8月も後半に差し掛かり、そろそろ学生たちにとっては
新学期を迎えるための準備を始める季節。
そこで今回は、英国独特の教育機関である
パブリック・スクールを取り上げる。
日本では現在「ゆとり教育」の弊害が叫ばれる中、
これまでに幾人もの優秀な人材を育て上げ、
英国各界に成功者を送り出してきたパブリック・スクールが
示唆するものは大きい。
(本誌編集部: 長野雅俊)
1. 私立の中等教育機関である
英語で「公立」を意味する「パブリック」という名が付けられているにも関わらず、パブリック・スクールは私立の中等教育機関であるというのがまず基礎中の基礎知識。英国ではかつて教育が王侯貴族のみにしか与えられなかった時代があったが、1868年に授業料さえ払えば一般人 (パブリック)でも教育を受けられる国家制度が整えられ、この教育機関がパブリック・スクールと呼ばれるようになった。ちなみに、英国における公立学校は通常「ステイト・スクール」と呼ばれる。
2. エリートである
私立の中等教育機関であれば、すべて 「パブリック・スクール」の称号を得られるわけではない。その中でも良家のご子息やお嬢様、つまりエリート学生が通う学校でなければならないのだ。彼らエリートは優秀な教師たちから指導を受けて、やがてはオックスフォードやケンブリッジといった名門大学に進学していく。また大学を卒業した後も、各業界で同じパブリック・スクール出身者が幅を利かせている場合があり、就職活動の際にコネとして利用されることも多いという。
3. 多くが寄宿生制である
寄宿制である、というのも典型的なパブリック・スクールの特徴の1つ。下級生はユース・ホステルのような6人部屋を共有し、学年が進むと2人部屋、上級生になると個室が与えられる、といったパターンが多い。このため朝昼夜の食事の時間、放課後の観劇やコンサート鑑賞まで、ともかくグループ活動三昧となる。寮内での喧嘩も日常茶飯事だそうで、生徒たちはこういった修羅場を経て自分の意見を主張することと共にチームワークの大切さを学んでいくという。
4. 歴史がある
例えこのページで取り上げたその他の要素をすべて満たしていても、一朝一夕にはパブリック・スクールにはなれない。 過去に歴史の教科書に載るような偉人を卒業生として輩出し、何百年と刻んだ歴史を持っていることも重要である。
5. スポーツが大好きである
パブリック・スクールの名門校ラグビー・スクール校長が残した「健全な精神は健全な身体に宿る」との名言が示すように、パブリック・スクールにとってスポーツは教育の根幹。ラグビー、クリケット、サッカ ー、テニスといったスポーツを、プロのコーチの指導の下かなり本格的に行う。特に土曜日には普段の寮内での生活で培ったチームワークと互いのプライドを賭けて、寄宿舎ごとの対戦試合が頻繁に行われることが多い。また他のパブリック・スクールとの対抗戦のため遠征に行くことも。
6. 多くの場合郊外に建っている
いくつかの例外を除いて、多くのパブリック・スクールはロンドンから離れた郊外に位置している。広大な敷地の中にいくつもの寄宿舎、だだっ広い校庭、プールやその他各施設を内包しているのだ。
7. 上下関係が厳しい
「上級生以外は芝生の上を歩いてはいけない」など、校内には上下関係に関する厳しく、そして細かい規則がある。こういった縦横に交わる関係性の中で、個人の自立とチームワークを育むのが狙いだという。
8. 教養科目が多い
パブリック・スクールでは他の教育形態に比べて、ラテン語などに代表される教養科目に力を入れているのも特徴。かつては上流階級に特有の上品な言葉遣いを覚える授業や発音練習などもあった。
チャプレン
学校内に建つチャペルの聖職者。多くのパブリック・スクールが敷地内に教会を持っており、生徒たちは日曜日に教会の礼拝に参加するのが習慣になっている。ちなみに宗教上の理由から日曜日の礼拝に参加しない生徒には、別途学習の時間が設けられるという。
プリフェクト
学校や寮内でのリーダー的存在となる役職を持った生徒のこと。通常は校長から直々に任命される。他にも部屋、寄宿舎、学校ごととそれぞれの単位で細かくリーダーが決められており、これらの肩書きは後に履歴書にも記載されるという。
ハウス・マスター
パブリック・スクールにおいては、教師までもがキャンパス内で暮らしている。中でも、生徒たちが暮らす寄宿舎内で暮らし、いわゆる裸の付き合いをする教師がハウス・マスター。自分の家族と共に寮内で暮らしながら、昼夜を問わず生徒たちの面倒を見ている。
Aレベル
