第165回 赤色のレンガ街と黄色のレンガ街
日本最大のビル街・丸の内の発祥は、明治時代後半に作られた三菱社のビジネス街「一丁倫敦」です。シティのロンバード街を見本に赤いレンガ造りの街並みが3階建て、50尺(約15メートル)の高さで統一されました。その後、建物の高さ制限は関東大震災直後に100尺規制(約31メートル)の建築基準法として全国に施行されます。1964年の東京オリンピックの建設需要を理由に廃止されるまでそれは堅く守られました。
明治後半の一丁倫敦(現在の丸の内)
この100尺規制はロンドンの高さ制限に倣ったという説があります。聖ポール大聖堂の尖塔から柱廊までが全部見えるよう、建物の高さ制限条例が施行されたのは1938年ですが、それ以前からシティには100フィート(約31メートル)制限の紳士協定がありました。焼失した聖ポール大聖堂を1710年に再建した建築家クリストファー・レンが、当時としては高層建築である大聖堂のドーム軽量化に腐心した理由が地盤の弱さでした。
高さ制限の目安だった聖ポール大聖堂
そう、地盤の弱さ。グレーター・ロンドンの中心部を流れるテムズ川の北側には100メートルを超える深さまで粘土層が広がる一方、南側は粘土層が表層を覆いその下に硬いチョーク層があります。どちらにせよ、聖ポール大聖堂をはじめとした高層建築には硬い岩盤まで杭打ちが必要なのでロンドンの粘土層には不向きです。一方、地下鉄やトンネルを掘るには比較的容易なのでテムズ川の北に地下鉄ネットワークが発達しましたが、南側では困難でした。
ロンドンの粘土層の分布(茶色部分)
ところでこのロンドンの粘土層はレンガの原料になります。18世紀に産業革命を迎えたロンドンは人口が急増して深刻な住宅不足に陥りましたが、それを救ったのがこの粘土層。レンガは粘土の成分や焼き方によってさまざまな色合いが出ます。日本の土壌は火山灰が多く、鉄分が多いので焼くと赤くなりますが、ロンドンの粘土は鉄分が少なく、カルシウム分が多いので黄色くなります。
ロンドンの粘土層から出来るレンガは黄色い
今から約5000万年前に出来たロンドンの粘土層が今のロンドンの街の風景や地下鉄にまで影響を与えているとは驚きです。建物の高さが統一された明治時代の丸の内の赤色のレンガ街、シティの黄色のレンガ街は居心地も良かったでしょう。でも最近のシティは景観保護法の緩和や杭打ち技術の発達によりガラス製の超高層ビルが次々と建設されています。建物の高さはあっても味わいは薄くなりました。ガラスの高層建築より黄色いレンガの街が良かったなと寅七は郷愁ムードです。
シティのガラス製の高層建築