第37回 鉄道時間とテレグラフ・ストリート

シティの古い建物の壁に時々、日時計を見掛けます。よく見ると左回りです。あらあら。私たちの時計が右回りに作られたのは、何千年も前から存在する日時計の動きを引き継いだからだ、と覚えていたのでこれは驚き（シティは南半球にあったのか?）。でも正確にいうと、北半球の地面に棒を立てた日時計は右回りに影を残しますが、南壁に対して垂直に伸ばした棒だと左回りに影が動くのです。なかなか奥の深いことを教えてくれますね。

アメにも負けず、カゲにも負けず、この 壁の日時計は左回りで頑張る

太陽が真南に来たとき（＝南中）を正午とするというのも日時計の産物。1675年にグリニッジ天文台が誕生して以降、地方が南中を観測した時刻を正午と定めたのは誠にごもっともな話で、例えば、ロンドンとオックスフォードでは5分、ブリストルとは10分の時差があります。天文現象ですから地方には地方のローカル時刻が成立して当然です。ところが19世紀後半、全国に鉄道ブームが起きますと、この時差が社会問題になります。

郵政省逓信部があった通り

鉄道は単に汽車を走らせるだけではなく、時刻表に従って運転しないと事故が起きるし、乗客も困ります。鉄道で都市を結ぶには、統一時刻が必要というわけです。そこでイングランド銀行の北向かいのロスベリーに1848年、セントラル・テレグラフ会社が中央電信局を創り、グリニッジ平均時の時報を全国の鉄道網に発信し始めたのです。1870年には郵政省逓信部に統合され、シティのテレグラフ・ストリートから全国に時報や電報が打たれました。

ロスベリーから全国の鉄道網に向け時報が送られた

この鉄道時間の普及に対して地方が大反対をしました。鉄道がロンドンと結ばれるからといって、既存の地方時刻を修正するのは神の摂理に反するというのです。しかしながら、鉄道が生活に不可欠になると世論は変わり、ついに1880年、英国の時刻が統一されました。鉄道時間から国内標準時を定めた英国の動きは世界全体に標準時の採用を広めました。1884年の国際会議でグリニッジ子午線が経度ゼロと定められ、各国が標準時を導入していきます。

郵政省逓信部跡地では、パブ「テレグラフ」が酔っ払い信号を送っている

こうしてシャーロック・ホームズ探偵がジョージ・ブラッドショーの時刻表を手放さず、また後に私たち日本人が、松本清張や西村京太郎の時刻表トリックを楽しめるようになるわけです。ちなみに日本では1872年に最初の鉄道が横浜―新橋間で開通、翌々年、大阪―神戸間も通じました。東京と神戸では南中に19分の時差がありますが、標準時導入後に東海道線が開通したので、こうした時差の問題が起きなかったのです。良かったですね。

ブリストルにある歴史的建造物「The Exchange」に設置された時計。
ロンドンと地元の時刻を示す2本の分針がある