第156回 君主の称号とトマス・モア
英国の硬貨は分厚くて重く、ポケットにたくさん入れているとズボンがずり落ちます。もう少し軽くならないのかと、硬貨の肖像エリザベス女王を見直すと、女王の周囲にラテン語で君主の称号「DEIGRAREG=神の恩寵による」と「FIDDEF=信仰の擁護者」が刻印されているのが分かります。「信仰の擁護者」とは仰々しい表現ですが1521年にヘンリー8世がローマ教皇から授与された称号で、それ以来、英国君主は今も使い続けています。
硬貨にあるD・G・REGと F・Dは君主の称号
16世紀初め、ドイツの神学者マルティン・ルターは、ローマ・カトリック教会を非難し、改革運動を始めました。これに対抗して「七つの秘跡の擁護」を著し、婚姻の秘跡と教皇の優位性を主張することでカトリック教会を擁護したのがヘンリー8世。大喜びしたローマ教皇レオ10世はヘンリー8世に「信仰の擁護者」の称号を与えました。でもそのカトリック擁護の論文を執筆したのは実はヘンリー8世の右腕トマス・モアです。
トマス・モアの生誕地に付けられたプラーク
モアはシティのミルク・ストリートの法律家の家に生まれ、リンカーン法曹院を卒業。さらに現在のロンドン・チャーターハウスにあったカルトジオ修道院で外国語や神学に対する理解を深め、知識も精神力も携えてシティ選出の下院議員から中央の政界に進出しました。やがてヘンリー8世の外交使節を務め信頼を獲得、カトリック教会を擁護した頃がヘンリー8世とモアの蜜月時代でした。ところがヘンリー8世が世継ぎのために男の子が欲しいと、王妃との離婚を口にし始めて以来事態が急変。
モアが修行した旧カルトジオ修道院
1529年、ヘンリー8世はモアを大法官に登用してこの離婚問題の解決に当たらせます。でもモアは離婚を正当化できる根拠は無いとし、ヘンリー8世の寵愛を失います。やがて1534年の国王至上法で英国王が英国国教会の首長を兼ね、カトリック教会と決別。全ての聖職者はキリストではなく国王に従うものとされました。モアはこれに賛成すれば自分の魂を破壊され、反対すれば肉体が破壊されるとして無言を通します。でも結局、「王の良き従僕であるが、その前に神の従僕である」という最後の言葉を残して死罪に。
タワー・ヒルの処刑場跡にはモアの名前が刻印
「信仰の擁護者」という君主の称号はヘンリー8世以後も、共和制時代のクロムウェル親子を除き、ずっと使われ続けています。チャールズ皇太子は自分が王位に就く際には「キリスト教の擁護者ではなく、信仰心の擁護者でありたい」とコメント。英国の硬貨が重いのはこれまでの歴史を引きずっているからで、簡単には軽くなりません。
チェルシー・オールド教会のトマス・モア像