上級コース「Advanced Level」のこと。中等教育6年目からの2年間を過ごす「シックスス・フォーム」と呼ばれる学年が履修するコースとなる。近年ではこのAレベル試験があまりに簡単であるため、本来の大学入学選抜試験としての意味をなさないとして批判を浴びている。
校長会議
一般的にパブリック・スクールと呼ばれる私立の中等教育機関が参加する協会「Headmasters' and Mistresses' Conference」のこと。現在イートン校、ハロー校などを含む名門パブリック・スクール242校がこの協会リストに名を連ねている。
ビーク(Beak)
原意は「鳥のくちばし」。多くのパブリック・スクールでは「学校の教師」を意味するスラングとなっている。他にも懲罰を指す「スキュー(Skew)」反復学習の意「レプス(Reps)」など、学校ごとに少し異なるバリエーションを持ったスラングが存在する。
郊外で全寮制という体制を取ることの多いパブリック・スクールは、ある意味一般社会とは隔離された空間であり、その生活を窺い知ることができる機会は少ない。そこでパブリック・スクールを舞台とした映画の中でも新旧の名作を例に取って、その内実に迫ってみよう。
教師と生徒の絆
チップス先生さようなら
公開年: 1939年
監督: サム・ウッド
出演: ロバート・ドーナット、グリア・ガーソン
あらすじ
新任教師アーサー・チッピングは、イングランド南部に位置する町ブルックフィールドのパブリック・スクールに赴任することになった。最初は悪賢い生徒たちを前にして戸惑う彼だが、やがて生徒たちの信頼を獲得し、「チップス」先生との愛称で呼ばれるようになる。月日が流れるにつれて生徒の子供、さらに孫までが入学してくる中、彼の功績が認められハウス・マスター、そしてやがては亡き妻の予言通り念願の校長に就任する。ドイツ軍の空爆に襲われる中、愉快にジョークを飛ばしながら授業を続行するシーンは必見。
ここに注目!
・寄宿舎での生徒との交流
チップス先生は、寄宿舎の中で妻のキャサリンと一緒に夫婦で住んでいる。時折、生徒を部屋に招待して、チップス先生の奥さんがケーキとお茶を振る舞いながら歓談する様子など、のどかな風景が描かれている。
・学校独自のスラング
始業式に遅れて慌てる生徒が、講堂に向かう途中でチップス先生にばったり。ここでチップス先生はまだこの初々しい学生を、新入生を意味するスラング「スティンカー(Stinker)」と呼んで可愛がるが、当の生徒は何のことかさっぱりわからず、戸惑うことになる。
・古典を通して学ぶもの
近代的な教育を謳う校長に対して「古典を学ぶことで生徒たちに尊厳を与え、ユーモアと物事のバランスを教えれば、将来においてどんな事態に対応できるのだ!」とチップス先生が喝破するシーンがある。古典を大切にするパブリック・スクールの哲学が垣間見られるシーンだ。
競争を通して育む友情
ハリー・ポッターと賢者の石
公開年: 2001年
監督: クリス・コロンバス
出演: ダニエル・ラドクリフ、ルパート・グリントほか
あらすじ
世界的大ベストセラーとなった児童文学の人気シリーズ第1作。意地悪なおじの家で暮らす少年、ハ リー・ポッター。しかし11歳の誕生日を前にして、彼の元に魔法魔術学校への入学許可証が届く。話を聞けば今は亡き彼の両親が魔法使いであったことがわかり、入学 を決意したハリーはその後様々な仲間達との出会いを経て成長を遂げていく。やがて学園内のとある秘密に気付き、仲間とともに迫り来る危機と戦うことになるが……。個性豊かな教師たちとの交流がいっぱいの、パブリック・スクール生活が凝縮された映画といえよう。
ここに注目!
・学校入学を前に両親との別れ
魔法魔術学校への入学を控えた生徒たちが、ロンドンのキングス・クロス駅の9と3/4プラット・フォームから旅立つ場面がある。寄宿舎での生活を前にして両親との別れを惜しみながらも、電車内で生徒同士がすぐに仲良くなってしまうのが彼らのかわいいところ。
・寄宿舎ごとに競争
長い電車の旅を終えて学校に着いた生徒たちはすぐに大講堂に呼ばれ、自分達がこれからどの寄宿舎に住むことになるかを告げられる。そして優秀な成績を収めたら得点、校則違反には減点といったポイント制度で各寄宿舎ごとに競い合う様子が窺える。
・スポーツ対抗戦
クィディッチと呼ばれる魔法のほうきを使ったスポーツの対抗戦において、レギュラーに選ばれたハリーが大活躍。学校の教師と生徒が総出で応援し、勝利に貢献したハリーは学校のヒーローになる。試合の日に学校が一体となって盛り上がる風景はそのままだ。
厳しい上下関係
If もしも....
