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Fri, 29 March 2024

250年前に英国で誕生
フィリップ・アストリーが築いた近代サーカス The Legacy of Philip Astley

フィリップ・アストリー
近代サーカスの父、
フィリップ・アストリー

空中ブランコや道化師によるパフォーマンス、曲芸など、現在でも観ることができるサーカスの原型は、今から250年前の1768年に英国で誕生したとされている。その基礎を築いたのは、英国人のフィリップ・アストリー。今回は、近代サーカスの父と呼ばれるフィリップ・アストリーと近代サーカスの歴史を中心に、英国で活躍する奇術師のアンドリュー・ヴァン・ビューレンさんのインタビューなどを交え、今年で250年を迎えたサーカスの歴史を紐解く。

サーカス250年の
移り変わり

サーカスの歴史は古く、古代ローマ時代には既にいくつかの曲芸や、闘犬などの動物を闘わせる見世物が行われていた。では、250年前に英国で誕生したという「近代サーカス」とは何だろうか。劇場の歴史に詳しい英歴史家ジョージ・スペイトはこれを、「人間の身体技能や訓練された動物によるエンターテインメント。直径42フィート(約13メートル)のリング内で行われ、観衆は周りを取り囲むようにして鑑賞する」と定義している。

アストリー・アンフィシアター円形リングのあるアストリー・アンフィシアター(1800年代初頭)

サーカスの語源となった円形ステージ

退役軍人のフィリップ・アストリー(1742年~1814年)は1768年の復活祭に、ロンドン中心部のウォータールーで初めて曲馬ショーを開催する。このときアストリーは、会場となったオープン・スペースを円形に使った。これまで通常の曲馬は直線上で行われていたため、観客はショーのすべてを間近で見ることができずにいたが、円形にしたことで、最初から最後までを視野に収めることが可能になったのだ。また、円に沿って馬を走らせることで馬の背に微妙な角度が付き、パフォーマーが馬上でアクロバットをする際に有利に働くことも分かった。現在でも、世界のサーカス・リングの標準はアストリーの定めた直径42フィート。そして、「サーカス」という言葉は、円形=サークルが語源となっていると言われている。

曲馬ショーを成功させたアストリーは、すぐにほかのパフォーマーを雇い入れる。バンドが音楽を奏で、道化師が曲馬ショーの合間に芸をし、曲芸師や綱渡り、芸をする犬なども加わった。1768年、近代サーカスの誕生である。アストリーのサーカスは大好評を博し、彼は大きな1つのチームとなった団員たちと共に、英国内だけではなく欧州や米国でツアーを行い成功を収める。こうしたアストリーのサーカスに影響を受け、世界各地にサーカス団が増えていった。

王室から庶民までが楽しめる娯楽

新たな娯楽となったサーカスにいち早く飛びついたのは、流行に敏感で、かつ入場料を払うことができる中流階級の人々。すぐに貴族や上流階級の人々も興味を持ち始め、やがてアストリーの死後、サーカスは王室の後援を受けるようになっていく。特にビクトリア女王は様々なサーカス団を宮殿に招待し、1840年代にはウィンザー城やスコットランドのバルモラル城でも公演させている。そして19世紀末までには、サーカスは庶民のための娯楽として普及し、 ビクトリア時代の最も人気の高い楽しみの一つとして、その地位を不動のものにした。この時代のサーカスの多くは木造建築の中で行われ、英国全土の都市には「ヒッポドローム」「サーカス」「アンフィシアター」と呼ばれるような、サーカスのための建造物が次々に建設されていった。

やがて、このころから欧州と米国のサーカスに構造の違い見られるようになる。英国と欧州のサーカスは、アストリーの考案した単一のリングを舞台に見立てるスタイルを踏襲し、コンセプトは変わらないものの、リング上で行われる芸はより複雑に、かつ洗練されていく。一方、英国と違い広大な土地がある米国では、天井の高い大きなキャンバス地のテントを複数使い、より大きな動物を登場させるなど、大規模な仕掛けの芸が人気となっていった。

