第248回 「ガリバー旅行記」とロザハイズ
ジョナサン・スウィフトが1726年に書いた「ガリバー旅行記」は、今も多くの人に親しまれている小説ですが、その初版の表紙には主人公、58歳のレミュエル・ガリバー船長がレドリフ村の住人だと書かれています。レドリフ村とは、現在シティの南東側、サザック・ロンドン特別区にあるロザハイズのことです。ここは、同作が書かれた18世紀には鯨の輸入でにぎわい、その後、サリー商業ドックで栄えた港町です。
本の肖像画の周囲にレドリフ村のガリバー船長と記載
ドックには大きく分けて、船底の整備を行うため排水される乾ドック(Dry Dock)と、船を係留するため水位の安定した係留ドック(Wet Dock)があります。ロンドンで最初の係留ドックは、1699年にロザハイズに完成したハウランド・グレイト・ウェット・ドックです。初代ベッドフォード公爵が息子の花嫁の持参金としてもらったロザハイズの土地に、船を安全に係留できるよう防風林で囲んだドックを作りました。
ハウランド・グレート・ウェット・ドックは防風林に囲まれていた
当時、ロンドンの船荷はロンドン橋からロンドン塔までの法定埠頭(Legal Quays)に限られ、シティの荷役人夫が検量や荷役を行っていました。しかし、貨物量が増えるにつれて困難な状況に陥りました。というのも、潮汐の水位差が5メートルを超えるテムズ川の埠頭では常に潮の干満や天候に左右され、また、渋滞した船が待機している間に盗難や嵐などで船荷が損傷したからです。18世紀末の法令改正まで、基本的にその状況が続きました。
一方、18世紀初めに捕鯨が再開されると、グリーンランド近海で捕獲された鯨はこのドックで荷揚げされました。120隻の船を係留できたので捕鯨船団の基地になり、そのころ「ガリバー旅行記」が書かれました。鯨の脂肪や巨大な歯や骨を原料にした製造工場が立ち並び、やがてドックはグリーンランド・ドックと改名されました。そのドックで捕鯨業に従事する人たちの憩いの場がガリバー通りにあるパブ「船と鯨」です。
ガリバー通りのパブShip&Whaleに「ガリバー旅行記」の挿絵が飾られている
現在のグリーンランド・ドック(写真左)とかつての捕鯨の様子(同右)
19世紀になるとロザハイズにたくさんのドックが建設され、スカンジナビア半島やカナダから巨大な材木が輸入されてきました。北部の乾ドックが船の修理場、中央部の貯水池が貯木場、南部の係留ドックが荷揚げ場となり、それぞれ運河で結ばれました。当時のロザハイズの8割が水場であったと同時に、「ガリバー旅行記」に登場する小人や巨人の国、空飛ぶ島、馬の国のように、世界中からの奇想天外な貨物と船員であふれていました。
19世紀末のロザハイズの8割が水場だった(ロンドン・ドックランズ博物館蔵)
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