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Mon, 18 November 2024

第176回 境界線叩きとロンドン塔の衛兵

世界遺産のロンドン塔は観光客に大人気です。でもシティからすると長らく厄介な歴史を持つ相手。1066年にフランスのノルマン公国が英国を征服した際、シティは税金を支払うことで自らの活動の自由を守りましたが、ウィリアム征服王はシティを監視したり、威圧するための監視塔として、11世紀終わりにロンドン塔を設置しました。しかもそれは城壁都市シティの壁の内側(領地側)に作られ、見たこともない頑強な石作りの要塞でした。

ロンドン塔がシティの東南端に作られたロンドン塔がシティの東南端に作られた

12世紀から14世紀にかけてロンドン塔は倉庫や王宮、武器庫や外壁を次々に増築しては敷地を拡大し、シティの領域にどんどん侵入していきました。当時、正確な地図も測量技術もありませんでしたが明白な領地侵攻にシティは困ります。そこで、教会の牧師と地元民が豊作祈願と邪気払いのために行っていた「境界線叩き」の行事(目印となる境界標を竿で叩きながら行進する)を境界線の維持策として利用しました。

世界遺産のロンドン塔世界遺産のロンドン塔

この行事にはロンドン塔から衛兵ヨーマン・ウォーダーが、シティからは教会関係者と子どもたちが参加しました。シティが子どもを参加させたのは幼いころから境界線を覚えさせる目的と、もし行事の最中に諍いが生じたときに子どもなら衛兵が手を出さないという算段があったからでしょう。衛兵は1509年にヘンリー8世がロンドン塔を王宮にした際に選別された精鋭軍がその始まりです。ビーフィーターとも呼ばれ、牛肉を食べて強靭な肉体を有しました。

ロンドン塔の衛兵はビーフィーターと呼ばれるロンドン塔の衛兵はビーフィーターと呼ばれる

思えばヘンリー8世の時代に農地の囲い込み運動が盛んになり、農業や食肉生産の効率が向上。王室の食事は肉食が中心になりました。また、ヘンリー8世は食事だけでなく兵器も大きく変えています。それまでの長弓に代わり大砲を大量生産し、ロンドン塔に大砲本部(Boardof Ordinance=兵站省)を置きました。現存する境界標にはW.D.(War Department=戦争省、現在の国防省)と官有物であることを示す幅広い矢尻が刻まれています。

かつての境界標である境界線叩きをする牧師の像かつての境界標である境界線叩きをする牧師の像

1898年のロンドン地方自治改革で新しい区制度が導入されました。以来、境界線争いはようやく収まり、復活祭40日後のキリスト昇天日近くに行われていた「境界線叩き」の行事は今では3年毎に行われる伝統行事になりました。ビーフィーターは今やロンドン塔の観光案内役として笑顔を振りまき、ロンドン塔の賃貸人として家賃や住民税を行政区タワー・ハムレッツに納めています。

シティとロンドン塔の境界標シティとロンドン塔の境界標

「境界線叩き」は寅七の動画チャンネルちょい深ロンドンでもご覧いただけます。

 

シティ公認ガイド 寅七

シティ公認ガイド 寅七
『シティを歩けば世界がみえる』を訴え、平日・銀行マン、週末・ガイドをしているうち、シティ・ドラゴンの模様がお腹に出来てしまった寅年7月生まれのトラ猫


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