時代の流れと足並みをそろえて

19世紀以降、長らく庶民の娯楽として親しまれていたサーカス。しかし20世紀に入ってからは映画、更にはテレビの登場によって、人々の興味は次第にサーカスから離れていった。そんなサーカスを救うため、1970年代のフランスで政府や演劇界を巻き込んでの、大掛かりなサーカス学校設立の動きが起きた。その結果、サーカスを総合芸術の一つととらえ、演劇やバレエの専門家を教師に招いた学校が、フランスに200校あまりも誕生。ここから育ったパフォーマーたちが、現在「ヌーボー・シルク」(新しいサーカス)と呼ばれる、新ジャンルのサーカスの中核を担っている。ヌーボー・シルクは、カナダのサーカス団「シルク・ドゥ・ソレイユ」の公演のような、芸術性の高い芸が特徴だ。この新しいサーカスは現在、世界に伝播しつつある。今年、英国各地でサーカスに関する様々なイベントが開催されるが、アストリーが行った昔ながらのサーカスと並び、ヌーボー・シルク系サーカスも見ることができる。近代サーカス250年の歴史を、自分の目で確かめてみてはいかがだろうか。

ロスト・イン・トランスレーションサーカス誕生250周年を記念し、ロンドンのウォータルーでパフォーマンスを行う
パフォーミング集団、ロスト・イン・トランスレーション。
写真提供 http://circus250.com

Philip Astley - Father of Modern Circus
近代サーカスの父、
フィリップ・アストリーはどんな人だった?

1742年、英中部スタッフォードシャーのニューカッスル=アンダー=ライムにキャビネット職人の息子として生まれる。軍隊を経て、曲馬の学校や円形のリングを持つサーカス劇場を作り、近代サーカスの基礎を築いた。1814年、パリで死去し、パリ東部ペール・ラシェーズ墓地に眠る。

若くして乗馬スキルに秀でた軍人

17歳で英国陸軍の軽竜騎兵隊(Light Dragoons)に入隊、騎乗兵として活躍したアストリーは、貴族の邸宅で馬の調教をしていたというドミニク・アンジェロに乗馬の才能を見込まれ、馬術を習う。アストリーはその後、七年戦争で実践を積んだ結果、退役時には馬上で行う曲芸、曲馬のプロになっていた。

馬術の学校がサーカスの始まり

陸軍を退役した後、アストリーが考えていたのはロンドンに馬術の学校を作ること。1768年、ロンドンの中心部ウォータールー、現在セント・ジョンズ教会のある辺りに、アストリー馬術学校を建設。午前中は乗馬や曲馬のクラス、午後は一般人に向け、自らの曲馬を披露し、この芸が予想以上の大人気に。

皇帝ナポレオンに劇場使用料を請求

曲馬芸の大成功が転じてサーカスの興行主となったアストリーは、英国内外に19のサーカス用劇場「アストリー・アンフィシアター」を建設する。1つはパリにあったが、フランス革命が勃発し、アストリーは帰国を余儀なくされる。後にパリを訪れ、自分の円形劇場をナポレオンが兵舎として利用していると知ると、使用料を請求したそう。

オースティンやディケンズも言及

アストリーのサーカスはビクトリア時代に人気を博し、文豪チャールズ・ディケンズやジェーン・オースティンの作品でも言及されている。オースティンの著作「エマ」の54章には、「彼らは2人の息子をアストリーズに連れて行くつもりだった」とあり、アストリーズという言葉がそのままサーカスを意味していたことが伺える。

アストリー・アンフィシアターアストリー・アンフィシアターの内部(上)と外観(下)

フィリップ・アストリーの
レガシーを伝えたい

アンドリュー・ヴァン・ビューレンフィリップ・アストリー・プロジェクト主宰
アンドリュー・ヴァン・ビューレンさん

近代サーカス誕生250周年に向けて、近代サーカスの父と呼ばれるフィリップ・アストリーの名を広めようと、2010年からプロジェクトを立ち上げ、様々な活動しているアンドリュー・ヴァン・ビューレンさん。自らも奇術師としてサーカスのステージに立つアンドリューさんに、プロのパフォーマーの目から見たサーカスの魅力、フィリップ・アストリーに対する思いについて語っていただいた。

