第272回 英国の捕鯨とフォークランド諸島
第248回のコラム「ガリバー旅行記とロザハイズ」で触れました通り、シティの南東、テムズ川の対岸ロザハイズにグリーンランド・ドックがあります。このドックは1720年代から捕鯨船の基地として使われ、19世紀に貯木池に変わり、今は親水公園になっています。また、アイルランドの作家ジョナサン・スウィフトの「ガリバー旅行記」や米国人作家ハーマン・メルヴィルの「白鯨」を連想させる歴史的なパブがあります。
グリーンランド・ドック近くのパブ「船と鯨」
ところで鯨はハクジラ類とヒゲクジラ類の二つに大別されます。欧米では主にハクジラ類のマッコウクジラを鯨油目的で捕獲していました。鯨油はランプ油以外にもろうそくや機械の潤滑油、皮革の洗剤に使われ、18世紀の英国は北極海で、19世紀の米国は太平洋で盛んに捕鯨を行っていました。ロンドンのグリーンランド・ドックの南側には解体した鯨を煮立てて鯨油を採取するボイラー小屋がたくさん立ち並んでいたそうです。
小説「白鯨」をモチーフにしたパブ
19世紀後半にガスや石油が普及し、鯨油の産業用の需要が減退しました。しかし20世紀初頭、ドイツの化学者ヴィルヘルム・ノルマンが硬化油製法という、ヒゲクジラ類の鯨油からマーガリンや石鹸を作る方法を発見しました。すると多くの国がヒゲクジラ類を捕獲するため南極に向かいます。留意すべきは、マーガリンやせっけんを作る過程でグリセリンが生まれ、そのグリセリンから爆薬のニトログリセリンを生産できたことです。
鯨の種類
特にノルウェーは積極的に捕鯨を行って鯨油の輸出国となり、鯨油を仕入れた国は爆薬を作りました。第一次世界大戦では鯨油を原料とする無数の爆薬とダイナマイトが使われました。また、1970年代に不凍液の化学合成油ができるまでは鯨油が宇宙ロケットや弾道ミサイルの潤滑油に使われたといわれています。捕鯨禁止運動の背景には、爆薬生産や宇宙戦略に鯨油の利用を阻止するという軍事的な意図があったのかもしれません。
油田の発掘を祝う鯨たち(1861年の「ヴァニティー・フェア」誌)
捕鯨で連想されるのがフォークランド諸島です。もともと英国の捕鯨拠点でしたが、薪や木材がなかったので島にいたペンギンを蒸し焼きした油で火を焚き、鯨油を作りました。そのためペンギンは絶滅の危機に陥りましたが、1982年のフォークランド紛争で無数の地雷が埋められ、2020年まで島の大部分が立入り禁止区域となりました。ペンギンにとってはそれが幸いし、その結果ペンギンの楽園に戻りました。動物の絶滅の危機を救うには人間の立ち入りを禁止するのが最善のようです。
絶滅危機から回復したフォークランド諸島のペンギン
寅七さんの動画チャンネル「ちょい深ロンドン」もお見逃しなく。