公開年: 1968年
監督: リンゼイ・アンダーソン
出演: マルコム・マクダウェル、デービッド・ウッド
あらすじ
英国の伝統的な名門パブリック・スクール。ここには、上級生が絶対的な権力を盾に生徒をこき使う伝統が制度化されていた。しかしとある3人組が、記念行事での反乱を企てて……。1960年代、世界各地で学生運動が吹き荒れる中で支持を集めた映画。
ここに注目!
学校の規律を破ってしまった3人組が、プリフェクトと呼ばれる監督生に鞭で叩かれるシーン。かつては教師らによる体罰がパブリック・スクールの日常的風景のひとつだった。
権力闘争
アナザー・カントリー
公開年: 1984年
監督: マレク・カニエフスカ
出演: ルパート・エヴェレット、コリン・ファース
あらすじ
ロシアに亡命した英国人スパイが主人公の映画。1930年代のイートン校が舞台となっている。学校の自治会を舞台にした権力闘争に同性愛とイデオロギー闘争が絡み、事態は複雑化していく。かつて実在した英国の伝説的な二重スパイ、ガイ・バージェスをモデルにした作品。
ここに注目!
物語は「God」と呼ばれる自治会組織での権力争いをテーマとしている。同会代表のみ派手なベストを着ることが許されるなど、学年や役職によって身分を隔てるしきたりが見られる。
階級制度が崩れ、日本と同じように少子化問題を抱える現代の英国におけるパブリック・スクールは、教育機関として求められる役割も変わってきている。実際に21世紀のパブリック・スクールで学んだ生徒と、現在も教鞭を取る先生の生の声に耳を傾けながら、その変化の兆しを見つめてみよう。
「各業界にネットワークが存在」
ジャスティン・ウォングさん
Epsom College 2001年卒
ロンドン郊外のサリー州にあるパブリック・スクール、エプソム・カレッジにブルネイから留学生として入学しました。というか両親が私を送り込んだ、という方がより適切かもしれませんね。最近はどの学校も、留学生を積極的に受け入れているようです。
当時の生活を振り返ると、とにかく暇を持て余す時間なんかありませんでした。朝7時から夜11時まで予定がいっぱい詰まっているのです。勉強、スポーツ、芸術鑑賞、校内イベ ント、また勉強という具合で常に何かしているし、させられている。でも僕はその忙しい生活が、とても楽しかった。また学校にはいわゆる英国の上流家庭からの子供が圧倒的に多く、皆きれいで上品な英語を話しているので、自分の言語もかなり影響されたと思います。
今はロンドン大学インペリアル・カレッジで薬学を勉強中です。これから就職活動となるのですが、「エピソミアン」と呼ばれる僕が通ったパブリック・スクール出身の人々が薬学業界にもネットワークを広げているので、これから就職の相談に乗ってもらおうと思っています。
「信頼を集め続けるパブリック・スクール」
ハリソン・ ジェームズさん
Monmouth School 歴史教師
英国にあるいわゆる「プライベート・スクール」や「インディペンデント・スクール」と呼ばれる学校の中でも、特にエリート色が強いもののみがこれまで「パブリック・スクール」として認知されてきました。
これらの学校の多くが古い歴史を持っているのですが、その間にかつては英国に確固として存在していた階級制度が形を変え、また政府が優秀な生徒に対して私立学校へ通学するための助成金を出す制度や、「シティ・アカデミー」と呼ばれ る民間会社からの出資に支えられた公立学校が誕生し、優秀 な成績を収める公立学校も多く出てきました(下表参照)。この時代の趨勢を受けて、パブリック・スクールの中でも全寮制を維持する学校数が若干減りましたが、業界そのものは現在も成長を遂げており、実は生徒数も増加しているのです。公立学校では地域によっては悪質ないじめがはびこっている など深刻な問題を抱えている場合があり、規律が整ったパブリック・スクールであれば信頼できると考える親が多いので しょう。
Aレベル成績ランキング・トップ10 (Sources: BBC) | ||
1. | 公立 | Colyton Grammar School, Devon |
2. | 公立 | Colchester Royal Grammar School, Essex |
3. | 私立 | King Edward VI High School for Girls, Birmingham |
4. | 私立 | St Swithun's School, Hampshire |
5. | 私立 | Withington Girls' School, Manchester |
6. | 私立 | Downe House School, West Berkshire |
7. | 公立 | Chelmsford County High School for Girls, Essex |