アンドリューさんがサーカスに興味を持ったきっかけは何だったのでしょうか

両親がショービジネスの世界にいたので、生後6週間目からステージに出ていました。といっても舞台のそでに寝かされていたのですが。ロンドンのパーク・レーンにある、グロブナー・ハウス・ホテルの宴会場が最初だったと聞いています。子供時代は、サーカスだけでなく、キャバレーや劇場など、両親の興行でありとあらゆるところを回りました。しかし、最も思い入れのあるのはやはりサーカスでしょうか。これは私の父親の影響です。

父はショービジネスとは縁遠い、普通の家庭に生まれました。父がまだ幼いころ、近所の肉屋の店先に牛や豚のイラストと並んで、象の絵のポスターが張ってあるのを見つけたそうです。象の肉を売っているのではないかと思った父は、走って家に帰り母親に尋ねたところ、母親はそれは町にサーカスがやって来るという知らせだと教えました。実際それは「チャップマンズ・サーカス」の広告で、父は母親と一緒に生まれて初めてサーカスを観に行ったそうです。そしてすっかり魅せられた私の父は、サーカスについて勉強を始め、近代サーカスを築いたというフィリップ・アストリーに夢中になります。親に「サーカスばかりではなく、きちんとした仕事もしろ」と言われ、アストリーが若いころ生業にしていたというキャビネット作りを、自分の仕事に選んだほどです。しかも成人してショービジネスの世界に入ってからは、アストリーの出身地である英中部のニューキャッスル=アンダー=ライムへ引っ越しました。私もその地で生まれ、今も変わらず住んでいます。サーカスやアストリーへの興味はそんな父親を通して生まれました。

1992年のアストリー生誕250年には、父と私で地元にアストリーの銅像を設置しようと奔走しましたが、このときはうまくいきませんでした。ですから今回、近代サーカス誕生250年を記念して立ち上げたアストリーにまつわるプロジェクトを、彼の出身地で開催できることを本当に喜ばしく思っています。皆さんが、アストリーについて興味を持っていただけるなら、こんなにうれしいことはありません。

人々にアストリーの名をどのように覚えておいてもらいたいですか

フィリップ・アストリーの銅像
1991年にフィリップ・アストリーの
誕生250年を記念して作られた、
アストリーの等身大の銅像。
現在はニューキャッスル=アンダー
=ライムにあるパフォーミング・
アーツ・センターに設置されている。
www.philipastley.org.uk

近代サーカスを生み出したアストリーは、様々な顔を持っています。軍隊に入隊する以前はキャビネットを作る職人でした。大変優秀な乗馬の騎手で、また起業家でショーマンでもありました。彼はサーカスという芸術形態を生み出し、新しい娯楽をもたらしたのです。これは当時の人々の暮らしに大きな影響を与えました。更に、マジックをやり、本も書き、学校や劇場も建てています。見た目のことを言えば、身長は6フィート(約182センチ)を優に超えていて、ギリシャ神話の英雄ヘラクレスのよう、声はステントール(ギリシャ神話の登場人物で、50人分の声量があると言われる)のようだったそうですよ。歴史的パイオニアというだけでなく、偉大な人物、神話的人物です。そしてもちろん、夫であり父でもありました。以上のようなことを覚えておいてほしいです(笑)。しかし、最も大事なことを一つ挙げるとしたら、フィリップ・アストリーは人々の創造力を刺激し、それを鼓舞する存在であるということでしょうか。同業者から見たら、シェイクスピアのような存在です。

最近の映画に、ヒュー・ジャックマン主演の「グレイテスト・ショーマン」というのがありますね。19世紀の実在の米興行師、P・T・バーナムの半生を描いたものです。しかしこれはタイトルが違うように思います。私だったら「2番目に偉大なショーマン」としたいところです。言うなればバーナムは、アストリーが築いた基礎の上に、自分のサーカスを作り上げたようなものですから。

