第180回 貝殻から生まれた王さまと女王さま
資産や財産にまつわる漢字に「貝」が付くのは、昔、貝が貨幣として使われていたからだと学校で習いました。今回は貝に関するお話です。1833年、ロンドン東部で骨董商を営んでいたサミュエル・マーカスが、シティとの境にあるハウンズディッチで東洋からの輸入品の販売店を開きました。特に日本からの貝殻は人気商品。店は息子の代に貝殻運輸・貿易会社となり、やがて石油会社のロイヤル・ダッチ・シェルに発展しました。
ロイヤル・ダッチ・シェルは骨董屋が始まり
東洋の貝殻に人気があったのは、貝殻自体の美しさもありましたが、何よりボタンの原料になったからです。西洋の服飾の歴史では中世のころから王族や貴族が宝飾品の一部としてボタンを使い始めます。やがて軍服や礼服に付ける金属製のボタンが社会に普及し、産業革命後には一般庶民のおしゃれ着にも貝殻を原料にしたボタンが使われ始めます。東洋の貝殻には真珠を形成する成分「真珠層」が多く、美しいボタンの原料になりました。
真珠層がボタンの原料
ところで洋服のボタンの位置は男性用が本人からみて右側に、女性用は左側にあります。なぜかというと、14世紀の宮廷服は男性は自分で着ることが多く、また右利きが多いことから右側についたのだそうです。一方、女性は召し使いにドレスを着させたからとか、女性が授乳の際に右手でシャツを開けやすいようにしたとか諸説ありますが、決定的な答えは分かっていません。
ボタンの付く側は男女で反対
19世紀後半に貝殻ボタンが普及すると、道端にそれを落とす人も自然と増えていきます。ロンドン北部の孤児院で育ったヘンリー・クロフトは、道路清掃員をしながら落ちていた貝殻ボタンを拾っていました。クロフトは、当時ロンドンの屋台商人が貧しいなかで互いに助け合い、屋台仲間のリーダーが貝殻ボタンを身に着けてパーリ―・キングと名乗っていることを知ります。自分もパーリー・キングになれると気付いたクロフトは、拾い集めたたくさんの貝殻ボタンを服に付け、孤児院や病院にいる恵まれない子どもたちへの募金活動を始めました。
パーリー・キングの衣装(ロンドン博物館蔵)
その活動が世に伝わるにつれ、たくさんの貝殻ボタンが付いた衣装をまとった人々による募金活動が、ロンドン中で行われるようになりました。今でも毎年9月の最終日曜日、各地区のパーリー・キングス& クイーンズ(貝殻ボタンの王さまと女王さま)がギルドホールに集まり、付近をパレードして募金を集めます。それは天からの恵みに感謝する収穫祭であり、人々が助け合い、感謝の気持ちで行う伝統行事です。(今年はコロナ禍で延期)
9月の収穫祭に参加したキングとクイーン
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