8. | 私立 | King Edward's School, Birmingham |
9. | 公立 | Colchester County High School for Girls, Essex |
10. | 私立 | Wycombe Abbey School, Buckinghamshire |
日本に誕生したパブリック・スクール
1980年代の詰め込み教育、さらには90年代のゆとり教育がもた らした弊害への反省から、教育制度についての議論が絶えない日本。その日本で2006年4月から、英国の名門パブリック・スクールであ るイートン校をモデルとした全寮制男子校「海洋中等教育学校」が愛知県で開校した。トヨタ自動車やJR東海が同学校の経営に参画しており、今後どういった成果を出すかに注目が集まっている。
これまで紹介してきた通り、英国のパブリック・スクールはその独特のエリート教育によって各業界に優秀な人材を輩出してきた。ここでは最も長い歴史を持つ名門校9校を紹介しながら、彼らパブリック・スクール出身者がどのように英国社会に貢献してきたかを見てみよう。
イートン Eton College 1441年設立
15世紀にヘンリー6世によって設立された超有名校。これまでに19名の英国首相を輩出している。貴族の子弟が多く通い、エリートの象徴として君臨している。
イアン・フレミング(「ジェームズ・ボンド」シリーズの作家)
ピーター・ベネンソン(アムネスティ・インターナショナル設立者)
ウィリアム王子(=写真)
ハロー Harrow School 1572年設立
イートンのライバル校と目されるロンドン北西部の男子校。「ハロ ー・ハット」と呼ばれる水夫がかぶるような制服帽子が有名。北京やバンコクにも分校を持つ。
ウィンストン・チャーチル(元首相= 写真)
リチャード・カーティス(コメディー脚本家)
ジェームズ・ブラント(歌手)
ウィンチェスター Winchester College 1382年設立
イングランド南部ハンプシャー州に位置する男子校。同地区の主教を務めていた「ワイカムのウィリアム」初代校長のモットー「礼儀作法が人間を造る」が校訓。
ゴッドフレイ・ハロルド・ハーディ(数学者)
アーノルド・J・トインビー(歴史家=写真)
ジョージ・マロリー (登山家)
ウエストミンスター Westminster School 1179年設立
ウエストミンスター寺院の真横に位置する名門共学校。カソリック教会付属の教育機関として生まれ、宗教戦争を生き延びたという長い歴史を持つ。
マーサ・レーン・フォックス(「ラス ト・ミニッツ・ドットコム」設立者)
アンドリュー・ロイド・ウェバー(ミュージカル作曲家=写真)
ヘレナ・ボナム・ カーター(女優)
ラグビー Rugby School 1567年設立
スポーツの「ラグビー」発祥の地として知られる共学校。サッカーの試合中に思わずボールを手で持ちゴールに駆け込んだエリス少年の伝説は余りに有名。
ルイス・キャロル(「不思議の国のアリス」作者=写真)
ネヴィル・チェンバレン(元首相)
アンドリュー・ローンズリー(ジャーナリスト)
シュルーズベリー Shrewsbury School 1552年設立
チューダー朝のイングランド王、エドワード6世とエリザベス女王1世が設立に関わった歴史を持つイングランド中西部の男子校。数年後に共学化を予定している。
チャールズ・ダーウィン(「進化論」を発表した自然科学者)
サミュエル・バトラー(18世紀作家)
ジョン・ピール (ディスク・ジョッキー =写真)
セント・ポールズ St Paul's School 1509年設立
ロンドン南西部郊外バーンズにて、テムズ河を見晴らす校舎を持つ男子校。ロンドンの観光名所でもあるセント・ポール大聖堂付属の公立学校として生まれた。
トーマス・グレシャム(ロンドン証券取引所設立者)
ロバート・ウィンストン(生物学者=写真)
ジョージ・オズボーン(保守党議員)
チャーターハウス Charterhouse School 1611年設立
ロンドン郊外サリー州に位置する。授業料と寮費合わせて年間2万3955ポンド(約479万円)という、英国で最も高価な学校。近代サッカー発祥の地との説もある。
アンソニー・カロ(現代彫刻家)
ピーター・メイ(クリケット選手)
デービッド・ディンブルビー(テレビ司会者=写真)
マーチャント・テイラー Merchant Taylors' School 1561年設立
ロンドン郊外ノースウッド地区の男子校。かつてはロンドンの金融街シティに位置していため、同地区で大流行したペストからの被害を乗り越えてきた歴史を持つ。
エドマンド・スペンサー(桂冠詩人)
ジョン・ウォルター(「タイムズ」紙創設者)
パット・シャープ (ラジオDJ=写真)
写真提供: Britain on View, BBC Picture Publicityほか