いくつかのサーカス芸は250年前から変わりませんね。その理由は何なのでしょう

フィリップ・アストリーがサーカスを始めたとき、それは彼と数頭の馬による曲馬術でしかありませんでした。アストリーはここにジャグリングや綱渡り、曲芸、マジックなどの芸を徐々に組み込んでいったのです。ただ、こうした芸自体は元々あり、250年どころかローマ時代から存在していました。アストリーが行ったのは、様々な芸を統合し、円形ステージに1つのサーカスとしてまとめてみせたことです。では、その同じような芸が時代を超えても人々を魅了するのはなぜしょう。多くの人々は、「不可能なことが可能になる」のを見ることを好みますが、サーカスはまさにそういった事柄の集合体ですね。綱から落ちてしまわないか、果たしてチャレンジは成功するのか、手に汗握るスリルやワクワクするような楽しさが人を魅きつけるのです。そして不可能と思われたことが首尾よく成功したときに、観客は心を動かされます。これがサーカスの芸がずっと変わらない理由でしょうし、マジシャンや奇術師といった職業が今でも存在する理由でもあるのではないでしょうか。

では、これからサーカスはどのような形に発展していくと思いますか

例えば、走る馬の上で行われていた曲芸をオートバイの上でやるようになったり、ボールを使ったジャグリングが、斧や電動ノコギリを使うようになったりなど、小道具の変化はあります。しかしパフォーマーが、重力をものともしない軽業や、不可能と思えることに挑む点は昔と全く同じです。基本的な形はそのままに、その技術、プレゼンテーションの方法がどんどん高度に、洗練され、それに対する観客からの期待も高まっていますね。そのため、現在はこれまでにないほど色々な形態のショーが存在しています。劇場、テント、客船の上、そして路上でなど、様々な場所で開催されていますし、伝統的なものから始まって、動物を使ったもの、ミュージカル型やダンス型、物語形式のサーカスもあります。

250年前にアストリーが作り出したサーカスは、今後も様々な発展を遂げていくでしょう。人間がロボットと共にパフォーマンスをするのも、そんなに遠い未来ではないかもしれません。ただどんな形にしろ、サーカスはエンターテインメントであり、人々を感動させるものであり続けると思いますし、またそうであってほしいです。これからのパフォーマーも、これまでサーカスに引き継がれてきたレガシーを理解したうえで、その上に新たなものを築いてくれたら良いですね。

アンドリュー氏アンドリュー氏はTVのゲーム・ショーにも出演。皿回しの芸は中国のパフォーマーに習ったという

最後に、サーカスを観るうえで、知っていると役立つヒントや、プロならではの舞台裏の話を教えてください

1番のアドバイスは、サーカスに来たら、現実世界のことはすべて忘れてくださいということでしょうか。携帯電話のスイッチを切って、後はサーカスの世界に浸ってください。自分もショーに参加して、その一部になっているような気分で。良いショーを観ていると、引き込まれて自然にそうなると思います。ほかにも、サーカスには色々なレベルの楽しみ方があるのでお教えしましょう。まず、何度も観ると仮定してですが、最初は、ただ楽しむこと。2回目は、プレゼンテーションや芸術性に注目してみましょう。3回目は、目の前で行われているショーの後ろで、小道具や仕掛け装置がどのように動いているか、そのトリックを探してみるのです。

そして、もしあなたがショーを大いに楽しんだなら、それをパフォーマーたちに知らせてあげてください。私たちがステージやリングに立つのは、お金のためではありません。もちろん仕事ですからお金も頂いていますが、何のためにやるのかと言えば、観客の皆さんから受ける温かい拍手や励まし、それに尽きます。良いパフォーマンスをしたときに観客に評価、賞賛してもらうことほど素晴らしいことはなく、これはほかに例えようがありません。拍手喝采はパフォーマーにとって燃料のようなもの。私たちは皆、数分のパフォーマンスのために人生を賭けているのです。ですから、多くの賞賛を受けることで、もっと頑張れます。もし仮に、実生活で心配ごとや不幸なことがあっても、私たちは決してそれを観客には見せません。パフォーマンスを続けます。―― The Show must go on……何があっても、ショーは続いて行くということですね。

協力:
Philip Astley Project www.philipastley.org.uk
Circus250 http://circus250.com

 

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