命保険、エクイタブル・ライフがバーチン・レーン近くの聖ニコラス教会の跡地に誕生します。それまで一律の掛金で相互扶助をしていた組合や教会組織はありましたが、死亡率を加味した平準保険料を採用したのはこれが最初です。このとき「保険数理」という概念も登場し、のちの医療保険や社会保障の発展に寄与しました。
近代的生命保険の発祥地のプラーク
英国の「生命保険」は「Life Assurance」と訳されます。発生するか分からないリスクを補償するのがインシュアランスで、発生を回避できない死亡を前に、日常生活に安心を与える保障がアシュアランス。シティで保険会社が生まれるまでの経緯を知りますと、両者の単語の違いが分かります。いずれにせよ、「無視され続けたデータに潜む傾向や特徴から役立つ知識を得たい」と願う市井(しせい)の人の努力の上に、今日の社会保障制度が築かれているのです。