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Mon, 15 April 2024

第257回 ロンドンで見かける書体[前編]

謹賀新年、本年もどうぞよろしくお願いいたします。子どものころ、1月2日に書き初めをすることがわが家の習慣でした。「とめ、はね、はらい」に注意して楷かいしょ書をよく練習しました。その「とめ、はね、はらい」は印刷用の活字フォントでいう文字の端の装飾、「セリフ」に似ていると思います。実はこの「セリフ」とセリフのない「サン・セリフ」が英国の歴史に深く関係しています。まず、活字の歴史から紐解いてまいりましょう。

「とめ、はね、はらい」に似たセリフ「とめ、はね、はらい」に似たセリフ

もともと漢字は紀元前1300年ごろの中国・ いん の甲骨文字から発展し、紀元前3世紀の秦の始皇帝が 篆書 てんしょ という書体で統一しました。その後、 隷書 れいしょ 、草書、行書、楷書と五体に多様化しましたが、楷書を筆写ではなく木版印刷用の書体に転換したのが、日本で明朝体と呼ばれる活字フォントです。明治以降、日本の公文書は筆写なら楷書、印刷なら明朝体が指定されました。でもなぜ、明朝体なのでしょうか。

書道で習った五つの書体書道で習った五つの書体

実は18世紀以降、欧米諸国は中国でキリスト教の布教を目指し、そのために中国語に翻訳し印刷された聖書を作りました。その際、初めて作られた漢字の活字フォントが明朝体でした。漢字の「とめ、はね、はらい」の微妙な曲線や線の細太が、ローマン体というアルファベットの活字フォントのデザインに似ていたからといわれます。また、明朝体の最小サイズを発明したのが上海の伝道印刷所にいた米国人ウィリアム・ギャンブルでした。

明朝体(左)とローマン体(右明朝体(左)とローマン体(右)

漢字フォントの発明を聞きつけて上海に行き、新フォントで1867年に日本初の和英辞書「和英語林集成」を完成させたのが、横浜で塾と病院を営んでいた米国人ジェームズ・ヘボンです。ヘボン式ローマ字はこの辞書と共に普及しました。また、明治政府は本木昌造が中心となって上海からギャンブルを長崎活版伝習所に招き、活版印刷術と活字鋳造術を習いました。以降、政府は公文書の印刷に明朝体を使うようになりました。

本木昌造(左)と ジェームズ・ヘボン(右)本木昌造(左)と ジェームズ・ヘボン(右)

そもそも15世紀半ば、ドイツのグーテンベルクが活版印刷術を発明した際に、聖書の写経に使われていたブラックレターに似た活版を作りました。ところがそのブラックレター体では字が太過ぎて判読性に優れませんでした。そこでイタリアの人文主義者が、15世紀後半、ローマ時代の碑文に刻まれた細い書体と、8世紀末にフランク王国のカール大帝により統一されたカロリング小文字を組み合わせて、ローマン体という活版を作ったのです。

ブラックレター(左)、ローマ時代の碑文(右上)、カロリング小文字(右下)ブラックレター(左)、ローマ時代の碑文(右上)、カロリング小文字(右下)

寅七さんの動画チャンネル「ちょい深ロンドン」第23話「英国のトランプの歴史」もお見逃しなく。

 
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シティ公認ガイド 寅七

シティ公認ガイド 寅七
『シティを歩けば世界がみえる』を訴え、平日・銀行マン、週末・ガイドをしているうち、シティ・ドラゴンの模様がお腹に出来てしまった寅年7月生まれのトラ猫


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